第4話
引越しの許可をもらったし住むところも決めた三日後、引っ越し先を探して帰って来たら、珍しく家族全員揃っていた。婚約者と同棲を始めていた姉がいたから、よく覚えている。
しかも母は泣いているし、母以外は全員怒った顔をしていたから、何かあったんだと感じたのだ。
「話があるから、先に荷物を置いてきなさい」と父に言われたので素直にそれを実行し、姉の隣に座ると父が質問してくる。なぜか母は顔を青ざめさせていたのがとても印象的だ。
「涼香、お前が働き始めた時から、母さんにいくら渡していた?」
「食費と二人の学費が足りないから、最低でも五万欲しいって言われて、毎月五、六万渡してた。ボーナスが出た月は十万渡したよ?」
「スマホや病院代、薬代は?」
「働いているし、それくらいの給料はもらってるから、当然スマホ代は自分で出してるよ。会社の社会保険に入ってるから病院関係も自分で払っているし、貯金もしてる」
「今もそれを続けているのか?」
「うん。あと、『足りないから一万貸して』っていうのも毎月あって、貸したお金は未だに返してもらってないけど……。なんでそんなことを聞くの?」
「ほう? ……なあ、母さん、話が違うなあ?」
「ぅ……っ」
怒気を含んだ父の低い声に、母の肩が跳ねる。
どういうことなのかともう一度聞くと、私が渡していたお金は母自身が遊びや自分が買いたいものなどに使っていたというのだ。それもご近所には、あたかも自分が働いて得たお金で、私はまったく仕事をしないニートや引きこもりだと言っていたらしい。
しかも、スマホ代や病院代なんかは母が払っている、と。
もっとも、私が出勤する時間や帰って来た時間に会ったご近所の人には挨拶をしているし、会った皆さんはそれを知っている。中には隣同士のビルで働いている人や最寄り駅が一緒の人がいて、駅でバッタリ会った時は最寄駅まで一緒に行ったり職場近くまで行っていたのだから、ニートや引きこもりなどあり得ない。
そしてご近所さんに会えば挨拶もしていた。
それに、働くようになってから病院代などは自分で出していたし、会社の社会保険に入っているから、母にはお世話になったことなど一度もないのだ。
そう伝えたら、父と姉と弟の怒りがさらに増し、母の顔色はますます悪くなった。
というか、なんで私が引きこもり? いくら内気でもそれはないと、そのことに怒りが涌く。
確かに私は喘息持ちだ。
けれど、発作が出ないようコントロールするために毎週病院に通っているし、体調が悪い時は仕事を休んでいる。会社にも診断書を出していて、それを理解し承知のうえで雇ってくれたからこそ、仕事を頑張っていた。
姉が医者になると言ったのは私の病気のことがあったからで、今もそれに向けて頑張っていることを知っている。
「自分で働けばいいものをそれをせず、遊びたいから――楽をしてそのお金が欲しいから、私を大学に行かせないよう、嘘をついたの? 私だってやりたいこともあったし、欲しい資格もあった。それを諦めさせておいて……『仕事してくれて助かるわ』って言っておいて、私やご近所さんに嘘をついて遊んでたわけ? まさか、『私が遊ぶお金が楽して手に入るから、仕事してくれて助かるわ』って意味だったの!?」
「そ、それはっ」
「お母さんのその返事からしてあり得るわね、それ。それに……すずちゃんは小さいころから司書になりたいって言ってたのを知らないわけないよね? それを諦めさせたの!? 信じらんない!」
「うわ、マジ!? 涼香姉ちゃんは病気でも頑張ってたのに! 防大に行く時『お金がないって母さんが電車代くれない』って言ったら、『これを持っていって』って俺に電車代どころか、たくさんこづかいまでくれたのに……」
「ほう? 子供たちにそんなことを言ったのか、母さんは。私は子供三人分の学費を出せるくらい稼いでいたつもりだったし、その金も渡していたが……まさか、使い込んでいたのか?」
「……っ」
「その顔を見るに、図星か。最悪だな」
泣きながら不自然に視線を逸らせた母に、私や姉が、弟や父が母の嘘を怒る。
ああ、だから三人とも怒っていたのか……嘘をつかれたから。父は嘘をつかれるのがとても嫌いな人だ。だからこそ、この怒りようなのだろう。
そして母の嘘がバレたのは、父がご近所さんと帰りの電車で会い、私のことや母のことを聞かれたからだという。
その人も出勤時に私と会って挨拶をし、途中まで一緒に電車に乗ったことがあって、母が嘘をついているんじゃないかって疑っていたこともあり、思い切って聞いたというから驚いた。ある意味その人に感謝だ。
「悪いが、お前とは一緒に暮らせない。自分では働かず、病弱な娘に金を要求してその金で遊ぶなど、正気の沙汰じゃない。涼香の体調は心配だが、みんな独り立ちした。そんなに遊ぶ金が欲しいなら、パートにでも出たらどうだ? 俺と結婚するまでは働いていたんだから、できるだろう?」
「そ、そんな! 今さら仕事なんて……っ」
「何を言っている? 家事をしていたのが涼香や風香だということを、俺が知らないとでも思っているのか? 家事すらしないんだから、働きに行く時間などいくらでもあるだろう? それすらも嫌だというなら離婚しよう。この家から出ていけ!」
義両親と義兄にも連絡すると言った父に母は泣いて縋っていたけれど、父はそれを無視して電話をし、詳しく説明した翌日、伯父が来た――離婚届を持って。父はさっさとサインしたものの母は渋り、それを伯父に怒鳴られて泣きながら離婚届にサインした。
