第8話 エピソードその七

聖しあの夜、何かを見つけたような気持ちだった。

今はそれをそっと胸に抱いておこうと思っていた。

あの日以降、アパートから会社へ行くまでの間、ボクの手は真っ赤に染まっていた。もちろん、おどろおどろしいわけじゃない。ミサからもらった真っ赤な手袋のお陰だ。派手な色なのでちょっと恥ずかしいような気もするが、慣れてくると気にならなくなる。この手袋をしているといつも彼女と手をつないでいる感覚になるから不思議なものだ。

さても、忙しいのは彼女だけじゃない。ボクの仕事も年末ギリギリまでは働きアリのような毎日だ。

「○○商店の伝票は出したか!」

「△△酒店への追加は伝達したか!」

「□□の件はどうなってる?」

次から次へと発注と伝票とクレームが飛び交っていた。

仕事納めの日、最後の配達を配送センターに送信すると、我々の業務は終了する。

ほっとする時間、それは十二月三十日の夜のニュースが流れる頃だった。

課長がみんなを集める。

「今年もご苦労様でした。我々の年末年始の休暇は他の業種から比べると短いかもしれないけど、みんなのガンバリはきっと来年のボーナスに反映されるだろう。それじゃあ。」

そう言ってみんなの前に配られていた缶ビールが一斉に掲げられた。

「おつかれさん、かんぱーい!」

これがわが社の毎年恒例の年末終了行事らしい。ボクにとってはまだ二回目の行事だが、ようやく仕事から解放される安堵感が、みんなの笑顔に現れる。

ボクも一本だけは頂くが、二本目からは遠慮する。この後すぐに帰宅して、実家に帰る準備をしなければならないのと、深夜に東京を出立し、日が昇る前には箱根峠を越えていたいからである。

ヒデも同行することが決まっている。

ボクはドライブが趣味なので小さいながらもクルマを持っているが、ヒデはというと免許は持っているがクルマがない。

仕事納めの日が一日早い彼には十分な休養期間があるので、運転を任せることで、二人して静岡に帰るという共通の目的が果たせるのである。


この日もすでにボクのクルマはヒデに預けてあった。キーは渡してあるので、前日に乗って行って構わないとしていたし、あとでヒデを迎えにいくのが億劫だったこともある。

さても仕事を終えたボクは、帰宅後すぐに帰省の準備を始めた。すでにあらかたの用意は終わっていたので、最後の片付けさえしておけば、さほどの時間はかからない。

時計は深夜の一時を指していた。ボクはヒデに連絡を入れる。

「こっちは準備OKだよ。何時に来る?」

「もう向かってるよ。あと二十分ぐらいで着きそうだ。今日も高速道路はひどく混んでるってよ。どのルートで行く?」

「結局東名を下るのが一番早いだろ。ちょっとでもクルマが少ない時間帯を狙うために、こんな夜中に出かけるんじゃないか。」

「まあ、それもそうだな。途中で休憩しながら行くしかないよな。」

やがてヒデは予告どおり、電話から二十分後に到着し、後はボクの荷物であるボストンバッグを二つほど放り込んだら出発準備は完了する。

「マジで疲れてるから、神奈川を出るぐらいまでは寝かせてもらうよ。」

「ああ、去年と同じパターンだな。オレは昼過ぎまで寝てて、さらに昼寝までしたから休養十分さ。」

二人を乗せたクルマは、間違いなく渋滞しているであろう高速道路へと突っ込んでいく。同時に間もなく、クルマの振動とともにボクは深い眠りの中へと落ちていく。疲れた体と乾杯の一本がボクをあっという間に寝かせてくれたのである。


