第4話・悪魔少女の素直な気持ち

 シエラちゃんが婚姻届受理証明書とやらを持って帰って来た翌日の朝、俺は仕事へ行く時間を少しずらして市役所へやって来ていた。


 ――父さん、母さん、俺は知り合って間もない、手も繋いだことがない女の子と知らない内に結婚したことになってたよ。


 市役所の外へ出た俺は青々と広がる空をしみじみと見上げた。

 シエラちゃんに渡された婚姻届受理証明書というのは初めて見たが、これは婚姻届けを出した夫婦には希望によって発行してもらえる物らしい。そしてこれは通常なら発行までに数日を要するらしいのだが、シエラちゃんはいったいどうやって即日発行をしてもらったんだろうか。


「もしかしてシエラちゃん、相当良い家のお嬢さんだったりするのかな」


 シエラちゃんが単独で婚姻届けを出せた理由も分からないが、市役所で確認した限りではしっかり俺とシエラちゃんは夫婦になっていた。しかしこれはどう考えてもおかしい、常識では考えられない事態だ、これはもう一般常識では考えられないけんりょくが働いたとしか思えない。


「帰ったら聞いてみるか」


 謎だらけの事態を前に不安になる中、俺はトボトボと歩いて職場へ向かった。


× × × ×


 今日の仕事を終え自宅の玄関前まで来ると、辺りに焦げ臭が漂っていることに気づき、急いで玄関の鍵を解除して扉を開けた。


「なっ、何じゃこりゃ!?」


 玄関のすぐ近くにある小さな台所のシンク内を見ると、そこには真っ黒に焦げた鍋が転がっていた。


「お帰りなさい」

「ただいま――って、そうじゃなくて、いったい何があったの?」

「奥さんは料理をして旦那さんの帰りを待つものだってネットに書いてたけど、上手くいかなかった」

「そうみたいだね、見事に」


 ――どこを見たのか分からんが、ずいぶん古い考えを載せたサイトを見たもんだな。


 それにしても、この状況で火事にならなかったのは不幸中の幸いだったと言えるかもしれない。


「とりあえず、シエラちゃんは一人で料理するのは禁止ね」

「分かった」

「それじゃあここを片付けたら晩御飯を作るから」

「それなら大丈夫、失敗した時のためにお湯を入れるだけで作れる魔法の食料を買ったから」


 そう言うとシエラちゃんは部屋の中にある小さなテーブルの上を指差した。


「ああ、カップ麺買って来てたんだ」

「魔界には無い物だから凄く驚いた」


 普段からあまり表情の変わらないシエラちゃんが驚いたと言っても、今一つその驚き度合い分からない。

 それにしても、現代日本でカップ麺の一つも食べたことがないとは驚きだ、これは本当にどこか凄い家のお嬢様って線が濃厚かもしれない。


「今お湯を入れるね」

「その前にちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「何?」

「シエラちゃんが持って来た婚姻届受理証明書だけど、あれってどうやって貰ったの?」

「あれは私ののうりょくを使ったの」


 ――けんりょく!? やっぱりシエラちゃんってかなり良い所のお嬢さんってわけか。


「なるほど、でもさ、そういうけんりょくって、こんなことに使うべきじゃないと思うんだよね」

「先生が私を追い出そうとするからのうりょくを使っただけ、もしかして嫌だった?」

「えっ!? あ、いや、その……」


 声音を暗くしてそんなことを言われると、俺としても返答に困る。正直言えば嫌ってわけじゃないんだけど、未だはっきりとした素性が分からないシエラちゃんへの警戒を解くことはできないからだ。


「嫌ってことはないけど、シエラちゃんが気の毒とだからさ……」

「気の毒?」

「だってほら、俺とシエラちゃんて歳の差もあるし、わざわざ俺みたいなオッサンを結婚相手に選ぶ必要はないと思うんだよね」

「歳の差が気になるの?」

「普通は気にすると思うけどね、特にシエラちゃんみたいな若い子は」

「私は気にしない、私は先生がいいからそうしたの」

「えっ!?」


 その言葉を聞いた俺は、不覚にもかなりドキッとしてしまった。今までそんなに女性と付き合った経験がないからというのもあるが、直球でこんなことを言われた経験がなかったのが一番の原因だろう。


「えっと、俺がいいって、どういうところがいいの?」

「先生は食べ物をくれた優しい人だから」

「へっ? あ、ああ、なるほど、そういうことね……」


 何となく落胆を隠せなかったが、それでもどこか安心した気持ちはあった。


「でも一番の理由はね、あのとき先生が声を掛けてくれたからだよ」


 なかなか変わることのない表情を少し変え、シエラちゃんは小さく微笑んだ。


「そ、そうなんだ」

「うん、それじゃあすぐにお湯を入れるね」


 複雑な思いはあったものの、シエラちゃんの素性が分からない以上、今はこの方がいいのかもしれない。

 俺は諦めにも似た感情を抱きながら、カップ麺にお湯を注ぐシエラちゃんの対面へ座った。

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