第6話 エピソードその五

店に着いたボクは、今までと同じようなルーチンをこなして店内に入る。もちろん女の子の指名はミウであることは言うまでもない。

こんな遅い時間に訪問するのは初めてだ。しかしさすがは金曜日、店内には多くの客の喧騒が渦巻いていた。ボクはドアの手前から二番目の通路の奥にあるシートに案内された。そしてミウが現れる。

「アッくんこんばんわ、今日は遅いのね。飲み会だったの?」

「うん、さっきまで会社の忘年会だったんだ。終わってすぐに来たんだよ。」

「みんなと一緒に?」

「いいや一人さ。みんなには教えたくないからね。こんな可愛い子がいるところ。」

「うふふ。」

ボクたちは一週間ぶりの抱擁と口づけを楽しむ。

(確認しておくが、楽しんでいるのはボクだけで、彼女は仕事として仕方なしにこなしているということは、一応認識している。ただ、ボクとしてはこの店の中だけでは恋人でいたいので、そういう表現をしているということ。)

スタートのキスはゆっくりと時間をかけて、互いのぬくもりと芳香をじっくりと確かめ合う。その時が永遠であれば良いのにと思うほどに。

やがてボクは彼女の体を離して、鞄の中から小袋を取り出した。

「今日もお土産があるんだよ。ブログネタ用のね。」

「ホントに?なになに?どんなの?」

はしゃぐ姿はホントにその辺の近所に居る女の子みたいだ。昔から知っている同級生の妹、まさにそんな感じである。

「うわあ、何これ?面白い、こんなのがあるんだね。」

ミウはボクが用意した小物を次々と手のひらに載せては観察する。チーズのキーホルダーはプニプニとした感触が気に入ったらしく、指で何度も押さえてはコロコロと笑っていた。

「これでブログも書けるよね。ミウちゃんの更新頻度が少なすぎて淋しいよ。」

「ゴメンネ。でもまだ卒論が書き終わってないからそれどころじゃないの。パソコン打つの下手だし。アッくんはキーボードってパチパチ打てるの?」

「そうだね、一応ブラインドタッチで打てるよ。」

「すごーい。私もそれぐらい早く打てれば、もっと早く論文書けるのに。」

「なんならボクがキミの代わりに打ち込んであげようか?」

「うふふ、そうね、ホントにお願いしようかな。」

「連絡してくれれば何時でも手伝いに行くよ。」

「うん、わかった。お願いね。」

まあ、そんなことは実現しないのだが、わかっていても少し期待してしまう。

そして、ふと彼女の手先を見ると、それこそ白魚のようにか弱くてか細い指をしていた。爪の先も綺麗に短く切りそろえられており、最近流行のネイルアートも付いていなかった。