最初に休憩したのは駒門PAだった。

さすがに足柄のSAは未明の時間でも人がいっぱいで、あまり名の知れていないこちらの方がパークしやすかったようだ。

「おいアキラ、ションベにいかねえか。」

「ああ、ここはどこだ?」

「ちょうど神奈川を抜けたとこだよ。こっちの方が停めやすかったからな。腹はへらねえか?フードコートがあるぜ。」

「そうだな。」

ボクたちは深夜にもかかわらず、割りと混雑しているフードコートで二人がけのテーブルをやっと見つけると、どっかと陣取った。

「オレはラーメンでいいよ。ここで待ってるからヒデは好きなの食べれば?」

ボクは寝起き状態だから、さほどガッツリ食べたいわけじゃない。目が覚めればそれでいいので、そうヒデに伝えるとまだ眠い目をこすりながら、目の前のコップに入った水を喉へと流し込んだ。

時計を見ると午前三時三十分。飯田橋にあるボクのアパートから神奈川県の県境を越えるまで、ざっと二時間ほど経過しているという訳だ。

しばらくすると、呼び出しボタンを手に持ったヒデがやってきた。

「何を食べるんだい?」

「腹減ったからな、カツ丼とたぬきそばのセットだよ。後の運転は任せたからな。」

そろそろボクのアルコールも完全に抜けている。ドライバーの交代にはいいタイミングだった。

「だけど何があるかわかんないから、まだ飲むなよ。」

「わかってるって、そのわかんない何かのためにちょっと寝るだけさ。」

「まだ寝るのか。昼間は散々寝たんだろう?」

「若い時は睡眠が一番のご馳走さ。平日なんて特にそう思うぜ。」

確かにそうかもしれない。ボクも休みの日には遅くまで寝ていたいクチだ。

「ところでアキラ先生。」

ヒデは何か含みを持ってボクに対する時、必ずボクの名前を先生と呼ぶ。

「今度はなんだい。」

「ここ最近『ピンクシャドウ』へ足が向いてるそうじゃないか。」

「知らんよ。誰がそんなデマを流してるんだ。」

確かにボクはここひと月ほどの間に、ボクにしては頻繁に足を運んでいた。しかし、注意もしていたし、ヒデにもケンさんにも出くわすことはなかったはずだ。

「へっへー。おまいさん、オレたちと出会わなければバレないとでも思ったか。残念ながら店の中にスパイがいたりするんだよなあ。」

「また出まかせを。」

「オイラのオキニの女の子覚えてるか?」

ボクは黙って首を振る。

「カレンちゃんっていってな、日曜日と月曜日以外にほぼ出勤してるのさ。こないだ行った時におまいさんの写真を見せたら、『あっ、この人見たことある』っていうのさ。しかも最近よく来るよって話だし。ミウちゃんっていうんだってな、おまいさんのオキニの女の子。オレんとこにはヘルプに来たことないけど、おまいさんが相当の熱を入れてるって事は、相当の女の子なんだろうな。さあ、白状してもらおうか。」

まさかこんな時にこんなタイミングでけしかけられるとは思ってもみなかった。ただ、あっけにとられるだけだった。

丁度そのとき呼び出しのベルがなった。コレもいいタイミングだった。二人して注文の盆を取りに行ってから元の席へ戻ると、ボクはラーメンをすすりながら、

「他の誰かとの見間違いだよ。」

そう言ってはぐらかそうとしたのだが、

「そうでもないさ。あの手の女の子っていうのはな、客の取り合いとかもあるわけよ。だから他の女の子の客の動向って、結構シビアに見てるモンなんだぜ。オレも他の女の子に色んな指摘をされたこともあるしな。」

