第11話 エピソードその十
告白して、それを受け入れてもらえたとはいえ、彼女が卒業するまでは色んなことを待たねばならぬ。デートもしばらくの間はなかなかできないだろう。
高校や大学時代に女の子と付き合っていた当時は、彼女とほぼ毎日顔を合わせていた状態なので、何日も会えない関係って初めてだから、どういう風にして日常を過ごせばいいのかわからない。ワクワクする時間なのか、ウキウキする時間なのか、はたまたモンモンする時間なのか。
とりあえず、しっかりした彼女の言葉を信じることにして、次のデートの事を考えることにしたのである。
前回の食事会では、肉が食べたい彼女をバルに連れて行ったが、次回もまだ焼肉はお預けになるだろうな。だとすればどうする?
きっと今はこういったことを考える時間なんだろうな。
そしてボクはパソコンに齧りつく。そして店の検索を始める。今の世の中は便利になったもので、インターネットをつなげばすぐにお目当ての店が検索できる。新宿駅近くの肉バルっていうだけで何十件もの店がヒットし、メニューから値段までわかる仕組みになっているのである。
こういうことが割と面倒くさいと思わないボクにとっては、至極の時間である。彼女との食事デートのプランを想定しながら店とメニューを検索していく。
何十件もの店がヒットするが、お目当ての店は一時間程度で見つかった。前回の店よりもメニューが豊富で店内の装飾も綺麗だ。
「よし、ここに決めよう。」
次の日曜日、午後三時。二人。料理は行ってから決めよう。
次にラストナイトのために、まずは『ピンクシャドウ』卒業のお祝いを検討する。
「卒業」・・・・・・。
ミウもブログで書いていたけど、こういう店を辞めるときに「卒業」という言葉を使うんだね。彼女は確かにこの店を辞めた後は、普通に就職するから卒業でいいんだけど、他の店に変わる場合は「転校」と言ったりするのだろうか、なんて考えてみたりする。どうせなら、他の店から来た女の子なんかを「転入生」、店長を「担任」なんて言えば面白いかも。
それはともかくとして、彼女の卒業祝いはどうしよう。
ボクには一つ考えがあった。
なかなか趣味にはできていないが、少しばかり絵ごころがある。美術部に入るほどではなかったが、小さいころからよく動物の絵を描いていたし、小学校の校長室に飾られたこともあった。
その特技を活かして試しに彼女の肖像画をデッサンしてみたら、意外といい出来具合なのに自分でも驚いている。これを額に入れて彼女へのプレゼントにしようという考えである。
お店の中では写真撮影厳禁なので、デッサンのためのお手本はボクの脳裏に浮かんでいる彼女の笑顔だけだった。それでもボクの頭の中には、いつも彼女がいた。だからお手本にする写真なんかいらないんだ。あともう少し細かい部分に手を加えれば完成する。さあ、今夜も夜更かしが楽しくなる。そろそろハードな仕事からも解放されかけているので、帰宅後の時間がゆったりできる。
もちろんヒデからのお誘いの電話が何度かあったが、すべて断ったし、自ら『ロッキー』に出向くこともなかった。
そして金曜日の夜。彼女へのプレゼントが完成した。
後はおしゃれな額縁を買うだけである。
土曜日は新宿へ出向こう。時間はたっぷりとある。
描いた絵の大きさはA4程度。この大きさならタイプも選び放題である。
折角なので、文具屋ではなく画具店に足を踏み入れる。
中々このような店に入ることもないので、まずは多くの品ぞろえに驚かされる。絵筆だけでも専用のショウケースがあり、絵の具に至っては大きな棚の全てに様々な色のチューブが埋まっていた。
さて、問題の額縁である。もちろんアルミ製ではなく木製のラインナップに目線を送る。予算は五千円ぐらいかな。ボクのデッサン自体は芸術性の低いものなので、あまり豪華な額縁ではバランスが取れないしね。
色々と思案した挙句、数あるアイテムの中でボクは、割とシンプルな一品をチョイスした。もちろん予算内に収まったので、何も言うことはない。
デッサンは持参しているので、前もってセットしてもらって包装をお願いする。リボンをクルッと回してもらえば完成である。
さあ、あとは明日を待つだけだ。さらには、ヒデから電話がかかってこないことを祈るのみである。
昨夜から今朝にかけて、危惧していたヒデからの連絡はなかった。ゆっくりと眠れたおかげで、目覚めはバッチリである。
朝のうちに軽くジョギングをしたボクは、汗を落とすためにシャワーを浴びて、次いで髭をあたる。いつものルーチンで身だしなみを整えて、彼女からの連絡を待つのである。待っている間に、今日のブログチェックをしておこう。