「爪は伸ばさないんだね。」

「うん、リクルートの時期だし。ホントは綺麗にしたいんだけど。」

「ボクは短くて清楚なのが好きだよ。できればこのままの方がうれしいな。」

「わかった。アッくんがこの方がいいって言うならそうする。」

ボクは黙ったまま彼女を抱き寄せ、その美しい指に口づけを捧げた。

「ところで、まだボクのことは信用できない?」

「えっ?何のこと?そんなことないよ。」

「何時になったらメールをくれるのかなと思って。ボクの名刺は渡してあったよね?」

「あっ、そうだった。別に信用してないから連絡しないとかじゃないの。ホントに今はバタバタしててできなかっただけなの。」

「大丈夫。怒ったりなんかしてないから。それにボクが勝手にメールしたって、逐一返事をすることもないんだよ。」

「うん。ゴメンネ。今度するから。」

「覚えてたらでいいよ。それと、もう連絡がとりたくないって思ったら、着信拒否の扱いにしてくれていいからね。」

「大丈夫、そんなことしないから。」

彼女はそっとボクを抱きしめてくれる。

「でもね。ボクもただのエッチな男の人だから、あんまり安心しすぎてもダメだよ。」

「うふふ。アッくんはアッくん。可愛くてジェントルでちょっと甘えんぼさん。私にはそう映ってるわ。」

「そうか。じゃあ少しばかり甘えさせてもらおうかな。」

ボクは彼女の胸に顔を埋め、その肌に唇を這わせる。同時に右手は背中へと移動し、左手は腰の辺りへと遠征している。

このとき彼女はどんな表情をしていたのだろう。ボクはただうっとりとするしかなかったのだが。

そんなタイミングで気の利かないアナウンスが流れる。


=ミウさん、六番テーブルへバック=


「ゴメンネ。今日はもう一人だけお客さんがいるの。すぐに戻ってくるからね。」

やはり金曜日に独占という訳にはいかない。

この店には客が好き勝手なことを書いては楽しんでいるネット上の掲示板があるのだが、ある輩がミウのことをこう表現していた。

『こんな店にはいなさそうな初心な感じ』

まさにその通り。ボクもこういう店の事情をよく知っている訳ではないが、確かにこういう店で働いている女の子っぽくない感じがする。ボクも彼女のそういう雰囲気がたまらなく好きだ。

しばらくして、今宵の一番手でヘルプに来てくれたのはミカさんだった。

「あら、また来てたのね。よっぽどミウちゃんにご執心なのね。」

「はい。そのとおりです。完全に恋してしまいましたから。」

「そうねえ。ホントに可愛いものねえ、彼女。わかる気がする。半年後にはきっとかなりの人気嬢になるわよ。でもね、みんな人気が出てくる前に辞めちゃうのよね。」

「彼女は学生ですから、きっと学校を卒業するタイミングで辞めると思いますよ。そのときがボクの失恋記念日になるんですけどね。」

「上手いこと言うわね。まあでもココのお客さんは、大抵みんな最後は失恋するんだから、可哀想といえば可哀想ね。」

「ミカさんはそういう人たちをどうやって慰めるんですか?」

「そんなの無理よ。どんな言葉を言ったって慰めになんかならないわ。だからあなたも覚悟しておきなさい。」

胸にズンとくる言葉だった。恋の奴隷にとっては死の宣告をされたに等しい。

「ミカさんにはお客さんつかないんですか?そんなに綺麗な人なのに。」

「私はね、ヘルプ専門なの。あんた達みたいな可哀想な男の人たちを見て回るのが趣味なのよ。」

「意地悪な趣味ですね。でも今まで多くの失恋を見てきたんですね。」

「そうでもないわよ。だって女の子が辞めちゃうと、お客さんはもう来なくなるもの。だから悲壮な顔なんか殆ど見たことがないわ。あなたもミウちゃんがいなくなったら、もう来ないでしょ?」

それもそうだと思った。きっとボクも彼女が店を辞めたら、もう来なくなるんだろうなと。

少しブルーになった気持ちを立て直そうと、ミカさんに話しかけようとしたとき、場内アナウンスが聞こえた。


=ミウさん、十一番テーブルへバック=


十一番テーブルというのは、今ボクが座っているシートである。そう、彼女が戻ってくるというアナウンスだったのだ。

「さあ、またミウちゃん戻ってくるから、彼女が辞めるまでは精々甘えておきなさいね。」

まるで先ほどのボクたちの会話を聞いていたかのようなセリフだった。後で聞いたところによると、ボクはミカさんからも“甘えんぼさん”に映っていたらしい。

「ただいまあ。」

ミウの第一声はいつもこんな感じだ。

「もう、あのお客さん帰ったから、今の指名はアッくん一人よ。これでゆっくりできるわね。私もアッくんだけがいい。」

まあ、こんなことを言われて嫌だと思う客は一人もいるまい。

「じゃあ、よろしくしてくれる?」

「うふふ。」

彼女は黙って抱擁と口づけを与えてくれた。

と同時に次のアナウンスが流れた。


=ミウさん十一番テーブルアタックタイム=


そう、時間が来たから延長をお願いしなさいという合図である。

「アッくん、どうするの?」

「今日もアタックしてくれたらいいんじゃない?」

本当は2セット分先払いできるらしいが、ボクはわざと1セットずつ支払うのだ。ミウはまだ慣れてないのか、アタックの仕方が上手くない。ボクは少し意地悪な感じで、「お願い」って言わせる。すると彼女は恥じらいながら「アッくんお願い、もう少し一緒にいて」って甘えるように唇を合わせてくる。またこの時の仕草や声がたまらなく可愛いのである。

