第10話 エピソードその九
前回の逢瀬から一週間ほどが経過し、さすがに新年会シーズンも幕を下ろしたであろう一月の半ばあたり。次の週が彼女の『ピンクシャドウ』でのラストウイークとなる日曜日を迎えていた。この店の一週間は日曜日に始まって土曜日がエンドである。つまり、日曜日と土曜日のあと二回の出勤が彼女に課された最後の試練なのである。
彼女から聞いた話では、卒業論文は無事に提出できているものの、まだ最後の試験が残っている。ボクもそれを邪魔するわけにはいかない。
かといって彼女に会いたくないわけもなく、今日あたり、出勤前に連絡が来ないかなと思っていた。ボクから連絡はしない。そう決めていたからでもある。彼女から言われていた訳ではないが、今は大事な時期だと思うし、もし会ってくれるとしても、彼女のタイミングでいいと思っていた。いや、我慢していた。
そんな折、今日は彼女の出勤日。
出勤前の時間が今までのデートのタイミングだった。
果たせるかな、丁度お昼ごろに彼女からメールがあった。
―今日も出勤前に会えるかな?―
―会いたいと思ってた。ご飯食べる?―
―うん。―
―何が食べたい?お肉って言ってたかな?―
―うん、お肉がいい。―
―じゃあ、三時にこないだの喫茶店で。―
最後に―待ってるね。―って返ってきたので、ホッと胸を撫で下ろす。
ボクにとっては期待していた通りのタイミングで、期待していた通りのスケジュールである。胸が踊らないわけがない。
さて、次に考えるタイミングは告白のこと。「ちゃんとする」と言ってから色々と考えてはいた。だけど、いざ告白ともなると緊張する。
さあ、記念すべきデートの日だ。いつものルーチンどおりに身支度を整え、タートルの上に半そでのシャツを重ね、最後にダウンを羽織って、いざお出かけである。
新宿に着くと、まずは駅周辺で花屋を探す。ちょっとしたブーケをあしらってもらい、大き目の紙袋で全貌を隠した。
待ち合わせは午後三時。あと三十分もある。なんと早くに出かけたものだ。どれほど待ち焦がれていたことかがわかる。
とは言え他にすることもなく、ぶらぶらとウインドウショッピングよろしく専門店街を歩き回っていたが、ファッションにそれほど興味の無いボクは、二~三店舗も見てしまうと、あっという間に飽きてしまう。
仕方なく、待ち合わせの喫茶店に向かおうとした時、コンビニの前を通りすがりに思わず立ち止まってしまった。突如として面白そうなガチャガチャポンが目に飛び込んできたのである。
ガチャガチャポンって知ってるかな。透明のケースに丸いカプセルがたくさん入っていて、コインを入れてレバーを回せばカプセルが出てきて、その中にはグッズが入っているという、一種のおもちゃのくじ引きのようなもの。最近はテーマ別に数種類のガチャガチャポンが並んでいるのが普通のようだが、ボクが見つけたのは揚げ物タオルのシリーズだった。これは面白い。
ボクはコインを入れて、二回レバーを回した。当然の如く二個のカプセルが出てくる訳だが、すぐに中身を確認したりしない。今日会うときの話ネタにしようと思い、そのまま鞄の中に押し込んだ。
少し楽しい気分になったまま喫茶店についたボクは、二人がけのテーブルを確保してコーヒーを注文する。多少待つことに苦痛を覚えないボクは、色々な想像をしながら彼女が来るのを待つのである。そして待つことを楽しむのである。
さて、なんて告白しようかな。どのタイミングかな。ガチャポンは今日でなくてもいいかな、なんてね。
そんなことを想像しながらコーヒーをすすっていると、ミサが笑顔で姿を見せた。
「ごめん、待った?」
「あんまり待ち遠しくて早く出てきちゃったよ。それに、ボクは待つのは苦手じゃないから。」
「うふふ。」
今日もやわらかい笑顔が一段と眩しい。
「何か飲む?」
「そうねえ、ミルクティーにしようかな。」
彼女のオーダーは、注文を聞きに来たウエイトレスに即座に伝わり、滞りなくミサの目前に運ばれる。
彼女がカップに口をつけて置いたタイミングで、ボクは姿勢を正した。そして、大き目の紙袋からブーケを取り出して彼女の前にかざす。
「今日は会ってくれてありがとう。ボクはキミのことが好きです・・・・・。」
そのあとの言葉に一瞬つまる。
「今、まだ大変な時期だと思うけど、どうしてもちゃんと伝えたくて。ボクの恋人になってください。」