もうこうなったらシャッポを脱ぐしかない。

「そうだよ。何度か行ったよ。彼女だと癒されるんだ。でもあの子じゃなかったら二度目はなかった。」

「確かにな。オレが連れて行った店で二度目があったのは初めてだな。紹介したオレも鼻が高いってことよ」

気温のせいか、ラーメンがドンドン冷めてくる。箸の進み具合も遅くなる。

「オレも今度行ったらミウちゃんを指名してみようかな。」

「そんなこと、お前んとこのカレンちゃんが許してくれないだろう。」

「大丈夫さ、ダブルで指名すれば。少し経費はかさむが、両手に花の状態でおまいさんのオキニをじっくりこの手で味わうってのも悪くないな。」

「あんまり褒められたやり方じゃないな。」

「おまいさんが今まで黙ってるからじゃん。指名されたくなかったらどんな女の子か詳しく教えろ。さもないと、ホントに指名するぞ。」

とんでもない脅し方だ。しかしヒデの腕に抱かれた後のミウを想像するには、相当忍び難かった。

「頼むからそれだけは止めてくれ。彼女のことは話すから。」

「やけに素直だな。そんなにイイ子だったのか。」

「ああ、その辺の近所のどこにでもいる女の子なんだ。爪も短くて、髪も黒くて、真面目で素直で・・・。」

「ああ、もうわかったわかった。これ以上のろけられてもたまらん。それで?連絡先ぐらいは交換できてるんだろ?」

「なんとかね。一応出勤の変更があったら連絡してくれるよ。」

「ほう、それぐらい小まめに通ってるってことだな。でも、ほどほどにしておけよ。」

今度は急に諌めてくる。

「別に。大丈夫だよ。」

「いや、これは緊急事態だな。おまいさんが大丈夫なんて言ってる案件はほとんどがはまってる場合だからな。お店の女の子と仲良くなるのはいいが、付き合ったりできるわけじゃないぞ。そこんところは理解しておけよ。親友だから忠告してるんだ。」

「一度ちゃんとデートしたぞ。クリスマスプレゼントだってお店の支給品以外の物をもらったぞ。」

あまりにも言われっぱなしで、多少悔しかったりもしたので、言わなくてもよかったことを言ってしまった。

「それはな、出勤前の食事だろ?奢らされただけじゃん。それに顔見知りの通い客なら支給品以外の物をもらっても普通だよ。オレだってカレンちゃんからは支給品以外の物をもらったぜ。だけどそれほど特別じゃあない。通ってる客へのほんのお礼程度さ。」

ボクは何も言えなかった。そうじゃないと否定できる根拠が何も無いからである。

確かに食事をしたのは出勤前だったし、もらったプレゼントもそんなに高価なものではない。しかし、少なくとも彼女が支給品以外にしつらえた品物はボクへのプレゼントだけだったと思う。しかしこれもボクの思い込みと言ってしまえばそれまでだ。彼女の鞄の中をくまなく調べたわけじゃない。

「いいんだ。オレがそれで満足していれば。彼女とご飯が食べられただけでも満足だよ。」

「確かにそれはそうだよな。オレなんかカレンちゃん目当てにもう一年半も通ってるのに、いまだに同伴だって許してもらえてないしな。おれもそろそろオキニの乗り換え時期かな。そのミウちゃんていう子に。」

「おいおい、全部喋ったんだから、今更それはないだろう。」

「はははは、ウソだよ。それにしてもおまいさんはわかりやすいなあ。そんなのでよく食事に引っ張り出せたなあ。いや、もしかしてこういう単純なやつの方が行きやすいのかな。オレも今度はその手でいくかな。」

