第12話 エピソードその十一

アラームは十時きっかりに、その時間をボクに伝えてくれた。

お陰でボクはゆっくりと支度ができる。

もう一度シャワーに入り、身だしなみを整えて、お出かけ用の服に着替える。たいして洒落た服を持ち合わせていないところが淋しいところだが、記念すべきラストナイトなので、パリッとしたシャツにジャケットを羽織ってみる。

ディナーが早い時間だったためか、やや小腹が空いている。それは買い置きの春雨スープで何とか凌ごう。

あとはクルマのキーを握り締めるだけである。

ガソリンは満タンに入っている。もしかしたら、彼女を送って帰れるかも知れないと思ったからだ。彼女の自宅がどこにあるか知らないが、満タンに入っていれば、北関東辺りまでは往復できる。

そんな妄想を描きながら部屋を出て、クルマに乗り込むのである。

プレゼントが乗っているのを確認し、エンジンキーを回す。

ブルルンと音を立てたクルマはギアがドライブレンジに入った途端、勢いよく走り出す。いざ新宿へ。


軽快に走るクルマは、土曜日とはいえ人だかりが減った街並みを滑るようにすり抜けていく。

スピードは控えめに。こんな夜におまわりさんのお世話になるのはゴメンだ。

街では飲み会からの帰り支度のクルマが多い。客を乗せたタクシーが割増料金の表示をこれ見よがしに走っている。ボクが向かう方向は逆向きなので、比較的クルマの流れもスムーズだ。

『ピンクシャドウ』の近くにあるコインパーキングも、そろそろ空車マークがあちこちに目立ってきた。さすがに今時分は飲酒運転も減り、この時期にパーキングが満車なところは少ない。割と店に近いパーキングが空いていたので、すんなりとクルマを入れた。

時計を見ると十一時十五分。予定の時間にはまだ少し余裕がある。時間つぶしにコンビニに寄ってみよう。ジャケットの上にオーバーを羽織ってからクルマを出た。もちろんプレゼントを抱えたままである。

路上では、まだ飲み足りない輩たちが次の店に向ってゆったりとした流れを作っている。最終電車に間に合いそうな人たちの流れは速く、人と人の間をすり抜けるように駆け足で駅へと向かっていた。

コンビニに入ると、何人かの客が暇をもてあますように本棚の前に並んでいた。ボクもその仲間入りを果たすと、一冊の本を手にとって眺めるフリをする。

しかし、時間が気になっているボクにとって、本の内容など頭に入るわけもなく、時計と本とを交互に眺める行為を繰り返しているだけだった。

やがてそんな自分がつまらなくなり「少々早くてもいいや」そう思ってコンビニを出ることにした。ミントの清涼剤を一つ買い、紙袋を抱えて『ピンクシャドウ』へと向かう。清涼剤を齧りながら一歩一歩、店に近づく。そのたびにボクの心臓がドクドクと音を立て、次第に緊張感が高まっていくのを感じていた。

今日が最後になるだろう店の前。その光景を目に焼き付けるようにじっと看板を見つめていたが、やがて自分の中で何かを決心できたかのように、自然と足が前に出た。

エレベータの扉が開くと、そこには見慣れたドア、見慣れた照明、そしていつものボーイが立っている。

「いらっしゃいませ。」

いつものようにニコニコ顔だ。

「あの。」

と話しかけたのも束の間、

「伺ってますよ。ミウさんですね。」

「今日はラストまでお願いします。」

「それも聞いております。」

ボーイさんがそう言った途端、ドアが開いて中から客が出てきた。

「少しこちらへ。」

彼はボクを待合室へと案内し、蛇腹のカーテンを閉めた。カーテンの外では、女の子がお客さんを送り出すセレモニーの様子が聞き取れた。

「カランカランカラン」

ドアの開け閉めの音が聞こえた後、カーテンが再び開かれる。恐らくは他の客からボクに目を惹かないようにとの配慮かも。

受付を終えて別のボーイさんがボクを一番奥のシートへと案内する。四人かけぐらいのボックス席だ。部屋の奥にこんなシートがあるなんて知らなかったが、ここならゆったりできていいかも。

