第58話 重なる文字
カルパが帰ったオルキデア。
タリスがセレーノに縋りつく。
「なあ、姉さん!嘘だろ!?あんな奴の嫁になるとか言わないよな!?」
「本当よ、タリス。カルパさんは私にはもったいない人だわ」
もう十度目の会話である。
はじめはタリスの気持ちに共感していたアリシヤだが、ここまでしつこいと驚きに変わる。
姉思いだとは思っていたが、度が過ぎているようだ。
「ほら、もう寝なさい」
子供を諭すように言われ、タリスはしぶしぶ引き下がる。
タリスが二階に上がっていった。
その背を見送っていると、セレーノが苦笑する。
「もう、本当に困った子」
セレーノもまた、タリスを大切に思っているのだろう。
セレーノの目がこちらに向く。
「アリシヤちゃんも、もうおやすみ。まだ旅の疲れが残っているでしょうから」
「…はい」
アリシヤは大人しく二階に上がった。
***
チッタの街の教会前に、アリシヤは立っていた。
殺せの大合唱が響く。
その中に、タリスやリベルタ、ロセの声が混ざる。
アリシヤは剣を大きく振りかぶって、目の前にいる赤い髪をしたデイリアの首をはねた。
宙を舞った首が石畳の上を転がる。
「え」
目を見開く。
赤い髪に赤い目。
それは自分の首だった。
「っあ!?」
アリシヤはベッドから飛び起きた。
そして荒い息を吐く。
手が震えている。
まだ、耳に殺せという声が響いている。
嫌な夢だった。
アリシヤはベッドから抜け出し、窓際の椅子に腰を掛けた。
月明かりに照らされた窓の外を見ながら、アリシヤは深く息を吐く。
ベッドの外は寒い。
それでも再び寝る気にはなれない。
幸い明日は休みだ。
朝寝坊しても問題はない。
アリシヤは手持無沙汰に、部屋を見渡す。
そういえば、チッタから帰ってきた後、荷物の整理をしていない。
アリシヤは大きなカバンを引き寄せ、荷物を分ける。
洗濯物、まだ使えるもの、もう使えないもの。
こうやって作業をしていると無心になれる。
アリシヤは夢中になって片づけを行う。
カバンの底までたどり着いた。
「なんだろう…?」
底に何かある。
アリシヤは手を伸ばし、それを引っ張り出した。
息が詰まった。
真っ白な封筒。
そこに読めない文字が書かれている。
イリオスが見つけてくれた、デイリアからのアリシヤ宛の手紙だ。
一瞬、見なかったことにしようかと思った。
殺した者からの手紙、それは受け止めがたいものだ。
だが、アリシヤはその文字に見覚えがあった。
物書き机の中にしまった黒いノートを引き出す。
エルバの村でピノからもらった宝箱の底に入っていたノートだ。
「ああ…」
アリシヤは声を漏らした。
その封筒に書かれた文字と、ノートの文字。
重なるところがいくつかある。
これは同じ言語で書かれたものだろう。
イリオスの言葉がよみがえる。
『これはコキノの文字だよ』
アリシヤの推測は当たっていたのだ。
これは魔王の一族と言われるコキノの言語で書かれたノートだ。
アリシヤは震える手で封筒を開ける。
中の手紙には読めない言語。
それでいて癖のある筆跡だとわかる。
ノートの文字と見比べる。
同じ筆跡だ。
アリシヤは椅子の背もたれに身を任せ、手で顔を覆う。
これはデイリアのノートだ。
エルバの村の近くを拠点としていた時のデイリアのノート。
何が記されているか、全く分からない。
だが、きっと何か重要なことなのだ。
それを読めるのは、アリシヤが知っている限りではイリオスしかいない。
イリオスはアリシヤを恨んでいるといった。
解読することはできないだろう。
アリシヤは、手紙を封筒に入れた。
そしてノートに挟み、物書き机の引き出しの奥の方へしまい込んだ。
しばらくぼんやりと窓の外を見ていた。
目が覚めたのは深夜を過ぎてすぐだったらしい。
太陽はなかなか姿を見せない。
闇に目を凝らしていたアリシヤの耳が物音を拾う。
廊下からだ。
タリスかセレーノだろう。階下に降りていく。
水でも飲みに行くのだろう。
そう思いながら、また窓の外を眺めていると、オルキデアの玄関から人が出てくる。
「タリスさん…?」
あたりをうかがうような様子でタリスは暗い街を歩きだした。
こんな夜更けにどこに行くのだろう。
ふと、今朝ラーゴと話した会話を思い出す。
ラーゴが言っていた。
タリスがふらりとどこかに行ってしまわないか心配だと。
アリシヤは立ち上がり、コートを羽織り、部屋を出る。
アリシヤのせいでタリスの地位は危ういらしい。
それに加え、セレーノの婚約の話が出た。
タリスが消えてしまうのではないか。
アリシヤの心に強い焦燥感が走る。
アリシヤは心のままに夜の街へ駆け出した。
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