第二章 慰霊祭
第7話 はじめての仕事
「アリシヤちゃん、スープ温めてくれない?」
「わかりました」
王都にある小さな酒場“オルキデア”の厨房で、アリシヤは答える。
アリシヤが王都に来て一か月がたった。
それは、オルキデアでアリシヤが働き始めてから一か月たった、と言うことでもある。
食事の用意を手伝うアリシヤの手際の良さにセレーノが関心を示し、アリシヤをスカウトしたのだ。
もちろん働き口のないアリシヤは喜んでセレーノの申し出を受けた。
だが、アリシヤには一つ心配があった。
「おい、赤いの」
客の声にアリシヤはカウンター越しの厨房で顔を上げる。
そう、アリシヤは赤い髪に赤い目。
人々に恐怖と嫌悪をもたらす外見なのだ。
「ビール頼むよ」
「かしこまりました」
商人風の客の注文にアリシヤはビールをグラスに注ぎ、運ぶ。
「ありがとよ。で、どうだい?」
「といいますと?」
「仕事は慣れたか?」
その問いにアリシヤは顔をほころばせて答える。
「はい、おかげさまで」
「おお、それは良かった。ちんまいのによく頑張ってるなぁ」
男の言葉にアリシヤは礼を言い、お辞儀をする。
アリシヤの不安をよそに、この店の客は優しかった。
はじめこそアリシヤを恐れたものだが、ひと月もすれば打ち解けていった。
それは、リベルタが初日に放ったあの言葉が町に噂として流れていったおかげでもあったし、何より、セレーノの人柄によるものが大きかった。
アリシヤにとっては自身がこうして働けることが何より新鮮で、不特定多数の人々から優しく声をかけてもらえるなど想像もしたことがなかった。
客がまばらになってきた午後八時、セレーノが看板を下ろす。
三十分もすると客たちは皆去って行った。
「ごめんね、遅くまで」
「いえ、大丈夫です」
昼時から夕飯まで。月曜日から金曜日まで。
それがオルキデアの営業時間だ。
中々繁盛しているため、アリシヤも休む暇なく働く。
四人掛けの客席で二人で夕食を取っていると、おもむろにセレーノが立ち上がり、カウンターの引き出しを探り出す。
「忘れないうちに…アリシヤちゃん」
「はい」
「はい!お給料!」
セレーノが花柄の可愛らしい袋を両手で持ってアリシヤに差し出す。
「お給料って…そんな!?住まわしてもらってご飯も頂いてるのに、お給料までいただけません!」
アリシヤは顔の前で手をぶんぶんと振ってセレーノの申し出を断る。
「いや、正直助かってんの。タリスが正式に勇者様の側近になってから人手が足りなくてねぇ」
「でも」
「いいの。こういう時はもらっとくんだよ」
そういって押し付けられた袋をアリシヤは受け取る。
「ありがとうございます…」
「そうそう、いい子。好きなことに使いなさい」
「好きなこと…」
アリシヤは首をかしげる。
今までろくに外に出たことがなかったから、ものを買うという習慣がない。
そもそも、ルーチェとの生活はかつかつだったため、好きなものに使ったためしはない。
それを申し訳なく思っていたのだろう。
誕生日の時は好きなものを買ってくれた。
何度も読み返した『勇者伝説』。
あの本も誕生日にもらったものだ。
自分でお金を使ったことがない。
だから、自分から欲しいものがいまいち浮かばない。
アリシヤが首をひねっているとセレーノが手を打つ。
「そうだ、アリシヤちゃん。今週末お出かけしない?」
「お出かけ」
「そう、こっちに来てから休日ちゃんと遊んでないでしょう?それに今週末はお祭りだから」
「お祭り、ですか」
「そう、レジーナ姫の慰霊祭なの」
確か、客たちがそんなことを口にしていたような気も。
セレーノに詳しいことを訊こうと、アリシヤが口を開きかけた時、店の入り口が開く。
タリスが仕事を終え帰宅したのだ。
「ただいま」
「おかえり」
おかえりなさい、とアリシヤがセレーノに続くと、タリスは爽やかに微笑む。
「可愛い女の子がこうやって迎えてくれると今日一日の疲れも飛んでしまうよ」
「愚弟、アリシヤちゃんにナンパしてないで早く席に着きなさい。さっさと夕飯取る」
「わかりましたよ、お姉さま」
セレーノとタリスのこういったやりとりを見ていると、アリシヤの心はほころぶ。
セレーノはちょっと口が悪くなり、タリスは子供っぽくなる。仲良し姉弟だ。
タリスは携えていた剣を下ろし、荷物を置くとさらりとアリシヤの隣の席に着く。
そして、アリシヤに向き合う。
「アリシヤちゃん、今週末は空いているかな?」
「え」
アリシヤは思わず驚きの声を上げる。
セレーノと今週末の話をしていたところだ。
空いている、と答えるとタリスはにっこりとほほ笑む。
「じゃあ、僕とデートに行きませんか?」
この人は誰にでもこんなことを言うのだろう、などと頭によぎる。
この一か月でタリスが女性に対して見境がないことがはっきりとわかっていた。
アリシヤは早くも悟っていた。そういうヒトなのだなぁ。
そんなアリシヤの内心に気が付いたのか、タリスが言葉を付け加える。
「もちろんアリシヤちゃんと僕の二人だよ?他の人間は誘わない」
「あ、はい」
「そんな冷めた目でみないで、ね?」
タリスとアリシヤがそんな会話をしているうちにセレーノは手早く、タリスの分の食事を整えていた。
「はい愚弟。馬鹿なこと言ってないで、さっさと食べる」
「はーい」
「あと、アリシヤちゃんとのデートの約束は私が先に取りつけたから」
セレーノの言葉に、フォークを手にしていたタリスが手を止める。
「姉さん、今、なんて?」
「慰霊祭のアリシヤちゃんとのデート権は私が取り付けた!先着順だ!ね、アリシヤちゃん」
いや、まだ確か行くとは返事をしていないはずなのだが。
少し迷ったが正直にそう答えると、タリスの目が輝く。
「どうだ、姉さん。そうなると俺にも勝率がある」
「タリスさん、一人称『俺』なんですね」
ふと違和感を覚えてアリシヤがそういうと、タリスはしまったという風に口元を抑える。
「まあ…時々、そういうこともあるんだ」
「あはは、アリシヤちゃん。この子、紳士ぶってるけど昔は—」
「はい、この話はおしまい!もう仕方ないな、三人で祭り行こう!それが一番いい」
昔は何だったのだろう。
だが、タリスが居心地が悪そうなのでこれ以上追及することはやめにした。
それに何より、タリスの提案は魅力的だ。
「私も三人で行けたら嬉しいです」
アリシヤが口にすると、セレーノも仕方ないと言って笑った。
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