第53話 デイリア

南門をくぐる。


「はぁ、はぁ…」


息を切らしながらアリシヤは走った。

タリスの忠言通り、細い路地裏に入り込む。

と、背負われたデイリアが声を上げた。


「同胞!私を下ろせ、剣を構えよ!」


デイリアの切羽詰まった叫び声にアリシヤは反応し、デイリアを投げるように下ろし、剣を構えた。

そこに強い斬撃が来る。


「っ⁉」


見ると、赤い仮面の男がアリシヤの後ろに忍び寄っていた。


街には警備の兵が九十人はいたはずだ。

だが、守り切れなかったのか。


アリシヤは仮面の男の懐に飛び込み剣をはじく、そしてそのままみぞおち目掛けて強い突きを繰り出す。

男は倒れた。


ふっと息をつき、あたりを見渡す。

他に敵はいないようだ。


はっとして、アリシヤは投げ捨てたデイリアの方を向く。


「で、デイリアさん…!投げて申し訳ありません!」

「大丈夫だ…同胞よ。思ったより力が強くて驚いたがな…」

「すいません!」


アリシヤはデイリアを再び担ぐ。


「同胞よ。奴を殺さなくてもよいのか?」


デイリアに問われ、アリシヤは首を横に振る。

デイリアはそんなアリシヤを見て、察したようだ。


「貴殿は人を殺したことがないのだな」


図星を突かれた。

アリシヤは素直に答える。


「そうです。殺すのは怖くて…殺せないだけです」

「それでいい。できれば人なんて殺さない方がいい」


剣を構えたまま暗い路地裏を進む。

進むたびにアリシヤとデイリアは息を呑んだ。


死体が転がっている。

それも皆、死んで間もない。


「何で…」


アリシヤは絶句する。


路地裏に転がる死体の山。

老若男女問わずである。


ちゃんと兵が守っているはずだ。

先ほどの仮面の男の実力からして、そこまで強いとは思わない。


「この街の兵は何をしているのだ」

「本当に…何を…」


たどり着いた教会前で、アリシヤは悟った。

教会の周りには、それを埋め尽くすように兵が並んでいた。

人々が教会の周りに集まっている。


「…なるほど。この街の為政者は、街の人間ではなく教会だけを守らせたのか」


デイリアの言葉通りだった。


教会の周りにいる人々は怯えている。

だが、兵は誰一人として彼らを守ろうとはしていない。

守っているのは教会という建物だけ。


この街の権力者は誰か。

アリシヤは教会の二階から顔をのぞかせたインノを睨む。


インノはアリシヤとデイリアに気づくとにやりと笑った。


「皆様!帰ってきました!卑怯者が帰ってきました!」


インノが宣言する。


「勇者様との約束を破り、エーヌに下ろうとしたデイリアが、今、少女の手によって取り返されました!」


アリシヤは耳を疑う。

インノは何を言っている?


「さあ、赤の少女よ。その悪魔を殺してください!」

「は?」

「我々の街を襲い、喰らおうとする悪魔を殺してください!」


アリシヤは深く息を吸う。

そして叫ぶ。


「街を襲ったのはエーヌです!デイリアさんはエーヌに攫われました!我々はそれを取り返しに行っただけ!」

「なるほど。やはり悪魔は悪魔をかばい立てするのですね」


インノが言った。


「皆様聞きましたか!この赤の少女は、赤い悪魔をかばった!やはりこの者も悪魔なのか!」

「違う!」

「違うというのであれば!その悪魔をここで殺していただこう!!」


高らかに放たれた言葉にアリシヤは身を固くする。


「殺せ!」


インノが言った。


「殺せ」


兵が言った。


「殺せ」


続いて街の人間が言った。


辺りが殺せという言葉に埋め尽くされていく。


「殺せ」

「殺せ」

「殺せ」

「殺せ」

「殺せ」

「殺せ」


アリシヤの体が震える。


確かにデイリアは、魔王軍として数々の人を殺したのかもしれない。

だが、彼はイリオスに名前を与えた。

自由を与えた。

喜びをそして希望を与えた。

悪人とは思えなかった。


いや、それは自身の偏った判断というのはわかる。


だが、魔王軍だからといって一人の人間に当然のようにこれほどまでの殺意が向けられていいものなのだろうか。


いや違う。

この殺意は魔王軍に対するものではない。


アリシヤは気づく。


これは「赤」に対しての殺意だ。


この街の人間は「赤」を人間として捉えていない。

この殺意は自分にも向けられている。


インノはこの場でアリシヤも殺そうとしている。

デイリアを殺せない、アリシヤさえも。

街の人間もそれを望んでいる。


ふと、目線の端に白い影を捉える。


リベルタだ。救いを求めるようにそちらを見る。

リベルタの口が動いた。


『ころせ』


心臓が跳ねた。


人を殺すことを、認められてしまった。


アリシヤの右手に握られた剣がカタカタと鳴る。

震えが止まらない。


「同胞よ」


アリシヤはデイリアの声にそちらを向く。

デイリアは優しく微笑んでいた。


「悪いな。イリオスを頼む」


デイリアは、ふらりとアリシヤの前に出た。

そしてアリシヤの右手を握り、その剣を己の腹に突き刺した。


「で、いりあ、さん?」

「ああ…いたい…痛いな…どう、ほうよ。いたいのは、きらい、なんだ…介錯を…頼む」


涙を浮かべ笑うデイリアの腹からは血が溢れている。

もう助からないだろう。

あとは苦しんで死を待つのみだ。


「…。わかり、ました」


アリシヤは剣を抜き取った。


そして―


「うわぁぁぁぁ‼」


叫びを上げながら、アリシヤはデイリアの首を切り落とした。


目に赤が焼きついた。

耳で肉を立つ音を聞いた。

鼻が血の匂いをかぎ取った。

舌が触れた血の味を運んできた。

手が彼の首の落ちる重みを感じ取った。


五感で死を覚えた。


「デイリアあああああ!!」


民衆の歓声とともに、イリオスの叫びが聞こえた気がした。


大歓声が聞こえる。

呆然と立ちつくすアリシヤの前には、先ほどまで口を開いていたデイリアの首が転げ落ちていた。


「赤の英雄様だ!彼女は悪魔を切り裂いた!英雄様だ!」


インノの声が頭上で響いた。

また、民衆がわっと沸いた。


アリシヤは込み上げる吐き気に、口元を押さえた。

その時、誰かがアリシヤを支える。


「よくやった」


聞きなれたリベルタの声。アリシヤの瞳から涙が溢れだした。

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