第48話 交渉

「それで、タリスを見張りに置いてアリシヤさんが下山してきたわけだな」


リベルタの問いにアリシヤは頷く。

街で情報収集してきたリベルタとロセと合流し、事の次第を伝える。


「おそらく、デイリアさんとともにいる、イリオス少年。彼が記録師であると思います」

「そうか。街では一切情報がなかった。その男、いや、デイリアのところに行きたいな」 


リベルタに促され、アリシヤは元来た道を行く。


時刻は夕暮れになっており、森は薄暗い。

迷わず行けるだろうか。

不安になったアリシヤだったが、目的の小屋までなんとかたどり着く。


小屋の外で、タリスが座っている。

リベルタが見えると、タリスは立ち上がり軽く礼をして、何かを告げている。


アリシヤは目的の地に辿りつくことができ、安堵の息をついた。

そして、先ほどから気になっていたロセの方を振り返る。


「ロセさん、顔色が悪いですが、大丈夫ですか?」

「…ええ、大丈夫よ」


あまり大丈夫ではなさそうだ。

その声は暗い。


「マフラー貸しましょうか」

「いいえ。そういうことではないの」


ロセは力なく笑った。

そして視線をリベルタの方に移す。


ロセは黙ってリベルタの様子を見ていた。

アリシヤもつられてそちらを見る。

視線に気づいたのか、リベルタがこちらを見て、にこりと笑う。


「深刻そうな顔するなって。さて、俺らに気づいて扉の前で待っている、赤の悪魔に会おうじゃないか」


リベルタがそういうと、扉ががたりと音を立て、開く。


「やはり分かっていたか。死神よ」


デイリアは右手に剣を携えている。

リベルタも剣を抜く。


「死神なんて久しぶりに呼ばれた。なぁ魔王軍のデイリアさんよ」


リベルタの殺気にアリシヤは震える。

このままでは、殺し合いが起こる。


だが、口をはさむことができない。

空気が張り詰めていて、声も出せない。


リベルタが剣を構える。


「さて、デイリア。何か言い残したことはあるか」

「ああ、ある。多くあるのだ。死神よ」


リベルタとは反対にデイリアは剣を鞘に納めた。

リベルタが目を見開く。


「なんだ。逃げも隠れもしないってのは本当か?」

「ああ」


デイリアは剣を地面に置く。


「死神よ。交渉をしよう」

「魔王軍の幹部と?」

「ああそうだ。頼みたいことがあるのだ」


デイリアは言った。


***   

 

デイリアは、アリシヤ、リベルタ、タリス、ロセを小屋に招いた。


「椅子はない。勘弁されよ」


一つの椅子には、イリオスが座っている。

イリオスの顔は浮かない。

目が赤い。涙を流しいたのかもしれない。


「さて、死神よ。部下から聞いているだろうが、彼がこの街の記録師だ」


リベルタがイリオスの前に跪く。

イリオスはぷいっとそっぽを向いてしまった。


「こんにちは。記録師様。お伺いしたいことがございます」

「…なに?」

「タリスの出身地をご存じだったそうですね」

「うん、そうだよ。それが?」

「タリスの生存。何色の文字でしたか?」


アリシヤは首をかしげる。

リベルタの質問の意味が分からない。

だが、イリオスは当たり前だという風に答えた。


「赤色」

「そうですか」


リベルタは満足げに頷いた。

リベルタは立ち上がり、デイリアに向かい合う。


「嘘は言っていないようだな」

「嘘を言って得をすることは何もない」

「じゃあ、本当のことを話してもらおう。どうして記録師様を誘拐した?」


その問いにデイリアは首を横に振る。


「誘拐したのではない。森に転がっていたのだ」

「信じられないな」

「じゃあ、ボクが話すよ」


椅子に座ったまま、イリオスが口を開く。


「時は、一月と一週間前。時刻は深夜。行動を起こしたのはボク。その日は神の間が開いていた。原因はジリオというシスターの鍵の閉め忘れ。結果ボクは逃げ出した」


妙な語り口だ。

簡潔でまるで他人事のようだ。


だが、アリシヤは気づく。

彼は記録師なのだ。この国の記録を綴っている。

それに沿う形になっているのだろう。


「インノがデイリアを恐れていることは知っていた。だから、この森に逃げてきた。まともに食事もとっていなかったから、ボクは倒れてしまった。そこで助けてくれたのが、デイリア」