「今更やってきたことを無かったことにはできないんじゃない?」

「確かに。そのミウちゃんって子はカレンちゃんと仲良くないのかな。今度ダブルデートの提案してくれよ。全部オレの奢りでいいから。」

「無理だよ。オレだって二度目があるかどうかわからないんだから。」

「ん?さてはなんかあるな?」

「彼女は学生なのさ。今年で卒業だから、もうオレと遊んでる暇なんか無いのさ。オレも彼女の卒業の邪魔になるようなことはしたくないし。」

「ああ、その素直なところなんだな、きっと。女の子がそれを本気で捕らえるかどうかは個人差があるかもだが。」

「もうそろそろこの話はいいだろ。早く出発しないと、年内に着かなくなるぞ。」

かれこれ三十分は話し込んでしまっただろうか。夜が明ける前に静岡県内に入っておかないと、今度は後続の渋滞に追いつかれてしまう。それだけは避けなければならない。

ああ、内緒にしてたのに、ほとんど喋ってしまった。それはそれでかなり深い後悔をしている。ケンさんには喋らないように口止めしておかないと。

そんな約束を守れるヒデじゃなさそうだけど。



やがて夜が明けて、多くの人が次の行動に動き出す頃、ボクたちは無事に静岡に着いた。ヒデを実家まで送って、その足でボクは自分の実家へ向けてアクセルを踏んだ。

ときはすでに大晦日、多くの家で正月の準備に余念がなかった。すでにしめ縄や門松が玄関先に飾られている家が何軒もあった。

ウチではお袋がボクの帰りを待ちかねており、ボクが帰ると同時に「ご飯は食べたか」と聞いてくる。昔から世話好きのお袋のことだ。しかし今となってはそれが少々鬱陶しい。

更に今回は相当なところまで踏み込んできた。

「どうだい、そろそろ彼女は出来たのかい?東京の女に精々騙されんようにな。」

だってさ。

ボクだってみんなが思っているほど初心じゃないと思っている。

そりゃあ確かにヒデほどは経験が無いことは確かだ。でもボクだって人の良し悪しはわかっているつもりだ。

この正月は親戚中から彼女のいるいないについてからかわれることとなったが、まだ二十五にもならない若造を相手に、まさか本気で結婚を急がせる大人は一人もいなかった。


年が明けて二日目にもなると、ボクの体はようやく親戚一同のしがらみから切り離されて、友人たちとの集まりに顔を見せることとなる。

イの一番に誘いに来たのはヒデだった。

「明日の夕方に東高の同窓会やるから来いよ。」

東高とは我らが母校、東山沼津高校のことである。卒業して六年なるが、いまだ地元愛の強い輩たちが、盆と正月には必ず集合する慣わしである。

いつものメンバーはバドミントン部仲間であり、サッカー王国県下の高校生としてはやや異色の部類に入る連中かもしれない。

バドミントン部の同窓会は、いつも沼津駅近くのおでん屋で開催される。部活の帰りによく立ち寄ったおでん屋だ。さすがに当時は酒を飲んだりはしていないが、串を三本ほど頬張って、空腹を満たしていた。おじさんが顔見知りなのでボクたち一行のためにだけ、毎年三日は店を開けてくれる。もちろん、おじさんも参加することはいうまでもない。

同窓会はヒデの乾杯の発声から始まる。これもいつものことだ。

「さて諸君、今回はみんなにうれしい報告がある。なんとアキラ先生が恋に落ちているのである。みんなこぞって彼の恋路を応援してやって欲しい。」

のっけからバカな宣言から始まったものだ。みんなは高校時代の失恋話も大学時代に恋人を取られた話も知っている。だからこそのネタ振りだったのだろうが、ボクにとっては迷惑千万この上ない。

「今度はどんな子だ?」

「どこまでいった?」

「東京の子か?」

みんな蜂の巣を突いたように矢継ぎ早に聞いてくる。そのほとんどが興味本位のゴシップ取材のようなものだ。

「頼むから何も聞かないでくれ。そんなんじゃないんだ。」

「いいよ、オレから発表してやるよ。」

「おい、怒るぞ。恥ずかしいからやめてくれ。」

「けっけっけっけ。実はな、キャバ嬢に恋してるんだよコイツ。しかもかなり真剣だとみたなオレは。それによ、もう彼女とデートしてるみたいだから、結構イケてるんだぜコイツにしては。」

