第50話 最期の夜

深夜の森の中。鳥の声が響く。


明日、自分は死ぬことになるだろう。


デイリアは椅子に座り、息を吐いた。

イリオス、それからアリシヤに向けてしたためた手紙に封をする。

イリオスに教えたコキノの一族の文字で書いた手紙だ。


「これでよかったのだ」


デイリアは口に出してみる。


エレフセリアに一生ついていくと誓った。

国を逃れた仲間と別れ、この地に残った。

エレフセリアとともに、傀儡となった。

勇者に負けた。そこで死ぬはずだった。


『お前は臆病だからなぁ』


今は亡きエレフセリアの声がよみがえる。


『だけど、お前のそういうとこ信用してるんだ。だって大胆なヤツより慎重なヤツの方が生き残るだろう?』


まさにその通りだった。


エレフセリアが死に自分が生き残ってしまった。

そう、エレフセリアと命運を共にすると誓ったのに、死ぬのが怖くて逃げてしまったのだ。


いつ来るかもしれない勇者という死神に怯える日々。

そんな時に現れたのがイリオスだった。

自分と同じく傀儡となった少年。

記録師という役割を与えられ、閉じ込められていた少年。


名前も持たなかった。

哀れに思い、名を与え、食事を与え、棲み処を与えた。


『ありがとう、デイリア!』


その少年は屈託なく笑った。

己の名を呼んでくれるものがいる。その事が、これほどまでに嬉しい。

そんな当たり前のことに久方ぶりに気付いた。


イリオスは記録師だった。

だからデイリアという名前を知っていた。

そして己の罪も。


それでも彼は言った。


『デイリアはボクにたくさんのものをくれた!ボクはデイリアが大好きだよ!』


きっと、イリオスを追って国の者が来るだろう。


彼を連れて逃げようかとも思った。

だが、彼は逃亡生活ができるほど強くはない。

教会に繋がれていたせいでひどく貧弱だ。


なら、もう諦めよう。


そう思った瞬間、デイリアの心は静まった。

怯えは消え、死を受け入れようと思った。その代り一つの願いが生まれた。


デイリアの心に明かりを灯してくれたイリオス。

彼が幸せに生きられますように。

そう願った。


そして―


デイリアは机の上に置かれた手紙を見やる。


思いがけず出会った、最後の同胞。

どう運命が転がったのかは知らない。

だがおそらく彼女はエレフセリアの子。

彼女がどうか生き延びて幸せを享受できますように。


「これでよかったのだ」


穏やかな気持ちで、デイリアはもう一度呟いた。



就寝準備を進めるデイリアは、ふと、耳に音を拾う。


何者かがこの家に近づいてきている。

デイリアは剣を携え、窓の端から辺りを窺う。

デイリアは舌打ちをした。


窓の外に見えるのは、一面の赤。

赤い面をかぶった人間たちがデイリアの小屋を囲んでいた。


ドアがノックされる。


「何用だ。エーヌの民よ」


デイリアの声に、澄み切った声が返す。


「ごきげんよう。デイリアさん、扉を開けても?」

「言わずとも開けるのであろう」

「ええ、そうね」


声の主が扉を開いた。

金の長い髪に赤い面をかぶった女。エーヌの民の長。


仲間になれと、何度もデイリアの元を訪れてくる。

デイリアは、それをいつも断る。

もう人を殺すつもりはない。


今晩くらいは静かにしてほしいのだが。


「生憎、いつものような勧誘ならお断りだが」

「ふふ、今日は違うの」

「何?」


彼女が合図をすると、外から赤い面達がなだれ込んでくる。

抵抗するデイリアを数で圧倒し、締め上げる。


「どういうことだ。エーヌの長よ」

「デイリアさん。貴方には、囮になっていただきたいの」

「囮?」

「そう。貴方を追ってやってきた私の可愛い可愛い娘を捕まえるための」

 

女が面を外す。

碧い目が暗い色に燃えている。

だが、それ以外はひどく似ている。

昼間に会った赤い髪の少女、アリシヤに。


「…やはり、あの少女はエレフセリアと貴殿の子か。レジーナ姫」

「ええ、そうよ」


レジーナはからからと笑う。


「私はあの子が欲しい。あの子もきっとこの国を恨んでいるはず。だから私とあの人の大切な子、あの子と共にこの国を壊すの」

「国の姫でありながら国を壊すなど、世迷い事を」

「私はもうこの国のものではないわ」


レジーナの鋭い視線が、デイリアを射貫く。


「私は、魔王エレフセリア様の伴侶。そして彼を奪ったこの国を憎悪するエーヌの民の長」


彼女の薄い唇が恍惚に歪む。


「壊すの…私は全てを。そのために協力してね、デイリアさん」


デイリアは唇を噛んだ。

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