そしてミウが現れる。

いつもなら、「ミウさん、○○番テーブルリクエスト」なんてアナウンスがあるのだが、今宵のコールは静寂のまま。

指名できないはずの女の子がコールされると不審に思うよね、普通。

「アッくん、待ってたよ。」

「今日はコールがかからなかったね。」

「だって指名できないもん。アッくんも今日は指名じゃないのよ。」

「えっ?」

「今日は私の逆指名。だからコールが無いの。もうお客さんも少ないから、店長がいいよって言ってくれたし。」

確かに部屋の中では、もう数人ぐらいしか残っていない。土曜日でも帰宅することが前提の客は、やはり最終電車に間に合うように店を出るのである。

「もうヘルプに行かなくてもいいんだね。」

「うん。」

ボクはミウとして最後となる彼女をしっかりと抱きしめた。ミウもボクの唇に吐息を投げかけてくれる。しばらくの間そのぬくもりを確かめた後、足元の紙袋から例のプレゼントを取り出した。

「はい。とりあえず、ここの卒業祝い。」

「なに?あけてもいい?」

「うん。気に入ってもらえるかわからないけど。」

ミウは包装紙を丁寧に剥がし、中の額縁を覗くと驚いた様に「キャッ」と声をあげる。一瞬ボーイさんがこっちを向いたようだが、それに気付いたミウはボーイが駆けつけて来るのを制止した。

「びっくりした。これ私?」

「うん。あんまり上手くないけどゴメンネ。でも、どうしてもミウちゃんの絵を描きたくなって。いらなかったら捨ててね。別に構わないから。」

「捨てたりしない。大事にする。ありがとう。」

そう言って再びボクの首に腕を回し、やわらかな唇を提供してくれる。ボクも彼女の匂いと肌の感触を確かめて、グッと引き寄せる様に抱きしめた。

いつものように首筋から胸元へとミウの匂いを確認していく。妖しい香りがボクの鼻腔を通り、脳天を突き抜けていく様だ。

いつの間にかボクの手は彼女の丘陵を探索していた。肌の温度が手のひらから伝わってくる。その温度を跳ね返すようにじっとりと湿り気を帯びてくると、今度はボクの手のひらが熱くなり、その熱を彼女の肌へと返していく。

「うふふ。アッくんの手のひらってあったかい。」

「血が滾ってるからかな。」

「狼みたいになるの?」

「なりたいね。」

「今日はまだダメよ。」

なんとも意味深なセリフだった。

「いつならいいの?」

「内緒。」

ボクはその続きの言葉を聞かない。

その代わりに膝の上に乗ってくれるようにリクエストする。

さあ、ボクの目の前には楽園のような丘陵公園の光景が広がっている。まずは小さな谷間に挨拶を施し、そのぬくもりと匂いを確かめる。絹のような肌触りが心地よい。

「女の人の肌って、どうしてこんなに綺麗なんだろうね。」

「そう?みんなそうなの?」

「みんなっていうほど他を知ってるわけじゃないけど、スベスベして、あたたかくて、弾力があって、とっても抱きしめたくなる。」

「他の女の子でも?」

「今はミウちゃんだけ。もう一度告白してもいい?大好きです。ホントに大好きです。ボクの恋人になってください。」

「うふふ。何だか恥ずかしい。」

「その照れた仕草も可愛いし、この時間がずっと続けばいいのになと思ってる。」

本当にそう思っている。彼女を腕の中に抱いている時間が、今のボクにとっては最高の時間なのだから。

「私も。」

店内では割と大きな音量でBGMが流れているのだが、今のボクにはその音楽も聞こえない。イルミネーションもミラーボールもボクの目の前では止まって見えている。

「いつも優しくしてくれてありがとう。ずっと優しかったのアッくんだけだった。」

「キミを傷つけたくないだけ。だって好きなんだもん。」

「これからも優しくしてくれる?」

「ボクにも優しくしてね。」

「うふふ、どうすればいいの?」

「こうやってボクに抱っこされてればいいのさ。」

するとミウは「くくくっ。」っと笑い出した。

「どうしたの?」

「だって、私の絵。どこに飾ればいいの?恥ずかしくてどこにも飾れないし。」

「ボクの部屋にはコピーしたものを飾ってあるよ。」

「ええ?それってとっても恥ずかしい。」

「いつもキミの笑顔が見られる様にさ。」

「今度ね。アッくんのお部屋に行ってあげる。行ってもいい?」

「もちろんさ。綺麗に片付けておくよ。」

「私のデッサンも片付けておいてね。恥ずかしいから。」

「うん、わかった。」

なんともサプライズな約束だ。

まるで夢のような話だ。その言葉を投げかけられた瞬間から、ボクの頭の中はまるで春風に包まれて、花畑を散歩しているかのような居心地になった。

またもや心臓がドキドキしはじめる。

ボクはミウを膝からおろして隣に座らせた。

少し喉が渇いたのでドリンクでその渇きを潤したとき、ミカさんが覗きに来た。

「よろしくやってるわね。」

危ないタイミングだった。さすがにミウを膝の上に乗せているところを見られるのは、ボクも少し恥ずかしい。

ミカさんはミウとは反対側の隣に座り、ボクの腕に手をかける。

「ミウちゃん、いい人が見つかってよかったわね。この人ね、あなたのことをホントに好きなんだなってすぐにわかったわ。だって、他の女の子が隣に座っても、とっても素っ気無かったのよ。ヘルプの女の子が可哀想なくらい。」