「おおお。」

一斉に皆が驚いたように嘆く。

「さあ、コイツの悩みを聞いてやろうよ。」

「そんなことを酒の肴にするのは止めてくれ。まだ何にもできてないんだから、そっとしといてくれよ。」

「ホントはな、羨ましいんだよ。普通、キャバ嬢と付き合うなんてなかなかできることじゃないんだぜ。オレなんか一度だって食事に誘えたこともないんだから。」

「ああ、オレもないよ。オレも実は気になってるキャバの女の子がいるんだけど、連絡先すら教えてもらえないぜ。なあアキラ、どうすれば連絡先を聞き出せるんだ?」

しゃしゃり出てきたのはテルといって、彼も東京の商社に勤めている。

「知らねえよ。ヒデ、後で覚えとけよ。もう東京へは送ってやんねえからな。」

「まあそう言いなさんな。みんなおまいさんの手口を知りたがってるんじゃねえか。それとどのみちその恋は成就しないだろうしね。」

「だったら、尚更ほっといてくれよ。振られる手口を知ったところで仕方ないだろ。」

「ところがそれが違うんだな。誘い出すまでの手法の方が難しいのさ。どうやらアキラはスタート部分だけは天性のものを持ってるみたいだし。それにコイツは告白して振られたことがないはずだ。いつも付き合ってからなんだよ、アキラ先生が振られるのは。」

テルは大学も東京だったので、ヒデと同じくらいボクの恋愛遍歴を知っている。

「そうだろ、こいつは女に優しいのさ。だからテルの言うスタートは優しさが大事なんだな。それぐらいはオレだってわかってるんだ。だけど何かが違うんだよ。アキラのは。」

「そんなことないさ、一緒だよ。きっとヒデやテルみたいにヘラヘラしてないだけだよ。」

「オレだってヘラヘラしてるわけじゃないさ。」

「でもお前にはいつも候補が三人ぐらいいるからな。それがアキラとは違うところだよ。」

テルがヒデを諌めていたが、矛先をすぐにボクへと移す。

「ところで、写真ないのか?その可愛いキャバ嬢の。」

「ないよ。まだそんな仲になってない。ちゃんとした告白だってできてないんだ。」

「ん?じゃあ何か?同伴のメシを奢らされただけってことか?」

「それは違うらしいぜ。そこんところが実に曖昧なんだが、そういうところを聞きたいんだよなあ。」

「たまたま出会っただけさ、コーヒースタンドで。それだけだよ。」

「メシを食ったのもそのスタンドか?」

「違うけど、その後も偶然が続いただけさ。ただのラッキーだよ。」

「ようするに運が味方してるってこと?」

「そう、運がいいだけ。なっ、何にも参考になんかならないだろ。さあ、それよりもタカシの新婚生活の話を聞こうよ。」

今まで黙ったまま明後日の方向を向いていた新婚のタカシは、急に話を振られてあっけにとられていた。

みんなもボクからはこれ以上新しいネタが出ないだろうと踏んだのか、矛先をタカシへと向けていった。それからのボクは話題がもう一度ボクへ戻ってこないようにと気配をずっと消しながらみんなの輪に参加していた。そんな同窓会だった。

おでん屋を出た一行は、ヒデの先陣で地元のガールズバーに行ってはしゃいだ後、朝までカラオケで羽目を外し、日が昇る頃にようやく帰路に着くのである。

さすがに夜通し遊んだお陰で、眠い目をこすりながら・・・・・。

何だかやり切れない気持ちを抱えながら空を見上げると、見覚えのある真っ赤な月がボクを責めるように見下ろしていた。憤りが迷走する夜だった。



正月に遊びまくったお陰で体力は消耗したが、メンタル部分は一新できた。

休みの間、ボクはミウのことを一日だって忘れることはなかった。東京に戻れば、新しい年の新しい生活がボクを待っているはずだ。

ボクの仕事もヒデの仕事も年明けのスタートは六日からだった。遅くとも前日には東京に戻らなければならない。ボクたちはその前の日、つまりは四日の夜に静岡を発つことにしていた。しかも帰りはテルも一緒に帰ると言い出している。