イリオスがリベルタを睨む。


「これでいい?」

「いえ。記録師様、お尋ねします」


リベルタが再びイリオスの前に膝をついた。


「どうして、教会から逃げ出す必要があったのですか?」


イリオスはぐっと唇を噛んだ。

そして、何かを決意したかのように着ていたセーターを脱いだ。

アリシヤは息を呑んだ。


現れたイリオスの白い肌。

そこにはいくつもの痣や傷が刻まれていた。


イリオスが肩に付いた切り傷を指さす。


「これは五年と三か月と四日前にインノからつけられた傷」


次に腹の直りかけの痣を指さす。


「これは一か月と九日前にシスターたちから蹴られてできた痣」


イリオスはセーターを着る。


「どの傷も全部説明できるよ」


昼間見た無邪気な彼とは違い、その目には暗い光を宿していた。

アリシヤはぞっとする。

イリオスにではない。教会の人間にだ。


「どうして…」


アリシヤが思わず漏らした言葉にイリオスが俯く。


「ボクだって分からない。わかるのは、奴らはボクを痛めつけて当然の存在だと思ってるってことだけ」


あんまりではないか。


アリシヤは絶句する。

ロセが強く歯を食いしばったのがわかった。


「インノ…っ。腐っているとは思っていたけどそこまでとは」


ロセが怒りに震えている。

当然だ。


神の遣いとしての記録師。

記録師を痛めつける司祭など神に仕えるものとして失格だろう。


「なるほど。そりゃ、教会も神の間を見せてくれないわけだ」


リベルタの言葉にアリシヤはハッとする。


インノは神の間は見せられないといった。

きっとイリオスを虐待した跡が残っているのだろう。


「そこで交渉だ。死神よ」


デイリアが静かに切り出した。


「イリオスを、二度と記録師に戻さないで欲しい」

「どういった目的で?」


リベルタの問いに、デイリアが小さく笑う。


「そのままの意味だ。私は彼に自由になってほしいのだ」

「それに払う代償は?」


デイリアは右手を胸にあてた。


「この私の身柄だ」


リベルタは目を見開く。


「悪魔と呼ばれたあんたが、人のために自らを犠牲に?」

「イリオスのためではない。私のためだ。私の自己満足、それだけだ」


デイリアの穏やかな笑みが、アリシヤの中の記憶を呼び覚ます。

いつかルーチェと交わした会話が蘇る。


「ねぇ、ルーチェ。どうしてルーチェは私を育ててくれるの?」


幼いアリシヤは問いかけた。

確か、赤い髪を狙ったゴロツキに襲われた後だった気がする。

ルーチェは静かに微笑んだ。


「約束があったんだ」

「約束?」

「でも、今は違う。私は、お前に生きていてほしい」

「どうして?」

「どうしてかな。理由は分からない。ただの自己満足さ」


ルーチェの姿と、デイリアの姿が被る。


ルーチェはアリシヤの自由を願っていた。

その点も重なるのかもしれない。胸が締め付けられる。


デイリアはきっと身柄を拘束され、そして殺される。


イリオスが目に入る。

木の椅子に乗せた手を握り締めて、唇をきつく結んで、必死に何かに耐えている。


リベルタが頷いた。


「受け入れよう」

「かたじけない」


デイリアがリベルタに頭を下げた。


「あと、もう一つ。最期の夜くらい静かに眠りたい。悪いがこの森から出て行ってほしい」


デイリアは言った。

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