「そんなことないですよ。まるでボクが冷たくあしらってたみたいじゃないですか。」

「そんなこと言ってないわ。ミウちゃんを見る目だけが違ってたって言いたいだけよ。」

「こんなところで油を売ってていいんですか。」

「だってもうお客さん、あんたたちとあと一組しかいないもん。だからちょっとからかいに来たのよ。今日でミウちゃんおしまいでしょ?あなたももう来ないでしょ?だから挨拶がてらにね。」

「色々とお世話になりました。もう来ないと思います。」

「来たらすぐにミウちゃんにチクってやるから、覚悟しておいてね。」

「はい、肝に銘じておきます。」

するとミカさんはボクのホッペに「チュッ」とキスをして席を立つ。

「ミウちゃん、もっとこの人に甘えなさいね。いい人よ。」

「はい。ありがとうございます。」

ミウは素直に礼を述べた。

「アッくんの鼻の下が伸びてた様な気がしたのは気のせい?」

「もちろんだよ。」

「でもミカさんも綺麗な人だもんねえ。」

「ボクはミウちゃんが好きなんだよ。ミカさんがボクのホッペにキスして、少しは妬いてくれた?」

「うん、とっても。」

そんな彼女の右手は、ボクの手の甲を軽くつねっている。

ボクはその手を反対の手でそっと上からかぶせるようにして握りしめる。

「ボクもキミが他のシートへ行ってる間、ずっとハラハラしてたんだよ。」

「これからは、ずっとアッくんと一緒にいるから。」

ボクは彼女の肩を引き寄せて、彼女の髪をなでた。セミロングの髪がふわっと揺れると同時に、優しい香りがボクを包む。

気がつけば彼女のわずかばかりの衣装は、胸元が大きく開かれ、セクシーな谷間がボクを誘惑していた。

「またちょっと甘えてもいい?」

ミウは何も言わずにボクの頭を抱え込んで胸元に引き寄せた。

ボクは柔らかな胸元の肌に軽くキスをして、同時に彼女の匂いを満喫する。

ビキニの上からではあったが、美しい丘陵とその頂点にもそっと手を添えていた。

「こうやってるとアッくんって可愛いのね。」

「でも元来は狼なんだよ。だって普通の男だもん。」

「そうなの?アッくんの狼なんて想像できないよ。」

「いつか思い知らせてやる。」

「顔が笑ってるよ。」

「ふふふ。好きだよ。」

ボクたちの戯れは幼子のママゴトのように見えるかもしれない。しかし、それで満足しているのだからいいではないか。

「あっ。」

「どうしたの?」

「思い出した。」

そう言ってミウは自分が持っていたバッグから小袋を取り出した。

「今日が最後だからね、会ったお客さんみんなに渡してたの。これが最後の一つ。」

小袋を開けてみると中にはチョコレートがかかったカップケーキが入っていた。

「これね、近所のパン屋さんで売ってる私が一番好きなケーキなの。美味しいから食べてね。今度は一緒に買いに行こうね。」

「ありがと。明日のモーニングに食べるよ。」

「アッくんにあげたのだけは、ちょっとだけ他のとは違うのよ。」

「どう違うの?」

「うふふ、考えておいてね。次に会うときまでの宿題よ。」

「面白いねえ。ボクはそういうの嫌いじゃないよ。」

「カンニングはダメよ。」

「ん?なんのこと?」

「来たわよ、アッくんのお友だち。アキホさんのお客さんだった。」

アキホさんはこの店の一番人気。だからボクは会ったことはないのだが、彼女の指名ならヘルプが入れ替わり立ち代りとなっただろうことが容易に想像できた。特に金曜日の夜なんて、ヘルプの女の子についてる時間の方が長いかもしれない。