「もうちょっとアキラの話を聞いておきたいからな。」

というのがテルの言い分であったが、ボクは彼女に関することは金輪際、彼らには話さないつもりでいた。

しかし、ヒデという解説者がいるのだから堪らない。

「ヒデちゃん、とりあえずその店をオレにも教えてくれよ。絶対ヒデの女の子もアキラの女の子も指名しないからさあ。オレだってお前たちとなんとか兄弟になるのは嫌だからな。その辺は弁えてるつもりだぜ。いい子がいるんだろその店。」

「お前だっていつも行ってる店があるんだろ、そこでいいじゃねえか。」

「いやあ、もう半年ぐらい通ってるんだけど、一向にオレになびいてくれなくてさ。同じ店で鞍替えするのはちょっと具合が悪いけど、違う店ならわからんだろ。」

「だけど、お前の職場は浜松町だろ。オレたちが行ってる店は新宿だぜ。真反対じゃねえか。通えないぞ。」

「ちょっと歩くけど、地下鉄なら一本でいけるさ。」

「じゃあ、本気でその気になったら連絡くれよ。一緒に行ってやるから。」

「で、お前さんたちのオキニの女の子の名前は?」

「オレのオキニがカレンでアキラのオキニがミウ?だっけ?」

「ああ。」

ボクは素っ気無く返事をした。心の中では、早くその話題が終わってくれないかと願って止まなかったのだが、ヒデとテルには共通の話題らしく、かなりの時間盛り上がったまま東へとクルマは走る。

「よし、オレも頑張るぞ。」

テルはきっと勘違いしているに違いない。誰もキミの事なんか応援してないよってことを。

こうしてボクの年末年始の休みは終了を迎える。

懐かしい顔に出会えて少しはリフレッシュできたかな。そんな冬休みだった。



新年早々、仕事は忙しかった。

忘年会の後に待っているのは新年会である。まるで判を押したかのように多くの人々が宴会場へそぞろ連なっていく。そうなるとボクの会社は大忙しになるのである。

逆に言えば稼ぎ時ではあるので、この時期に閑散としているよりは格段にいい状況なのだ。ボクたちをポジティブにさせるための要因でもある。

ミサにも早く会いたかった。お店の中のミウでもいい。早くあの可愛げな笑顔が見たかった。あのやわらかな肌の感触と心地よい芳香を取り戻したかった。

ホームページを見ると、『ピンクシャドウ』は正月の三日から営業していたようだ。

しかしながら彼女の出勤情報は掲載されていなかった。彼女もまた、限りある学生最後の冬休みを満喫していたのかもしれない。そして、それはそうあるべきだと思っていた。

かく言うボクも学生時代にもう少し色んなことを体験していればよかったなと今更後悔することもある。学生時代にしかできないことって山ほどあるんだなということを学生時代が終わってから気付くのである。大概の大人がそうであるように。

そうして新しい年が一週間ほど経過した頃、暦は成人の日を迎える。近年政府が操作した正月明け最初の土日月の三連休となる週末である。

そしてボクはホームページ上でミウの出勤情報をみつける。同時にミサからのメールが着信されていた。メールのタイトルは「あけおめ」で、本文は、

―日曜日に出勤することになりました。よかったら会いにきてください。―

普通に読めば、キャバ嬢の営業メール以外の何物でもない。

しかし、本文の最後には「ミサより」と書いてあるのを見て、そうではないと自分に言い聞かせる。

大義名分はともかく、その日にお店に行けば会えるのだから、絶対に行くぞと心に決めてスケジュールを立てていく。

大事なことは土曜日の留守番当番を買って出ることである。すると自動的に日曜日は非番となるからである。なんなら月曜日も出勤したって構わない。そうすることで日曜日が自由にコントロールできるなら。

