第6話 オルキデア

『酒場“オルキデア”』と書かれた品の良い看板が下がっている。

レンガ造りの建物で二階建て。

この形だと、下は店、上は従業員の住まいであろう。


「ただいま」


タリスが扉を開ける。


扉の向こうはカウンターといくつかの客席がある、小さくとも洒落た内装の酒場であった。

今はまだ昼だからだろうか。客はいない。


「おかえり、タリス」


カウンターの奥にある階段を下りてきたのはタリスと同じ茶色の髪をハーフアップで結んだ綺麗な女性だ。


「紹介するよ、アリシヤちゃん。こちら、俺の姉でこの酒場の主人。セレーノ姉さん。年は—」

「いらないことを言わない。とりあえず、座ってね」


セレーノは、タリスを声で制すと入り口で立っているアリシヤにカウンターの席を勧める。

アリシヤはちょこんと席に収まる。リベルタもその横に座る。


「姉さん、上の部屋一個空いてたよな」

「うん、物置にはなってるけどすぐ片づけられるよ」


それを確認すると、タリスはうんと頷き、アリシヤを見据える。


「アリシヤちゃん。もしよかったらここで住まないかい?」

「え」

「いいよな、姉さん」


タリスがセレーノを振り返ると、セレーノは頷く。


「こんな可愛い子なら大歓迎だよ」

「うん、だよな。どうかな?アリシヤちゃん?」


聞かれてアリシヤは答えに困る。

どうかなも何も、こんなありがたい話はない。

今の自分は住む場所も働き口もないのだ。そこでハッとする。


「でも私、家賃払えません」

「いいの、いいの。そんなこと気にしないで。タリス、ちょっと上、片づけてきて」

「はーい」


タリスは返事をして階段の奥へ消えていった。

アリシヤはぽかんとする。


「よーし、じゃあ今日はアリシヤちゃん?で合ってる?」

「は、はい」

「アリシヤちゃんの歓迎と言うことで、お店閉めて豪華な夕食作っちゃおう!」


カウンターの中に入り、セレーノが食材の準備を始める。

アリシヤは思わず声を上げる。


「ま、待ってください!」

「なあに?」

「私、何もできないのにそんなよくしてもらうことはできません…!」


そもそも、セレーノは判断が早すぎるのだ。

普通居候など受け入れたくないだろう。

加えてこの赤い髪に赤い目だ。

それをこんなに即決してしまって大丈夫なのだろうか。


「いいの。今は」

「え?」

「アリシヤちゃん、今、ひどい顔してる」


アリシヤは思わず自分の顔を触る。そんな変な顔をしているだろうか。


「ああ、そうじゃなくって。疲れ切った顔をしてる。何か訳ありなんでしょう?」


アリシヤは言葉に詰まる。


「なんかさ、昔の私たち見てるみたいでさ」

「昔の?」

「ええ。私たちの故郷は魔王に滅ぼされたんだ」


アリシヤは返答に困る。

こんな明るい女性にそんな暗い過去があるとは思えない。

だが、嘘をついていないことはわかる。

タリスと同じ緑の瞳がまっすぐにアリシヤを見つめる。


「今のアリシヤちゃんの顔が、過去の自分と重なっちゃって。だから、助けさせて欲しいの。だから、タリスもここにあなたを連れてきたんじゃないかな」


とりあえず、といってセレーノが水を差し出してくれる。

アリシヤは礼を言ってその水を一口飲む。

そして、セレーノに向かい合う。


「…私は、赤の髪に赤の瞳です。恐ろしくはないですか?」

「ないよ。だってアリシヤちゃんは悪い子には見えないもの」


ああ。この姉弟は普通の人たちとは違う。

ちょっと変わっている人たちなのだ。それが、こんなにも嬉しい。

アリシヤは頭を下げる。


「ありがとうございます。これからご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしく」


セレーノがはにかみ手を伸ばしてくる。

アリシヤはその手を握った。暖かくて優しい手だった。


と、横で鈍い音が鳴る。


さっと顔を上げたリベルタであったがアリシヤは見てしまった。

おそらくセレーノも。

リベルタは少し視線を外す。


「見た?」

「み、見ました」


机に腕をついてうとうとしていたリベルタが、態勢を崩し机に頭を打ち付けたのを。

アリシヤが答えると、リベルタは頭に手をやり照れ笑う。


「見なかったことにして」

「わかりました」

「アリシヤちゃん。そんな神妙な顔しなくていいよ。よくあることだから」

「酷いなー、セレーノさん」


そう言ってリベルタは頭を掻く。


あの『勇者伝説』の本で読んだ勇者のような完璧な人だと思っていたが、どうやらそうではない一面もあるらしい。

なんだか意外だ。アリシヤは目を丸くする。


「とりあえず、簡単に動かせるものは動かした。あとは掃除かな」


そういってタリスが階段を下りてくる。


「ちょうどよかった。夕飯作るの手伝って」

「はいはい」

「私も手伝います」


アリシヤは立ち上がり腕をまくる。


「アリシヤちゃんはお客さんだから座っておく」


タリスに言われ、不服な顔をしながらも大人しく席に着くアリシヤ。

手伝おうと立ち上がるリベルタをあたふたと止めるセレーノ。


露店でもらった材料も加え、豪華な夕飯が出来上がる。

暖かな食卓を囲みながらも、アリシヤの心は重く沈む。

ここにルーチェがいたらどれほどよかっただろう。

だが、アリシヤは首を横に振る。


こんなにいい人たちに会えたのだ。


ルーチェは言った。


『今を大切にするんだぞ』


アリシヤはその言葉を思い出し、暖かく美味しいご飯をほおばった。

アリシヤが王都にやってきて一日目の夜の事であった。

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