「キミがアッくんの彼女かって言われてびっくりした。」

「アキホさんの客っていうことはテルだな。あいつにもケーキをあげたってこと?」

「うん。」

「違う店に行くって言ってたから安心してたのに。その後で来たのかな。」

「もう一人いたらしいけど、その人のところへは行かなかったわ。アキホさんのお客さんのところもヘルプに行ったのは一度だけ。後で店長にお願いして別のところへ回してもらったから。やっぱり気まずいもの。」

「なにか嫌なこと言われた?」

「ううん。大丈夫。でもアッくんのどこがいいのとか、自分じゃダメかとか言われたけど、触ってきたりとかは無かったよ。」

「ごめんね、ボクのせいで嫌な思いをさせたね。」

「アッくんが悪いわけじゃない。謝らなくても大丈夫。それにアッくんをよろしくって言ってたし。」

「で?どうよろしくしてくれる?」

「今は何もしてあげられない。」

そう言って俯くので、ボクは肩を抱き寄せて、

「今は少しでもそばに居てくれるだけでいい。そしてキミの匂いでボクをおかしくさせてくれればいい。」

「おかしくならないでね。」

「がんばる。」

気がつけばすでに二十五時を回っていた。店内にはボクたちだけが残されていた。

「この後の予定は?」

「なんもないよ。」

「送っていってもいい?」

「普通に帰してくれるなら。今日は送り狼にならないでね。お願い。」

「安心して。少しでもキミと一緒にいたいだけだから。ガソリンも満タンにしてあるし、宇都宮ぐらいまでなら送ってあげられるよ。」

「そんなに遠くないから大丈夫。」

「どこなの?」

「亀戸よ。ここからだと電車なら乗り換えないと帰れないところ。」

「ボクのアパートは飯田橋だから、ここからだと途中の駅だよ。」

「今度アッくんのアパートに行くときは駅まで迎えに来てね。」

「家までクルマで迎えに行くよ。」

「いいの。電車で行くから。今日も駅まで送ってくれればいいの。自転車が置いてあるから。それに男の人に送ってもらったの、まだ見られたくないし。」

「わかった。」

これでボクの今宵の予定が全て決定した。

そろそろラストタイムの時間が近づき、店内には閉店を知らせるBGMが流れ出す。

「今までよく頑張ったよね。卒業おめでとう。」

「ありがとう。もうこんなアルバイトはしないから安心してね。」

ボクたちは最後までずっと静かに抱き合っていたのだが、最後の時間が来ると、ボーイがミウの肩を叩いて閉店の合図とした。

「三十分ぐらいで用意するから待っててね。」

そう言ってボクは彼女に見送られてドアを出た。するといつものボーイがボクに詰め寄り、そっと耳打ちする。

「他にも可愛い女の子がいますので、またのご来店お待ちしております。最近、若いお客さんが減ってきたような気がしていますので、お店の活気のためにも、よろしくお願いしますよ。」

まあなんと不謹慎な。

「来ないですよ。」

呆れて怒る気にもならなかったが、店の事情を考慮すれば仕方ないのかなとも思う。


店を出たボクは近くにパークしておいたクルマに乗り込みエンジンをかけた。室内を暖めておくことが目的である。店内がかなり暖かいので、外との温度差はかなりのものだ。パーキングの目の前にあるコンビニの灯りが眩しい。

「そうだ、温かい飲み物でも買っておこうかな。」

今すぐに買っても醒めてしまうだけなので、クルマの室内が少し暖かくなったのを確認してから缶コーヒーを二本買ってきた。エアコンの吹き出し口にはドリンクホルダーが付いているので、さほど冷めることはないだろう。

そして待つこと三十分。

彼女の宣言どおりの時間で店から出てきた。ドアの外では店員や女の子たちと最後の別れを惜しんでいる姿が見える。そこへボクが行くのは憚れるだろうと思い、姿の見える道の通りまで出て彼女を待つ。

数分後、ネオンの灯りが半分ほど消えた通りの中で、それでもわずかばかりの照明に映し出されていたボクの姿を見つけたミサは小走りで駆け寄ってきた。

「おかえりミサちゃん。」

ボクはそう言って彼女を迎えた。もう彼女をミウと呼ぶことはないだろう。

「ただいまアッくん。」

彼女もボクの挨拶に合わせてくれる。

「待った?」

「いいや、予定通りだから心配ないよ。お店の人たちとちゃんとサヨナラできた?」

「うん。いい彼氏ができてよかったね、だって。いい彼氏?」

「そうだね。そうなるようにがんばるよ。」

「私もいい彼女になるようにがんばる。」

短い距離だけど、手をつないでクルマに向かう。ドアを開けて助手席へとエスコート。ちょっと照れてるはにかんだ笑顔が可愛い。

「さて、亀戸の駅まで送ればいいんだよね。」

「うん。」

ボクはナビゲーションで「亀戸駅」を設定して、いざアクセルに力を込める。ブルルンと音を立てて動き出すボクのクルマは、やや静かになりかけている新宿の街を後に煙とエンジン音だけを残して立ち去った。