結果的には、皆それぞれの思惑があるようで、ボクの当番は土曜日だけとなった。

さて、そうなると次はお土産の準備だ。もちろん、ちゃんと静岡で調達してある。

今日はまだ水曜日だというのに、もう朝から遠足気分だ。

そんな折、ヒデから電話が入る。

「土曜日に『ピンクシャドウ』へテルを連れて行くけど、アキラも一緒に行かないか?」

静岡からの帰りのクルマの中で、彼らが話していた予定が履行されるようだ。

「行かないよ。その日は仕事なんだ。何時になるかわからないから。二人だけで行ってくればいいじゃん。」

ミウの出勤日じゃないことは別に言わなくてもいい。かえって出勤日を知らせることになり兼ねないからである。

ヒデもカレンさんの出勤日は把握していても、他の女の子のスケジュールまではご存じないようだった。

これでひと安心である。なぜなら、彼らだって土曜日に行ってさらに日曜日まで行くなんてことは、おおよそ有り得ないからである。つまりは、ボクの行く日には彼らと鉢合わせすることがないということである。


土曜日の留守番は多忙を喫した。先輩の受発注が中途半端に終わっていたため、書類を確認するのに右往左往。何とか配送センターの最終便に間に合うことができたが、営業スタッフが二人ほど緊急配達で出払っていたため、かかっている電話に間に合わないものが何件かあった。それがボクの得意先でなかったことを祈るのみである。

土曜日は配送センターが十九時で締め切るため、後の残業は翌日発送の整理だけとなる。恐らく最も過酷になるのは明日の留守番だろう。明日だけは外しておいてよかったと、我ながら感心する。

疲れた体を引きずるようにしてアパートに戻ったのは夜の十時を少し回ったあたりだった。夕飯も駅を降りたところで牛丼をさっくりと胃の中に納めて後、コンビニで缶チューハイとサラミを買って帰るだけとなった。

テレビをつけてニュースを見ようとしたとき、テルからの電話が入る。

「おう、アキラ先生元気かい?今日、ヒデに連れてってもらったぜ例のところ。オレにはアキホちゃんっていう女の子がついてさ、彼女もすごく良かったよ。ヘルプについてもチューするんじゃねえぞ。よろしくな。」

「初めて聞いたよ、その子の名前。でもわかったから。ヒデにもよろしく。」

「いやいや土曜日だぜ、今どこにいるんだい、まだ十時ちょっとじゃねえか、遊びに行こうぜ。いい若いモンがこんな時間に帰宅する手はないだろう。」

「オレは今まで仕事してたんだ。疲れてるから今日は寝かせてくれ。もう自分ちに帰ってきてるし。今から出て行く気力も体力もないよ。」

「じゃあ、オレたちがおまいさんちへ行ってやるよ。」

「来るな。もう鍵を閉めて寝るんだから。また今度付き合ってやるから、今日と明日はゆっくりさせてくれ。ヒデにもそう言っておいてくれよ。」

それだけ言ってボクは一方的に電話を切った。

数十秒後にケータイがなったが、おそらくはそうなるだろうと思っていたので、マナーモードにしてほったらかしていた。

それからボクは缶チューハイを空にした後、シャワーを浴びてベッドへと潜り込んだのだが、十分もしないうちに叩き起こされる羽目に陥る。

『ピンポーン』

玄関の呼び鈴が鳴る。まさかとは思っていたが、おそるおそる覗き窓を見てみると、案の定悪友二人がニヤニヤしながら呼び鈴に指をかけていた。

いつまで経ってもドアを開けないボクに対し、何度も呼び鈴攻撃を仕掛けてくるので、近所迷惑を考えたボクは、諦めたように扉を開いた。

「おいおい、居るんなら早く出ろよ。」

「もう寝るから来るなって言っただろ。」

「まあそういうな。折角来たんだから、ちょっと入れてくれよ。」

彼らはボクの許可を得る以前からすでに足を踏み込んできている。多勢に無勢では、後退りするしかないボクを部屋の奥へ追い込むように押し入ってくるのだ。

「ほら、ちゃんと土産を買ってきてやったんだから、素直にオレたちの話を聞け。」

寝入り端を襲われた状態のボクは、コタツのスイッチを入れ、寝間着の上から半纏を羽織って渋々座り込むしかなかった。

「まあ、まずは乾杯だ。」

おそらくはコンビニで買ってきたのだろう。ビールにチューハイにポテチにコロッケ、おでんまで買って来てるのだから恐れ入る。どっかと座った遠慮のない二人は缶をプシュプシュと開けて、勝手気ままに飲み始めるのだ。