伯父は父や私に謝罪したあと、「必ず返金させる」と言っていたけれど、私も父もそれを拒否した。また嘘をつかれてあらぬことを話されるのも嫌だし、二度と会いたくないからという理由で。
当然のことながら、今後一切この家に近寄らないことと嘘をつかないこと、お金の無心をしないよう念書まで書かせるほど、伯父は怒っていた。
家は弟が継ぐと思っていたからマンションを借りたけれど、弟は自衛官だし家は継げないと言う。姉はもうじき結婚するから、やっぱり継げない。
結局私が継ぐことになったけれど既にマンションの契約をしちゃったから、その期間だけ一人暮らしをして、契約満了で帰ってくることになった。
それからすぐに引っ越し、三ヶ月後に彼が転がりこんで来て半年ほど暮らした。
けれど、出張から帰って来てから体調を崩して長期入院したこともあり、父にお願いして一年未満で解約。移転のことがあったから仕事も辞めていたし、退院したあとはずっと家で療養しながら、自宅でできる仕事をしていたのだ。
父や姉たちに迷惑をかけたくなかったから、入院費は自分の貯金で支払った。ギリギリで足りてよかったと胸を撫で下ろしたっけ。
まあ、結局お見舞いと称して、姉夫婦と母方の伯父から少しお金をもらってしまった。伯父は少しなんて金額じゃなかったので、貯金残高がゼロになることはなかったのはありがたい。
正直に言って伯父からのお見舞いは拒否したかった。けれど、母はともかく伯父は何回も病院にお見舞いに来てくれていたし、祖父母共々本当に心配してくれていた。
それを拒否するのは失礼だし、心苦しかったけれど母とは何の関係もないからと父にも言われ、ありがたく頂戴したのだ。
ちなみに、入院中は祖父母と妊娠中の姉にうつすとまずいからと、お見舞いを断っていたのは余談だ。祖父母は九十近いから余計に。
そして今日、久しぶりに駅前まで出て来た。相当痩せちゃったから行く途中でご近所さんに会ってすごく心配されたけど、「ご心配をおかけして申し訳ありません。今は大丈夫ですから」ときっちり頭を下げた。
しばらく雑談して別れ、休憩していた先で彼の様変わりした姿を見て苦しくなり、買い物をして帰る途中で彼に腕を掴まれたのだ。
***
そこまで話すと、彼は何も知らなかったようで、苦しげに顔を歪めていた。どうして彼がそんな顔をするのかわからない。
「だから、今さら『お見合いの話を知っているか』と言われても、『知りません』としか言いようがないんです」
「涼香……」
「それに、もう終わった話ですよね? 今さらそんな話を持ち出されても困るし、誠志朗さんには奥さんもお子さんもいるじゃないですか」
「……は?」
「とぼけないでください。さっき、綺麗な人と一緒にいて、赤ちゃんを抱いていましたよね。まさか、二人を放り出して私にくっついて来たんですか?」
認めるのはつらいけれど、私はこの人に捨てられたのだ。だから今ごろになってお見合い相手だと言われても困るし、不倫なんて冗談じゃない。
だからこそさっき見た光景を伝えたのに、彼は一瞬呆けたあと、すごい勢いで否定した。
「…………はぁっ!? 妻と子ども!? 俺にはいないから! それにさっき一緒にいたのは兄貴――洋志郎兄貴の奥さんと子どもだ!」
「…………はい?」
確か、洋四郎さんとは彼の二番目の兄で、私とは十歳も離れているからほとんど会ったこともない。会っても妹のように頭を撫でてくれた記憶しかない。
「あの子は三人目で、俺にとっては姪っ子だ!」
「そんなに大きな声で怒鳴らなくても……。えっと、その、ごめんなさい、知らなくて……」
「あ、いや……怒鳴って悪かった。知らなかったのか?」
「はい」
いくら隣の人だったとは言え、一回り近くも年齢が違えば滅多に会わなくなる。結婚したとは聞いていたけれど、それほど仲良くない人に自分の奥さんを紹介したりしないと思う。
バッタリ会ったんなら紹介するだろうけど、その『バッタリ』が一度もないんだから知りようがない。
そんなことを説明したら、「それもそうだな」と納得してしまった彼に、こんな素直な人だっただろうかと胡乱な目を向けると、苦笑されてしまった。意味がわからない。
それはともかく。
「話はそれだけですか? でしたら……」
「いや、まだある」
この後に及んでいったい何の話があるというのか。それとも結婚報告?
だとしたら、とっとと報告してさっさと私の目の前から消えてほしいというのに、彼は暢気にもお茶を啜っている。
「何でしょうか。さっさと話して帰ってくれませんか?」
「落ち着けって。まだ質問があるんだから。……涼香、子どもがいるって聞いたが……」
「誰からそんなでたらめを聞いたのか知りませんけど、子どもはいません」
「……は?」
「いくら誠志朗さんに抱かれていたとはいえ、さすがに子どもができたらおばさんに連絡します。それに子どもがいるのは私ではなく、姉の風香です」
「…………はあぁぁぁぁっ!?」
どうしてそこに驚くんだろう。姉が婚約し、結婚したのは彼が出て行く少し前だというのに。
そう伝えたら、「あの糞ババァ……もしかして二人を間違って覚えてんじゃねぇだろうな……」と頭を抱えていた。
「ごめん、ちょっと電話して来てもいいか?」
「どうぞ」
私に一言断ると、スマホを持って外へ行った彼。
――本当にどうしたんだろう。以前にも増して、今日の彼の行動は不可解で、まったく理解できなかった。
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