「この間の告白は本当のことだったのね。私もアッくんが好き。でもアッくんはきっとこんな仕事をしていた私を嫌いになると思う。好きだと思ってるのは今だけよ。」
「そうじゃない。いつもずっとキミの事を考えてた。それにボクだって客だったんだから、この仕事についてはとやかく言う資格はないじゃない。」
「えっとね。それに・・・。」
そこまで言って口をつぐんだ。
「どうしたの?ボク、ミサのこと大事にする。卒業までちゃんと待つ。」
「ホントに私でいいの?それに、卒業が決まるまではなかなか会えないよ。それに、卒業しても東京にいるとは限らないよ。内定もらってる会社の赴任先がどこって決まってないし。離れ離れになるかもよ。」
「いいよ。ボクはこう見えて忍耐強いし、それに少々遠くても会いに行くから。」
「うふふ。」
彼女はボクがかざしていたブーケを受け取り、
「ありがと。やっぱ優しいね、アッくん。」
「ホントに好きなんだ。でもお店の中ではミウちゃんって呼ばないとダメだよね。」
「うん。でも今日は来ちゃダメよ。もうミウは指名できない女の子だから。そしてその名前は今日で忘れてね。」
「でも、ミウちゃんのラストナイトになる日は行くよ。しかもラストの時間に。ボクの手で送り出したいから。いいでしょ?」
「アッくん。」
ボクはとうとう手に入れた。素敵な笑顔の女の子を。飛び上がりたいほどうれしかったが、さすがに店の中では憚れるべきだった。
ウキウキした気持ちを落ち着かせるべく、次の手段に講じる。
「ねえ、面白いものを見つけたんだ。」
そう言ってボクは鞄の中から丸いカプセルを出して見せた。
「何これ?」
ミサは二つのカプセルを物珍しそうに、手にとって眺めていた。
「面白そうなガチャポンがあってさ。揚げ物のタオルだって。どっちか好きな方をあげる。もうひとつはボクが持つことにすれば、それはそれでお揃いになるでしょ。」
「面白そうね。じゃあ、私はコッチ。」
そう言って一つのカプセルを手に取る。
「じゃあ、ボクはコッチ。」
ボクも、もう一方のカプセルを手に取った。
二人で「せーの」って言いながらカプセルを開けると、ボクのカプセルからはトンカツのタオルが、ミサのカプセルからはアジフライのタオルが出てきた。
「私のエビフライ?エビって食べられないからいやだなあ。」
「それ、アジフライだよ。」
「でもトンカツの方がいい。」
ボクは「はいっ。」ってトンカツのタオルを渡す。ボク的にはアジフライの方が形も面白いと思ったんだけど、彼女はトンカツの方が気に入ったようだ。
「これって友達に見せたら自慢できそう。」
「喜んでくれるなら、うれしいよ。」
「アッくんって、女の子を楽しませるの上手ね。お店でもずっと褒め上手だったし。今まで何人の女の子を操ってきたの?」
「ボクはいつだって振られてきたんだよ。つまんないって言われて。」
「ホントに?信じられない。アッくんみたいに楽しい男の人初めてよ。」
「ずっとキミを楽しませられるようガンバルよ。」
そのときボクは彼女の手を握った。
彼女もボクの手を握り返してくれた。
彼女の手のぬくもりが心に染みた。
ここで今日の第一ステージの終了である。
「さあ、お肉を食べに行こう。」
「そうね、うんとニンニクの利いたのがいいかも。」
「でもさ、それってお店の人に叱られない?」
「うーん。でももう誰ともキスなんかしないから。ミウのこと嫌いになってくれてもいいぐらいだもん。」
「だけどやっぱり、プンプンするのは良くないよ。今日は肉バルでがまんしてね。お店を卒業したら焼肉に連れて行ってあげる。そのときはニンニクの匂いをプンプンさせて帰してあげる。」
「うん。」
肉バルの店は最近の流行なのか、あちらこちらにカフェスタイルの店がそぞろ並んでいる。客層も若者からオジサンまで幅広く指示されているようだ。
ボクたちが入った肉バルの店は、駅と『ピンクシャドウ』とのちょうど中間地点辺りにある店で、割と人気店だった。しかし、時間も早いのか客入りはまばらで、簡単に二人がけのテーブルを確保できた。
「お嬢さんは何を飲まれますか?」
「まだ出勤前だからウーロン茶でいいわ。」
「ボクは少し飲もうかな。肉のオーダーはお任せでよろしいですか?」
「はい。お願いします。でもミサはレアが好き。」