「アッくんって面白い音楽を聴いてるのね。」

何気にBGMをCDに頼っていたのだが、たまたま入っていたのがアイドルグループだっただけに、彼女は意外だったようだ。

「別にこれだけじゃなくて他にも聞くよ。」

「私も普通の女の子が聴いてるようなジャンルかな。」

「早かったら二十分ぐらいで着くけど、まさかお腹が空いたりしてない?」

「そんなに早く着いちゃうの?」

「高速に乗らなければ四十分ぐらいかな。」

「そっちでいい。朝寝坊すればいいだけだから。」

彼女の手は、ギアを握るボクの手に添えられる。

「あともうちょっとだからね。」

「ん?何が?」

「試験日。」

「うん、頑張るんだよ。」

「ちがうの。ちゃんとしたデート、もうちょっと待ってね。」

「大丈夫さ。そのかわり、ミサちゃんの写真を送ってくれない?毎日眺めておくから。」

「デッサンの写しがあるんでしょ?」

「生写真の方が絶対にいいに決まってる。」

「考えておくわ。」

一瞬会話が途切れるかと思ったが、ミサはボクの友人の話を切り出してきた。

「ねえ、今日来たお友達って、同級生?」

思わぬ展開に少しドキッとしたが、

「高校時代のね。なんか気に触るようなことがあった?」

「彼はとてもエッチね。触ったりはなかったけど、おっぱい見せてっていうの。見るだけならいいでしょって。お友達の彼女のおっぱい見て楽しいの?って聞いたら、それはそれで興奮するって言うの。あの人ってもしかして変態?だから店長に言って二回目は避けてもらったんだけど。」

「スケベな野郎だな。昔からそんな感じはあったかも。友だちの彼女か、やっぱりちょっと興奮するかな。不倫な感じはするけどね。」

「えええ?男の人ってみんなそうなの?」

「そうかもしれないよ。ホントに触ったりしちゃいけないけどね。」

ミサはしばらく考え込んでいたが、

「アッくんを他の女の人に近づけないようにしなきゃね。」

「大丈夫さ、その友だちももう一人の友だちも、今は彼女なんかいないし、いても興味なんか湧かないよ。」

すると彼女はドリンクホルダーにあった缶コーヒーを見つけて、

「これ飲んでいいの?」

「あっ、忘れてた。ミサちゃんのために買っておいたんだよ。飲んで。」

そういえばボクの分もまだ開けていなかった。

ミサは少し喉を潤して、すうっと深呼吸をしていた。

「試験が受かって、ちゃんと就職できて、それで私の勤務地が遠かったらどうする?」

「何ヶ月かに一度は会いに行くよ。毎週なんて無理だけど、ボクはドライブが趣味なんだし、名古屋ぐらいまでなら一つ飛びさ。だから今は試験のことだけちゃんと考えて頑張ってくれればいいんだよ。」

「うん。だけど、アッくんに転勤はないの?」

「ないことはない。なんかよっぽどのドジを踏んだら地方へ飛ばされるかもしれないけど、今のところは昇進するときぐらいじゃないかな。何年後のことだろう。」

「アッくんの誕生日っていつ?」

「四月だけど。」

「後もうちょっとね。コッチに残ってたらお誕生日会してあげる。」

「残ってなかったら押しかけるよ。だから、自分にリボンをくくって待っててね。」

「うふふ。エッチね、アッくんも。」

たった数十分の道のりだけど、誰にも邪魔されない空間で二人だけの時間なんて初めてだったし、とっても楽しかった。

ミサの自転車は駅の裏手の駐輪場においてあった。

「ここから何分?あんまり時間がかかるようだったら家の前じゃなくて近くまで送って行くけど。なんかあったら心配じゃん。」

「大丈夫。自転車なら三分だから。いつもお店の人に送ってもらってるのもここだから。それよりも、試験に合格できるように祈っててね。」

「うんわかった。気をつけてね。」

「アッくんも。帰りの運転気をつけてね。」

ボクは立ちこぎで自転車を操りながら背中を向けたまま小さくなっていくミサをずっと見送っていた。

ミサの試験日まであと十日あまり。

それまでは彼女からの連絡が来るまで待つしかない。

月は・・・・・・。



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