さっそくパソコンの電源を入れて、インターネットで『ピンクシャドウ』のホームページを開く。そして女の子たちのブログを閲覧するのだが、ミウの新しい情報は更新されていなかった。つまりは通常通りであるという事。
但し、お店のアナウンスに彼女がラストの日であることは掲載されていた。
午前中のうちに出かける準備を終えているので、のんびりしていたが、少々空腹感を覚えていた。これから食事だというのに、ボクの胃袋が不満を漏らしていたので、昼は軽くトーストを焼いて小腹の嘆きを抑えておいた。
これでやっとすべての支度が終了したことになる。
そしていいタイミングだった。ミサから電話が入る。
「今日が最後だよ。来てくれるの?」
「行くよ。最後の時間に。ボクは指名できるんだよね。」
「うん。最後の時間に来るって言ってあるから。」
「ご飯タイムは貰えるの?」
「うん。何時でもいいよ。今からだと二時ぐらいかな。」
「じゃあ二時。いつもの喫茶店で。」
「うん。」
これで最後の出勤前の約束は完了。そしてすぐにも出かける支度にかかる、
包装済みの額縁を紙袋に入れ、クルマに搭載。
ボクの計画では、食事デートの後、一旦帰宅してクルマでもう一度出かける予定。だから食事デートの時には、まだ内緒にできるのである。
喫茶店にはボクの方が先に到着した。
何だか今日はレモンティーの気分だった。
時計の針が約束の時刻を示す少し前、店のドアが開いて彼女が姿を見せた。
「待った?」
「うん。昨日からずっと待ってたから。」
「うふふ。私も。」
彼女はスッとボクの正面の席に座り、ボクの手元を確認してからミルクティーを注文する。
「今日が最後だね。やっとこの日が来た。そんな感じがするよ。」
「うん。でも今日はどうするの?終わり際に来るんでしょ?」
「一旦帰るよ。そしてクルマに乗り換えて行くようにする。十一時半を目指して行くから、店長にもそう言っておいてくれる?」
「うん。」
まだデッサンのことは話さない。言いたくなる気持ちをグッとおさえて、冷めた紅茶と一緒に喉の奥に流し込む。
思い起こせば、彼女と初めて会った日から、まだ何ヶ月も経過していない。それでもボクは彼女と同じ空間の中でまどろむ時間を過ごすことができている。
ボクも聖人君子ではないので、彼女に対して狼である部分を感じないわけではない。彼女が欲しい。その気持ちは持っている。
しかし彼女ならば、一緒にいるだけでいい。まだプライベートな二人だけの時間すら、長く確保できていないのだから。
今は二人でいられる時間。それを大切にしたい。そう思っている。
「さて、肉を食べに行こうか。」
「焼肉?」
「それは明日以降にしようね。最後にお店の人に叱られるのはイヤでしょ。」
「そうね。」
ボクは彼女の手を取って店を出る。
今日の店も喫茶店から『ピンクシャドウ』へ向かう途中にある肉バル。アンガスビーフの美味しいお店。いわゆる熟成肉っていうやつだ。
一旦帰宅してからの運転が待っているので、ボクも飲酒は控えた。
二人して烏龍茶で乾杯した後、残り少なくなった彼女の大学生活の状況を聞きだす。
「卒業はできそう?」
「一応先生には卒論のOKがもらえたから、たぶん卒業は出来ると思う。あとは国家試験だけ。講習会に参加したり、模擬試験を受けたり。なんだかドキドキしてる。」
「ときには息抜きも必要だよ。」
「うん。」
「ホントは会いたいって言うのを我慢してるんだけど・・・。」
「ん?言ってるし。」
「でも区切りが付くまで我慢するよ。」
「ありがと。私も会いたくないわけじゃないの。でもね、今しかないから。」
「わかってるよ。でも、たまにメールするから近況報告だけはお願いね。」
「毎晩おやすみコールするわ。覚えてたらだけど。」
「ははは。大丈夫、次回のために焼肉屋も検索しておくだけさ。」
今日の肉も抜群だった。ビールが飲めないのは残念だったけど、明日になれば浴びるほど飲めるさ。
「今日も店の前で見送るんだね。やっぱり神妙だな。」
「アッくんが来てくれるのを待つだけだよ。」
そう言ってボクの手の上に、そっと手を合わせてくれる。
誰もいなければ、そのまま抱きしめたいところである。
しかし、如何せん店の中では徐々に客数が増えてきており、ボクたちの蜜月の時間は遠慮されるべき空間となっていた。
二人きりでプライベートな時間を過ごせるようになると、お互いに少しずつ親近感が湧いてくる。ちょっとした仕草の癖や喋り方の癖、笑うタイミングや関心事の有無。そういった小さなエピソードもボクにとっては彼女の心をより深く掴むための材料となるのである。
「ところで、ミサちゃんの大切な試験の日はいつなの?」
