第八章 家族

第56話 悪い噂

チッタから帰り、久しぶりに王都の自室でアリシヤは目を覚ます。

といっても、夜中に何度も起きたものだから寝不足だ。


二階から、階下に降りる。


「おはよう、アリシヤちゃん」


変わらないセレーノの笑顔にアリシヤはほっと息をつき、挨拶を返す。

昨日は疲れて帰ってきてそのまま眠ってしまった。

だから、言いそびれてしまった。


アリシヤはセレーノに頭を下げる。


「アリシヤちゃん?」

「セレーノさん。私は、何もタリスさんのお力になれませんでした」


チッタに行く前にセレーノからタリスのことを頼まれた。

だが、チッタでは何もすることはできなかった。

むしろ、タリスに負担を与えてしまった。


アリシヤがそういうと、セレーノが笑う。


「違うよ。アリシヤちゃん」

「え?」

「あの街で一緒にいてくれて、そして生きて帰ってきてくれた。それだけでいいの。ありがとう、アリシヤちゃん」


そして、セレーノはアリシヤを抱きしめた。


「生きて帰ってきてくれてありがとう」


アリシヤは、セレーノの腕の中で目を閉じる。


嬉しい。そう感じる反面、罪悪感がこみあげてくる。

人を殺した自分が、生きていることを感謝されていいのだろうか。

それでも、セレーノの温かみにアリシヤは目頭が熱くなるのを感じた。


しばらくして、タリスが一階に降りてくる。


「おはよう」

「…おはよう」


セレーノの挨拶に、小さな声で返す。

機嫌が悪そうだ。

いつものはつらつとした笑顔が見られない。


無言で朝食を取り、タリスがアリシヤに言う。


「行こうか」

「はい」


タリスの声にアリシヤは緊張して言葉を返した。


***


一言も交わさないまま城までついてしまった。

アリシヤは隣のタリスの表情をちらとうかがう。

真顔だ。まったく何を考えているか分からない。


アリシヤは目を逸らす。


いつもなら、話し上手なタリスが会話を盛り上げてくれる。

そのため、城までの時間はあっという間だ。

今日はひどく長く感じた。


「おお、お二人さん。おはよーさん!」


ラーゴの明るい挨拶に救われる。


「おはようございます。ラーゴさん」

「おう!赤いの!」


タリスがすっと前に出る。


「僕は先に行ってるよ」


そういってタリスは歩いて行ってしまう。

アリシヤは何も言えず、その背を見送る。


「あー、やっぱりかぁ…」


ラーゴの呟きに、アリシヤは振り返る。


「何がですか?」

「い、いや。なんでもないんだけどさっ」


明らかに何かを取り繕うラーゴ。


「何かあるんだったら教えてください…!」


アリシヤは必死になってラーゴに問う。


アリシヤはタリスに問いかけた質問が彼の機嫌を損ねたと思っている。

だが、何か別の意味があるのか。

なら知りたい。


ラーゴが逸らしていた目をアリシヤに向ける。


「赤いの。覚悟して聞けよ」


ラーゴの言葉にアリシヤは頷いた。


チッタの街でのデイリア殺害についての噂は王都でも瞬く間に広まった。

赤の髪の少女が悪魔を粛正したと。

勇者の側に赤色の者がいることを嫌っていた教会派でさえ、アリシヤの功績を認めざるを得ない。

アリシヤは正しく勇者の側近であることが全ての人間から認められた。


アリシヤは力なく反論する。


「そんな大げさな…」

「いや、それがそんなことないんだぜ?」


ラーゴの話によれば、アリシヤ自身気づいていないだろうが、アリシヤはもはやかなりの発言力を持った地位にいるという。


「そして、赤いの。お前がいることによってタリスさんの地位が脅かされている」

「へ?」


思わぬ話の展開にアリシヤは素っ頓狂な声を上げる。


アリシヤが悪魔殺しの正当なリベルタの側近と認められた一方で、下町出身のタリスを認めぬものはまだ多い。

アリシヤは今やタリスより高い地位にいるのだ。

そして、勇者の側近の地位が危うくなったタリスは、そのうち勇者から左遷をくらうだろうと噂されているという。


ラーゴの話にアリシヤは目を見開く。


「勇者様がタリスさんを外すなんてことはないと思いますが」

「俺もそう思うぜ?けど、タリスさんが居づらくなってるのは本当だ」


アリシヤはショックを受ける。


自分のせいでタリスの居場所を奪いかねないことになっているのだ。


ラーゴが言う。


「でも、タリスさんはあんたにそんなこと勘づかせたくないだろう。…だからさ、心配なんだよなぁ」

「何がですか?」


ラーゴの不安げな顔にアリシヤも煽られる。

ラーゴは眉をしかめる。


「いや…タリスさんふらっと消えちゃわないか心配でな」

「え」

「何も知らせず、どっか行きそうだろ?」


言われてみればそんな気もするし、そんな気もしないとも思う。

タリスがセレーノを置いて消えるとは思わない。

だが、アリシヤに勘づかせないようにしようとする点は納得いく。


うろたえるアリシヤの背をラーゴが力強く叩く。


「ぎゃっ!?」

「赤いの、しっかりしろ!」

「は、はい」

「お前は何も悪くないんだ。悪魔殺し、すげえ偉業なんだから胸張れ!」


アリシヤは曖昧に頷く。


「お前が落ち込んで、タリスさんは嬉しいわけがない。明るくな!」


ラーゴの言葉に今度は強くうなずいた。

ラーゴに礼を言い、アリシヤは門を後にした。

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