第34話 庭師のフレア

中庭まで下りてきたが、先ほどの場所に女性はいない。

あたりを見渡していると、少し奥まったところに彼女はいる。


「こっちよ」


鈴の音のような綺麗な声だ。

手招きされるまま、アリシヤはそちらに向かう。


木々の生い茂ったその庭の一角。

アリシヤが来たことのない場所だ。


それもそのはず。

ここは、王族のための庭で、普段は柵があり、鍵がかけられている場所だ。


その柵の鍵が開いている。

さすがに入るのがためらわれて、アリシヤはその柵の前で立ち止まる。


「大丈夫、中に入ってきて」

「でも―」

「…私はここの庭師なの。私が許可を出せば誰でも入れるわ」


アリシヤはかなりためらったが、その庭に一歩踏み出す。


「わぁ」


アリシヤはその光景の美しさに声を上げた。


様々な木々がそこには植わっており、冬だというのに花を咲かせているものもある。

地面には芝が敷かれていて、丁寧に管理されているのがわかる。

その真ん中に格調高い机と椅子。

白と青を基調とした調度品だ。


「さぁ、こちらに」


彼女はアリシヤをその椅子に勧める。

アリシヤはおずおずと腰を下ろす。


彼女は金色の髪をなびかせ、アリシヤの前の席に座る。

碧い目が美しい。


「私はフレアと言うの。ぜひ一度あなたとお話がしたかったの」


フレアはにこりと笑う。

その笑顔は屈託がない。人を惹きつける笑顔だ。

アリシヤはその笑顔に見とれていたがふっと我に返る。


「私はアリシヤと言います」

「ええ、もちろん知っているわ」

「あの…申し訳ないのですが、どこかでお会いしたことがありますか?」


フレアは首を横に振る。


「いいえ。直接お会いしたことはないわ。私が一方的にあなた達を見ていただけだから」


ますます謎が深まる。

アリシヤは首を傾ける。


「どういうことでしょう?」

「いつも、タリス君とロセちゃんと楽しそうに話しているでしょう?仲がよさそうでいいなって思っていたの」


彼女は顔の前で嬉しそうに手を合わせる。

アリシヤは気づく。

その手はあまりにも美しい。

彼女は自身を庭師と名乗ったが、傷一つない手。おそらく違う。


彼女の意図は読めないが、悪い人ではないと思いたい。


アリシヤは彼女の言葉に応える。


「いえ、タリスさんとロセさんはいつも喧嘩をしてますよ?」

「あら、そうなの?でもそれも楽しそうじゃない」


にこにこと笑う彼女。

あの喧嘩が楽しそうに見えるのか。

アリシヤは複雑な気持ちだ。


アリシヤの表情を見て取ったのかフレアはふふ、と笑う。


「喧嘩できるっていうのはとってもいい事よ」

「そうですか?」

「ええ、いなくなってしまったらもうできないから」


そういってフレアは寂しそうに笑う。


「昔、私にも仲のいいお友達がいたの。少し話していいかしら」


彼女の意図が読めないまま、アリシヤは頷いた。



フレアはどうやらいいとこの生まれらしい。

外に出かける時はお付きの人間が必ずいたそうだ。


「とっても堅物でめったに笑わないの」


そのお付きを連れて、親に内緒でこっそりと外に出ていた時だ。

ある街の酒場で二人の青年に出会った。

一人はとても賢い妹思いの青年。


「そして、もう一人は貴女のように赤い髪を持った優しい青年だった」


アリシヤは目を見開く。


話が思わぬ方向に向かっている。

彼女はこのことを話したかったのか。


フレアは彼らと知り合い、何度も言葉を交わした。

そして決めた。この国を守ろう、と。


「そうして、私たちはそれぞれの役割を果たすことに決めたの」

「役割?」

「そう」


フレアは頷く。


そして彼らはばらばらになって国を守るために奔走した。

亡くなってしまったものもいる。


「だから、貴女は友達を大事にしてね」


フレアがにっこりと笑った。

だが、アリシヤは笑えない。

彼女の言った話が何かとてつもなく恐ろしいことを暗示しているかのようで。


アリシヤは尋ねる。


「フレアさん。その赤い髪の御友人は―」

「彼の名はエレフセリア」

「エレフ、セリア…」

「そう。貴女のように友人と笑い、家族を大事にする優しい青年だったわ」


ばくばくと心臓が高鳴る。

聞いてはいけないことを聞いているかのようだ。


彼女の知り合いのエレフセリア。

彼は、アリシヤの父親ではないか。

そして、もしかすると―。


「彼は魔王ではないわ」

「へ?」


己の推測を否定されて、アリシヤは思わず間の抜けた声を出す。


「ただの心優しい青年だった。皆、そう。」

「皆?」

「ええ。私もディニタも、アウトリタも、皆ただの人。何も特別なことはない」


アリシヤは息を呑む。


先ほどフレアの話に出てきた友人や、お付き。

それが、ディニタやアウトリタの事なのだろうか。

ディニタは勇者リベルタを導いた高名な賢者、そしてアウトリタは女王フィアのお付きであるはずだ。


だと言うことは―


「フレアさん、あなたはもしかして―」


フィア女王ではありませんか。

アリシヤのその言葉を遮るように、フレアは唇に指をあてた。


「私はフレア。ただの庭師よ」


ますますわからない。

フレアは、いや、フィア女王はどうしてアリシヤにこの話をしたのだろう。

アリシヤは混乱する。何を求められているのだろう。


「アリシヤ」

「は、はい」


澄んだ声で名前を呼ばれアリシヤは身を固くする。


「貴女はいずれ“真実”を知るでしょう」

「え?」

「“フィア”は貴女を助けることはできない。だけど、“私”は貴女の幸せを願っているわ」


アリシヤの頭の中で何かがつながった。

これはいつもルーチェが言っていたこととかかわりのあることだ。

今日、この日にアリシヤが知るはずだった真実。

それを彼女は知っている。


「フィア女王」


低い声に二人は顔を上げる。

見ればアウトリタが不服そうな顔をして、二人を睨んでいる。


「職務にお戻りください。皆がお待ちです」

「分かりました」


フレアは立ち上がり、ふっと、髪留めを解いた。

金の長い髪が風になびく。

その時にはフレアの親しみのある表情ではなく一国の女王の顔になっていた。


そのまま去ろうとするフィアの後ろ姿に、アリシヤは叫ぶ。


「教えてください!“真実”とは何なんでしょう!」


フィアが振り返る。そして、静かに告げる。


「フィアは貴女を助けることができない」


先ほど、彼女が言った言葉だ。

続けてフィアは言った。


「貴女には時が満ちれば真実を告げます。今ではない」

「それは、いつですか?」


彼女はそっと笑った。

冷たい笑みだった。


フィアとアウトリタはそのまま去っていった。

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