六 暁郷
「──よう悪ガキ、まーた脱走かい?」
先客にそう声をかけると一瞬目を見開いた後すぐに拍子抜けしたような表情を見せる。
「……何だ、あんたか」
「うっわ何だよその態度、もしかして俺ナメられてる?」
「頭がイカレてないマトモな奴だとは思ってる」
「お、おう……何か物凄く意外な答えが返ってきたな……」
「他の奴だったらまずオレに話しかけたりなんかしないだろ」
「まぁ問答無用で捕まえようとするだろうなぁ」
「そうしないだけあんたはマシだ、ろくでなし具合は他の奴と大差ないけど」
「こ、この悪ガキ……」
言い分を頭ごなしに否定できないのがまた小憎たらしい。
「タバコ、吸いに来たんだろ?やっぱりろくでなしだ」
「最低限の喫煙マナーは守ってるっての。ほら、受動喫煙が嫌ならあっち行きな」
「……なぁ、タバコってうまいのか?」
「お、脱走の次は未成年喫煙か?悪ガキ街道まっしぐらだな」
「良いから教えろよ!」
どんなに口が達者で生意気でもからかわれたらすぐムキになる辺りはまだまだ子どもだ。
「まぁ口に合うかは人それぞれ、だな。試しに一本吸ってみるか?」
「……気にはなるけどあんたから受けとるのは何かヤダ」
「はっはっは、実に正しい反応だがそれはそれとしてムカつくなぁ悪ガキ」
腹いせに煙を吹きかけてやろうか。
そうすりゃタバコへの興味も失せるだろ。
「よーしよし、ちゃんとこっちに来てるな」
低く唸る女の声、床を這いずる音、そして噎せ返るような花の香り。
判断材料としては充分だ。
「俺かセンセイどっちかを追いかけるなら俺一択、そう判断してくれるお陰でセンセイは無事逃げ切れる。いやぁまさに計画通り」
「ウウ……!」
「おー怖い怖い、そんなに睨むと折角のかわいいお顔が台無しだぞー……って聞いてるワケないか。鏡花の毒にやられた頭は花を綺麗に咲かせることしか──」
「オマエ、ウソツキ、オマエ、キライ……!ダカラ、コロス……!」
「……いくらなんでも俺のことが嫌いすぎるだろ。正直ぞっとしたぜ、ズタズタどころか原形を留めてない自分の死体を見た時は。何でわざわざあそこまで──」
「ウソツキハコロス、ウソツキハコロス、ウソツキハコロス」
「先生の話以外は聞く耳持たず、か。ほーんとおっかないお嬢さんだなぁ」
とりあえずもう少し逃げて──
「……っとと、行き止まりか」
「コロス、コロス、コロス」
「あー……詰んだかぁ」
これは死んだな、いやもう死んでたか。
──そういえば幽霊って殺せるのかねぇ。
「暁郷!聞こえたら返事をしろ!」
何も考えずに逃げ回っていたせいで自分がどこを通ってきたのか、いつ暁郷とはぐれたのかが全く分からない。
確かこっちに進めば展示場に戻れたはずだが──
「む?これは……」
ふと視線を向けた先──廊下の隅に落ちていたのは表紙がズタズタの手帳。
中の頁は無事だったらしく、書いてあることも問題なく読み取れる。
「研究員の私物……今となっては遺品か」
ここで行われていたことの大半は暁郷から聞き出せた──向こうが殆ど勝手に喋ってくれたが、まだ解けていない謎は残っている。
「……暁郷を探すのはこれを読み終えてからだな」
どうせあいつは幽霊なんだ、死ぬ心配をする必要は無い。
苗娘の扱いにくさには困ったものだ。
従順な方向に狂ってくれればもっと楽ができるのに、と思うのは高望みだろうか。
とはいえ華峰先生の愛娘である蕾美お嬢さんと違って少しはこっちの話にも多少は耳を傾けてくれるだけマシだと思っておこう。
そう楽観視しなければこの先やっていける気がしない。
ここで働けることを奇跡とばかりに喜んでいた頃の自分を殴り飛ばしたい。
この研究所には狂人しかいない。
より美しい鏡花を咲かせようと躍起になる先生も、それを手伝う研究員達も、そして何より──
俺もいずれ、狂人の仲間入りをしてしまうのだろうか。
それとももう手遅れなのだろうか。
例の脱走した悪ガキが捕まったらしい。
哀れなものだ。
苦労して掴み取った自由がこうもあっさり奪われるなんて。
あの悪ガキはもう日の当たる場所を歩けないだろう。
待っているのは冷たいガラスケースの中で好奇の目を向けられる日々を送る未来だけだ。
蕾美お嬢さんが自ら望んで苗娘になったらしい。
そうまでして父親の気を惹いて何になるのだろうか、なんて本人の前で言ったらただでは済まないだろう。
先生はいつまでも甘えん坊な娘で困り者だと笑っていたが、あれはそんな次元を超えてる気がしてならない。
見てしまった。
蕾美お嬢さんが先生を、実の父親を──
あんな恐ろしいことをしたのは花の毒に頭をやられたせいなのだろうか。
それとも最初から狂って──
警察を呼ぼうかとも思ったがやっぱりダメだ。
ここでやっていたことの全容を知られる方がまずい。
いくら疑うことを忘れてしまった苗娘たちでも華峰先生が何日も不在なことに疑問を抱き始めている。
適当な嘘で誤魔化すのもそろそろ限界だろう。
もし苗娘たちが先生の身に起きたことを知ったらどうなるか、想像するだけでも寒気がする。
どうにか被害を最小限に抑える方法を考えなくては。
「っ……」
これは、まさか──
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