「今日、『ピンクシャドウ』に行ってきたのさ、テルを連れてな。それでカレンちゃんに色々聞いてきてやったぞ。」

「大きなお世話だ。」

「彼女の出勤はせいぜい週に三日だそうじゃないか。しかも今月からはどんどん出勤日を減らしてるって聞いたぞ。なんでだ?」

「なんだよ、そこまで聞いてて理由までは教えてくれなかったってことか?」

「って言うか、カレンちゃんもそこまでは知らないみたいだ。」

「じゃあ、知らないでいいじゃん。オレも知らないよ。」

「いや、おまいさんが知らない訳がない。もうデートもしてる仲で知らない訳がない。カレンちゃんもそう言ってたぞ。」

「お前、そんなことまで喋ったのか。店に知れたら彼女が叱られるじゃないか。」

「ん?なんで?」

テルが不思議そうな顔をしてボクに問う。

「食事しただけだし、その後同伴出勤してないからさ。店は知らないことになってる。」

「大丈夫だ、カレンちゃんには口止めしてあるから。それよりも、出勤が減るってことは辞める前兆だって言ってたぜ。ホントか?」

「オレは知らん。それに、そんなことを知ってどうするんだ?オレだってそんな先のことなんか考えたこともなかったのに。」

「だからダメだって言うんだ。もう辞めるかもしれない子なんだぜ。早く落としにかからないと間に合わねえだろ。」

「ほっといてくれないか。オレが彼女目当てに何度か店に行ってる事は事実だし、一度だけ食事したのも事実だ。でもそれだけなんだよ。お前たちに背中を押されたところで、それ以上先に飛び込むかどうかは別の話だよ。」

すると、今まであまり口を開いていなかったテルが言うには、

「あのな、オレたちは本気でお前の恋愛が上手くいけばいいと思ってるんだ。例えそれがキャバ嬢でもだ。アキホちゃんはそのミウちゃんって子のことをあまり知らないようだったが、ヘルプに来た女の子はいい子だよって言ってたし、それならお前を応援してやろうと思ったのさ。」

「気持ちだけ受け取っておくよ。」

「行くんだろ、明日。いやもう今日か。聞いたよカレンちゃんから。金曜日と日曜日なんだろ、彼女の出勤日は。ホームページでも調べたぜ。だから今日は来なかったんだろ。」

「今日はホントに仕事だったんだ。だから疲れてるんだよ。」

「わあったわあった。オレたちが言いたかったのは、店の女の子から聞いた情報だと、ミウちゃんてホントにいい子だってことを聞いたから。このまま頑張れって言いたかっただけなんだ。ちゃんとモノにしろよ。」

「はいはい。カレンちゃんとアキホちゃんにもよろしくね。」

言いたいことを言い放ったら満足したのか、ヒデもテルも立ち上がる。

「まだ、電車あるのか?」

気になったので聞いてみたら、

「新宿まで出られれば十分だよ。まだオレたちは今からでも遊びに行くからさ。お利口さんは早く寝な。おやすみ。」

そう言い残して二人は再び土曜日の闇夜へ出て行った。

女の子から聞いた情報をいち早く伝えにきてくれたのだと有難く思うこととしよう。

彼らが立ち去った後、コタツの上は彼らが散々食い散らかした残骸でいっぱいだったのには唖然とした。しかし、今からコレを片付ける気力は無い。諦めて明朝にでも片付けることとしよう。今宵は月のことなど気になることもなく眠りにつくのだ。今のボクには少しでも長い睡眠時間が必要なのだから。

できることならミウの夢を見られるようにと願いながら・・・。



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