「承知いたしました。」
ボクの発注したオーダーは、アンガスのテンダーロインとラムシンのロースト、それに合鴨のタタキとサラダ。足りなくなったら追加すればいい。
前菜として運ばれてきたポテトサラダをつつきながら肉を待つ。
「アッくんお肉も詳しいの?」
「独り者だから、たまに外食するからね。ちょっとだけミサちゃんより詳しいかも。でもそんな程度だよ。ところで、ミサちゃんは何を専攻してるんだっけ?まだ聞いてなかったよね。」
「社会福祉学よ。そしてね、ソーシャルワーカーになるの。」
「何それ?」
「んー、病院とかでね、患者さんの相談に乗ったりする仕事。」
「優しいんだね。ボクには絶対に無理だな。でも病院勤務だったら、そんなにアッチコッチに勤務先なんてないんじゃないの?」
「そういう人を病院に派遣する会社なの。だから派遣先がどこかわからないし、転勤だってあるかも。」
「そんなに遠くへ行っちゃうの?」
「どうかな?大阪とかもあるかも。」
話を聞くたびにドンドン不安になってくる。ボクだって転勤が無いわけじゃない。全国とは言わないまでも各地に支店はある。あと二年もすれば希望を出せば転勤だってできる。ただし希望の転勤先なんて聞いてくれないけどね。
そんな折、オーダーした肉が仕上がったようだ。
「わあ美味しそう。」
こんがりと香ばしい匂いを漂わせる肉は、お腹を空かせた若者たちには堪えがたいご馳走だ。
「いただきまーす。」
肉を頬張るミサの笑顔もまた可愛い。
ボクは最高の天使を手に入れた。そう思える瞬間だった。
「好きだ」と言って告白し、「私も好き」って言ってもらい、やがては遠くへ離れて行くかもしれない彼女。でも、そんな先のことなんて考えていられない。今の彼女が、そして彼女の笑顔が好きだから。
ミサがボクの彼女となったお祝いの宴は、楽しい雰囲気の中、あっという間に時間が過ぎてしまう。デザートをたいらげる頃が、ちょうどそのタイミングだった。
「そろそろ行かないと。」
「やっぱり何だか違和感があるな。自分の恋人をエッチな店に送り出すなんて。」
「大丈夫よ。もうアッくんだって指名できないのよ、最後の日以外は。誰にもエッチなことなんてさせないもん。社長ともちゃんと約束ができてるから。」
「迎えに行ってもいいんだけど。ボクはクルマ持ってるし。」
「ダメよ。もう飲んじゃったでしょ。無理しないで、大丈夫だから。ボーイさんとか、みんな女の子の味方だから。」
ボクは気持ちが不安定なまま店を出ることになった。
それでも彼女は、店の近くまで送り届けることは許してくれたし、その間ずっと、彼女はボクの手をずっと握ったまま歩いてくれた。
あと少しで店の看板が見える角まできたとき、
「この辺でいい。」
ミサはボクの目をじっと見つめてくれた。そして彼女がそっと上を向いた瞬間に、ボクは思わず彼女の唇を奪っていた。
一瞬のことだった。ほんの数秒だった。しかし、そのほんの数秒で、ボクたちは互いの気持ちとぬくもりと百をも超える言葉を交し合った。
他人目もあったが、ぐっと抱き合った。
「大丈夫。心配しないで。」
「今日はありがとう。いつでも連絡してね、待ってるから。」
「ありがとうアッくん。行って来ます。」
ミサはボクの腕をほどくようにすり抜けていく。そしてピンクの看板へ向かって歩いていく。ボクの方へは振り向かないように。
彼女はボクと違ってしっかり者だ。目的を持って大学に行き、目標を持って社会人になろうとしている。ボクが学生の時、そんな目的や目標があっただろうか。
そう思うと不安な気持ちも、少しは楽になった。
結果的に今日はミサがボクの恋人になった記念日なのである。ボクも彼女の行く先を振り返らずに踵を返すこととしよう。
このとき、一瞬小さくガッツポーズをしたのだが、誰もボクを見ている者はなかった。妖しく光る下弦の月以外には・・・。
ミサがボクの告白を受け入れてくれたその日。
ボクは彼女の出勤を見送った。
だけど何のわだかまりも無いわけじゃない。
何か腑に落ちない気持ちを引っさげて、いつの間にか『ロッキー』の前にいた。
中に入ったときのボクは微妙な表情だっただろう。「どうしたの?」って気軽に声をかけてくれたのはユウさんだった。
ボクはユウさんの目の前のカウンター席に座り、ハイボールをオーダーする。かけられた声に対しても溜息しか出ない。