ボクは「仕方がないな」なんて言いながら延長料金を支払うことになるのであるが、まさか、この時のボクの顔ったら、きっと鼻の下が抜群に伸びているに違いない。

支払の処理が終わると、彼女はボクのシートに戻ってきて、ボクの膝の上に乗ってくる。そして、しなやかな動きでボクを魅了する。

ボクは片膝をついた体勢で彼女を仰向けにし、動きの自由を奪う。そして愛でるように彼女を弄ぶのである。

彼女の顔を上から覗き込むようにじっと見つめると、

「見つめられると恥ずかしい。」

と言って、ボクの目線から逃げるように顔をそらす。すると首筋のラインが露になり、ボクは吸い込まれるようにうなじを襲い始める。そこからボクの唇は徐々に胸の丘陵へと移動を始め、その頂点を征服するころには、再び彼女の唇を所望したくなるのである。

この日のボクは、ただひたすらに彼女を堪能したかった。

どうしても残るモヤモヤ感はボクのズボンの中で暴れてはいるけれど、彼女のニッコリとした清楚な笑顔がボクを尋常な状態に引き戻してくれている。

指名がボクだけになっているとあって、途中で一度トイレに立った以外は、ずっとボクのそばにいてくれた。ボクの体中がミウの匂いで充満されるほどに。

そして今宵のグッバイタイムが来るのである。

「また時間が来たって言ってるけど、どうする?」

「ボクはね、明日も仕事があるんだ。だから今日は帰るよ。またクリスマスのイベントには来るから。プレゼントは何がいい?」

「プレゼントなんていらないわ。アッくんが来てくれるだけでいい。そして私を癒して。」

「うん。きっと来るから。」

そして慌ただしかった金曜日の夜、ボクと彼女との逢瀬の時間が幕を閉じる。

ボクはいつものようにドアまで見送られて、夜の静寂へと飛び出すのである。

「今夜はやけに冷えるな。」

さっきまで十分に暖めてもらっていた体は、師走の底冷えを敏感に感じ取っていた。

同時に心の中を通り過ぎる風も微妙に感じていたのである。

今宵の月も冷たい表情でボクを見下ろしている。何を伝えたいのだろう。



翌日の朝、ボクは出勤するため、朝早くから起きていた。

何気にケータイを見てみると、ミウからメールが入っていた。着信時間は午前二時十五分。店が終わって、家まで送ってもらうクルマの中で送信してくれたのだろう。


―アッくん、おやすみ。―


書かれていた内容はわずかに一行だったが、ボクにとっては何よりもうれしいメールだった。つまり、彼女のメールアドレスを手に入れられたということ。なんだか、わずかながらも彼女とつながった気分になれたからである。

さて、そこからがボクのドキドキタイムの始まりとなるのだ。

最初のメールはどんな風に送ろうか。すぐに返信してもいいのだろうか。気の利いた言葉が必要だろうか。返事を求めるような内容じゃない方がいいよな。

アパートから会社までの間はわずかに三十分程度。その間にああでもないこうでもないと言いながらメールの文章を考えていたのである。

で、結局送った文書は、


―メールをありがとう。とってもうれしかった。頑張ってね、ボクも頑張る。―


精一杯考えてこの内容。我ながら文章力と表現力の無さに落胆する。しかし、今のボクにはこれが限界。また、会いに行けばいいさ。そう割り切って職場へと向かったのである。

ミウから次のメールが来たのは、ボクが最初にメールを送った三日後だった。

「今度の金曜日は急用ができて、お店は休みます。日曜日には出勤するので、会いに来てくれたらうれしいな。」

内容だけを冷静に見れば、普通の営業メールである。慣れた女の子なら頻繁に客に連絡している内容だろう。しかし、ボクにとってはこの文書さえも「ボクにだけくれたメール」として勘違いできるのである。

お陰でボクは金曜日でなく、日曜日に訪問する準備ができるのだから。



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