「んとね、二月の三日。もうあと一ヶ月無いの。結構焦ってる。」
「きっと大丈夫だよ。ミサちゃんしっかり者だから。」
「アッくんは大学でどんなお勉強してたの?」
「んー、なんだっけかな。羊の餌の消化実験をやったのだけは覚えてるけど、あとは体育館で遊んでたかな。今思えばもうちょっとミサちゃんみたいに真面目に勉強しておけばよかったと後悔してるよ。」
「私だってそんなに真面目に勉強するタイプじゃないよ。だから今焦ってるの。」
「ははは、それはそうかもね。」
和やかな時間はあっという間に過ぎるものである。
「そろそろ行かなきゃ。今日は早めにおいでって言われてるから。」
「なんか社長からプレゼントがもらえるんじゃない?」
「うふふ、期待しておこうっと。」
陽気な笑顔で振る舞い、静かにスッと席を立つ。
ボクは彼女の手を取り出口へとエスコートする。
「ごちそうさま。」
ニッコリ微笑む顔が見られるなら、毎日だってご馳走したい。そんな気持ちなんだけど、現実はそうはさせてくれない。
店を出ると『ピンクシャドウ』は目と鼻の先。
ボクは一つ手前の角まで一緒に歩き、そして彼女を送り出す。
「あとでね。待ってる。」
「必ず行くよ。十一時半ね。」
ラストデーのラストタイムへのカウントダウンが始まった。ここからがボクにとっての本格的なショータイムの始まりである。
彼女の背中が店の中へと消えるまで見送ったボクは、踵を返して帰宅の道を急ぐ。
慌てる必要は無いのだが、あてもなくブラブラする理由もなかった。
ところがである。
運の悪いことに商店街の中でヒデに見つけられてしまった。
「おう、アキラ先生じゃんか。もしかしたらと思ったけど、今から行くのか?」
よく見るとヒデの隣にはテルがいるじゃないか。
「今日はいるのか?あの子。」
テルが店の方向を覗くように体を前に乗り出したとき、ヒデがそれを遮った。
「もうすぐ辞めるんだよな。確か今日じゃなかったっけ?今はヘルプ回りしかしてないはずだから、行っても会えるとは限らんぜ。」
「いいさ。折角来たんだから、オレはこの間の子と遊ぶから。もしかしたら会えるかも知れないじゃん。そしたらちゃんと挨拶できるし。アキラをよろしくって言えるじゃん。」
「オレも何回か行ったけど、一度も会えないぜ。不思議なぐらい。横を通ったりはしてるんだけど、オレのシートにはヘルプに来ない。なんでだろう。」
これは後で聞いた話だけど、ヒデはボクの友人であることがカレンさんから店へと伝わっているので、ミウがヒデのシートへ行かないように、店側がちゃんとコントロールしていたのだった。
ところが、テルのお気に入りのお嬢さんは、そこまで込み入った事情を知らない。従ってタイミングが合えばミウがヘルプに行くことも可能性はあったのだが、ヒデが新しく開拓したという別の店に行くと言っていたので、今回は二人してそちらへ向かうようだった。
これで彼らが店でミウに会うことはなくなった・・・はずだった。
そしてボクは彼女を見送りに来ただけだと言って、帰宅することを彼らに宣言する。ラストタイムに合わせて来るなどと言った先には、きっと野次馬根性丸出しの二人がついてくるに違いないと思ったからだ。
ヒデはミウを指名できない女の子となっているのを知っているため、ボクも指名できないものと思っているようだし、ボクが他の女の子を指名してまで『ピンクシャドウ』に行くはずもないことを理解しているので、それ以上のことは聞かなかった。
「それはそうと折角会ったんだから飲みに行こうぜ。」
ヒデもテルもニヤニヤした顔で熱心に誘うのだが、どうせボクの話題を肴にしたいだけなのが明らかなので、強引にその場を立ち去ることにする。
「明日の準備があるから今日は帰るよ。」
まるきりウソというわけでもない。十一時半に来るとはいえ、帰るのは日付変更線を超えるのだから、ボクにとっては今宵の用事は明日の用事でもある。
「せいぜい遅かりし青春を謳歌しな。明日はデートか?その話も次の機会には聞かせてもらうからな。覚悟しとけよ。」
ヒデはそう言って渋々ボクを解放してくれた。
しかし、結果的に二人はヒデの開拓した店のあとに『ピンクシャドウ』へ行くことになったのである。そしてテルはミウに会うことになるのだった。
彼らと別れて一旦帰宅したボクは、少し仮眠をとることにした。無理に起きていて、肝心の時間に居眠りしてしまっては元も子もなくなるからである。
目覚ましを十時にセットして、電気を消してベッドへ潜り込んだ。
今宵のラストタイムを想像しながら。
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