「どうしたの?浮かない顔して。今日は早いじゃない。一人?」
もう一度声をかけてくれる。
「いや、何でもないです。一杯飲んだら帰ります。」
ボクの声が聞こえたのだろうか、奥の厨房からケンさんが姿を現す。
「どうしたアキラ。大学生はどうなった?」
「ケンさん、声が大きいです。」
「なんだ、もう振られたのか。今回は早いな。」
「いいえ、そんなんじゃないです。」
「じゃあなんだ、その浮かない顔は。」
「大したことじゃないです。全然浮かないことないです。」
「美味いソーセージが入ったんだ。味見していけ。」
ケンさんが再び厨房へ入るのと同時に、ユウさんがボクの前に来る。
「聞いたよ。狙ってた女の子、女子大生だったんだって?それで、会って来たのかい?」
どこまで噂が広まってるんだろう。何だかそれはそれで不安になってきた。そんな表情が顔に出たのだろう。そっと耳打ちをしてくれる。
「大丈夫だよ、マスターがオレにこそっと教えてくれただけだから。きっとまた振られてくるだろうから、面倒見てやってくれってな。」
「大きなお世話ですよ。そっとしておいてください。まだ振られてませんから。」
「で、好きだって言ったのか?」
「言いました。」
「で、私もって言ってくれたのか?」
「言ってくれました。」
「じゃあなんで浮かない顔なんだ?」
「浮かない顔に見えますか?うれしくて仕方ない顔に見えませんか?」
「ははは、口がへの字に曲がってるからなあ。で、何が納得いかないんだい?」
「今日なんですよ。好きだって言ったの。でもね、一緒に食事をして、そのあとで彼女はお店に出勤なんですよ。それを送り出さなきゃならない自分が何だか納得いかなくて。」
「まだ店に出るのか?結構エッチな店って聞いたけど。そりゃあいかんだろう。」
「彼女はもうヘルプだけだから、絶対に体も触らせないって言うんですけど。それは信用するんですけど。ボクがそれを見送るように送り出したもんですから、何だかそれが不甲斐ないような気がして。」
「なんだ、彼女が絶対に大丈夫っていうなら、信じるしかないじゃんか。そんなに信用が置けない子なのか?」
「いえ、大学も将来も目的も目標も持ってる子です。オレなんかが足元にも及ばないぐらいしっかりした子ですよ。」
「だったら大丈夫だよ。心配し過ぎるとかえって良くない想像してしまうぞ。」
「その通りだ。」
いつの間にかケンさんがソーセージを持ってボクの後ろにいた。
「ヒデも言ってたぜ。いい子なんだってなあ。店でその子のことを悪く言う子が一人もいないって。アイツのオキニの女の子も、あの子なら大丈夫って言ってたらしいじゃん。」
「そうなんですけどね。でも、実際に彼女を送り出してみると、何だか自分が情けないような気がして。」
「逆だよ。彼女のことを信用して送り出せるから、自信を持てるんじゃねえか。彼女だって大丈夫、頑張れよって送り出して欲しいに決まってるじゃねえか。そうじゃねえと、逆に変な風に気が揺らぐかもよ。」
「脅かしっこなしですよ。そうですね。ボク自身の問題ですからね。それに、今夜とあと一回で終わりですから、その店も。」
「じゃあ尚更大丈夫だよ。彼女だって卒業前にアクシデント抱えたくないよね。」
「でもお店でそんなことコントロールできるんですか?」
「できるさ。指名できる嬢のリストから外せるだろうし、以前の客で指名させろって言うヤツは入れなきゃいいし。フリーに回らなきゃ追加指名も無いだろうし。他のお嬢のヘルプだけ回ってりゃ問題ないさ。それより、ソーセージを食え。これホントに美味いから。北海道からの取り寄せだぞ。」
ケンさんやユウさんの話を聞いて、なんだか落ち着きを取り戻したボクは、ケンさんおススメのソーセージを齧り、ハイボールをお代わりして、スッキリとした気分で店を出ることができた。
記念すべき夜―――。
空では下弦の月が薄笑いを浮かべたような表情でボクを見下ろしている。
今宵だけでも色んなことがあった。そしてこれからも色んなことがあるだろう。
ボクが彼女をミウと呼ぶのは、あと一夜限り。
その夜のためにボクは次の準備へと取り掛かることになるのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます