第39話 失う

スクードが生まれたのは、北の都市ノルドの街だった。

父親は代々続く街の城主でスクードの一家は裕福な方だった。


それでも、スクードは、街の子供たちと遊び、時にやんちゃをし、親に怒られる、ごく普通の子供だった。


スクードの生活が一変したのは九歳の時だった。


スクードには兄がいた。

国中を旅し知恵を蓄えた賢い兄だった。

彼の名はディニタといった。


スクードとは十歳年が離れていたがディニタはスクードを大切にしていたし、スクードもまたそんな兄が大好きだった。


ある日の事だった。

ディニタは家族の前でこういった。


「僕は賢者に選ばれた」


来るべき魔王の復活に向けて、若いディニタは“賢者”として勇者を導く役割を与えられたのだ。


「そして、勇者の盾“スクード”に選ばれたのはお前だ」


そういってディニタは幼いスクードの手を取った。

それからはスクードにとって地獄のような日々だった。


仲の良かった友人との縁を全て切られ、毎日、勉学と剣術ばかりをさせられた。

泣いていやがっても、もう体が動かないと訴えても、ディニタは聞いてくれなかった。


優しい兄はいなくなってしまった。


スクードは泣いた。

毎日毎日、自分の部屋で泣いて眠った。

だが、その頃のスクードには一つ、心の支えがあった。


暗い部屋の中、スクードは目を真っ赤に腫らして泣いている。


「入るね」


優しい母の声。

彼女は、ベッドサイドに座りスクードを優しく抱きしめた。


「また泣いているのね。かわいそうに」


スクードにとって母だけが心のよりどころだった。

もともと無口な父は何も言わなかったが、母だけはこうしてスクードを慰めてくれた。


彼女はスクードが“スクード”という役割を与えられたことがどれだけ苦痛か分かってくれていた。


だから悲劇が起こったのだ。


ある晩のことだった。


「逃げましょう」


彼女はスクードに言った。


二人は走った。北の街の冬は寒い。

凍てつくような風の中、二人は走って走って逃げた。


行く当てもないまま、運命から逃れるために。


森の中、走り疲れた二人は木陰で休憩を取る。

極度の緊張と疲労で、スクードの瞼は下がってきていた。

その様子を彼女は優しく見守っていた。


「大丈夫よ。私がいる。ゆっくりお休み」


彼女はそういった。

スクードは母の腕に抱かれて暖かに眠った。


次に目が覚めたら、いつもの部屋のベッドの上だった。


そこからは何も変わらない日々が始まった。

朝から勉学剣術を仕込まれる毎日。


母と逃げたあの時間は夢だったのだろうか。


スクードはそう思った。

そして夢であったらどれほどよかったのだろうと思った。


変わらない日常の中、変わったことが一つ。

大好きな母がいなくなっていた。


スクードは兄であるディニタに聞いた。


「お母さんは?」

「殺した」


ディニタは短く答えた。


それ以来、スクードはディニタのことを兄と思ったことはない。


***


それから五年がたった。


スクードは何度もディニタから逃れようとした。

殺そうともした。

いずれも失敗に終わった。


厳しい折檻を受けるうちにスクードの心は凍っていった。


何をやっても無駄なのだ。

自分はスクード。

ただの勇者を守る盾。

そして勇者を守り抜き、魔王を倒した後、ある使命を果たす。

そのための道具だ。


彼と出会ったのはそんな時だった。


ついに魔王が復活した。


その知らせを受けて、ディニタとスクードは、王都へ向かう。

城の中の玉座の間。

ここで、スクードが守るべき勇者と出会う。


勇者に選ばれたのは、スクードより一つ年下の少年だという。


亡くなった両親の代わりに育ててくれていた祖父と離れ、この王都で修業をしていたらしい。


だが、スクードはそんなことに興味はなかった。

その人間を守ること、それだけがスクードの興味であり、存在価値であった。


「はじめまして。俺はリベルタっていうんだ。これからよろしくな。スクード!」


白髪に褐色肌の勇者の少年は屈託なく笑った。

蒼い瞳がどこまでも澄み切っていた。

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