第5話 エピソードその四

ボクの日常はというと、特に何も変化はなく、ただ平準とした毎日を過ごしていた。

営業成績も特に抜群という訳でもなく、どうしようもないという訳でもなく。

まだ二十代のサラリーマンの給料なんてたかだかしれている。それでも独り者であるがゆえに、給料の全額が自由に使える。

とはいえ、将来設計のためにも無駄な出費は抑えなければならない。何よりも現在の生活だってゆとりがあるわけじゃない。

ボクにとってタイムリーだったのが、十二月はボーナスの時期であったことだ。同期なりの成績を残せたボクのボーナスは、一応規定どおりの額が算出された。クルマのローンには決まった額の確保が必要だが、それ以外に使うアテは無い。多少は『ピンクシャドウ』に使える資金ができるというものだ。

最も手強い敵は現在のタイミングだと、飲み会のお誘いであろう。やれ忘年会だの新年会だのといった時期でもあり、あまり多くない友人からのお誘いが数多あるに違いない。そういった誘惑を多く断ち切り、やり過ごす覚悟が必要だ。

そんなとき、タイミング良くケータイが鳴る。早速おいでなすったなと思った。

「もしもしオレだよ。」

声の主は間違いなくヒデだった。

「ボーナス出ただろ?今度の金曜日、とりあえず少々の軍資金を持って『ロッキー』に集合。七時半でどうだ?」

ほらほら、思ったとおりだ。

「今度の金曜日はウチの会社の忘年会なんだ。その日は無理だよ。」

「じゃあその翌日の土曜日は?」

「おいおい、連荘はキツイよ。」

「じゃあその次の週は?」

「その次の金曜日は得意先の忘年会に呼ばれてるし、土曜日はクリスマスじゃん。」

「いいだろ?どうせ一緒にすごす相手がいるわけじゃなし。」

「どこも一杯だろっていう意味さ。『ロッキー』だって去年は客が一杯でゆっくりできなかったじゃないか。」

「なんだなんだ、急に愛想が悪くなったな。さては女でもできたか?いやいや今のアキラにそんな出来事があるわけがない。一体どうしたって言うんだよ。」

親友の誘いを断るのに少々痛む胸ではあるが、どうせ新年は早々に地元での宴があるに決まっているのだから、年末ぐらいは回避しておきたい。

「静岡に帰ったら、ゆっくり付き合ってやるから、年内一杯の週末は休肝日にさせておくれよ。」

「ちっ、いい若いモンが肝臓なんか休めなくったっていいのによ。わかったわかった。その代わり駿河での新年会は逃がさないからな。」

「駿河でも浜松でも伊豆でもどこでも付き合ってやるよ。だけど、ドライバーはヒデの役目だぜ。遠出をしたがるのはいつもお前さんだからな。」

「今年は駿河でいいよ。秋に帰った時に面白そうな店を見つけておいたから。」

「おい、またそっちの店じゃないだろうな。もういいって言っただろ。」

「普通のガールズバーだよ。まあ女の子はいるけどな。まあそれは行ってからのお楽しみって事で。じゃあ正月に向こうでな。」

これで年末までの最も手強い悪魔の誘いを回避できた。あとは、ミウとの逢瀬をどうするかである。

年内にあと数回は会いたい。二度になるか三度になるかはタイミング次第だ。

特に金曜日の会社の忘年会はウソじゃない。この日は、多少遅くなっても行かねばなるまい。

できれば数少ない彼女の出勤日には行きたいと考えていたのだが、今はそのチャンスは週に二日しかないのである。どうせ会社の忘年会なんて二次会が終わる頃には、みんなバラバラになるのである。さらに翌日は休みなのだから、電車がなくなる時間になったところで、ネットカフェあたりで夜を明かせば済むことだ。

そう、ボクはすでに彼女と会うことしか頭に無いのである。



師走の飲み会シーズンに入ると、ボクらの仕事はかなりハードになってくる。販売量は先月の十数倍にも膨れ上がる。いわゆる「稼ぎ時」といわれるシーズンの一つである。残業なんて当たり前、土日の対応だって若い者が優先的に当番を回される。

用事さえなければ、休日出勤手当てが目当ての若輩者が率先して手を上げる。ボクも今はそのグループに入っている。

しかし、忘年会の翌日だけは回避したかった。さりとて思うことは誰しも同じである。そして、くじ引きの結果、残念ながらボクはその日の当番に当たってしまったのである。その代わりと言ってはなんだが、二次会への参加免除だけはもぎとった。

つまりは、一次会が終わった時点でボクはフリーとなり、彼女に会いに行けるということである。

とりあえず週末の段取りが決定し、後は日常の時間をこなしていくだけなのだが、その忙しさったら、とても尋常ではなかった。営業の合間に彼女へのお土産を探す時間もあまりなく、気持ち的には少々焦っていた。

ある日のこと、お得意先への御用聞きの帰り道、上司から電話が入る。

「すまんがな、新宿の百貨店に寄って菓子の折り詰めを買って来てくれ。ちょっとしたクレームが入ってな。不動君の得意先じゃない、谷口君の担当の店だ。それでオレも一緒になだめに行くんだが、手ぶらじゃな。確かにコッチのミスのようだし。三千円ぐらいでいい、どうせ通るだろ?新宿。」

まさに今、新宿駅を降りたところだったボクは、

「わかりました。丁度新宿駅に着いたところです。三千円程度の菓子折りですね。何時までに戻ればいいですか?」

「資料も作らなきゃいかんから、一時間後ぐらいだよ。そう急がなくてもいい。」

これはラッキーだ。どうせならミウへのお土産探索もしてこよう。ボクは急ぎ足で新宿の百貨店に向かった。

どうせ菓子折りなんかどれもさほど違いは無い。適当に三千円程度のセットを購入し、あとはお土産選びへとシフトチェンジしていく。

店内はクリスマス戦線真っ只中であり、あちらこちらで金銀紅白の飾り付けがされていた。クリスマスのプレゼントは面白いものを考えてある。それとは別に普段のお土産を探したいのだ。

そんな目線で店内を色々物色していると、ある雑貨屋が目に付いた。そこには食品をかたどった小物などがあり、しかも種類も豊富だ。ボクはその中からリアルな描写のビスケットやステーキのメモ帳と手触りがプニプニと気持ちよかったチーズのキーホルダーをチョイスした。

これでとりあえずのお土産は万全だ。ボクはスッキリした気分で会社へ戻った。


多忙のお陰でボクの帰宅時間は毎日夜の十時を越えていた。

十二月のクリスマスと年末戦線、酒を扱う業界としては仕方のないことだ。いやいや、今の時期に売れないとウチの会社は潰れてしまうだろう。

帰宅するころには、毎日かなり疲れている。それでもパソコンに向かって、例のホームページだけはチェックするのが日課となっている。

ミウの出勤は今や週に二日のみ。少なくとも、今までもそのタイミングでしかブログの更新はされていない。しかも毎回でもない。確かに彼女は苦手だと言っていた。

それでも最新の情報がないかと探してみるのである。

「今日も無いか。」

などと呟きながら、他の女の子のブログを覗いてみる。そこには、何を食べたとかどこへ行ったとか、今週は何曜日に出勤だとかが書かれている。

「ミウちゃんもこういう情報を載せてくれたらうれしいのになあ。」

しかし、彼女にとってこの店は卒業までのアルバイト。

「そういえば、彼女はいつまであの店にいるつもりなんだろう。今度行ったらちゃんと聞いてみよう。」

そんなことを思いながら、今宵も更けて行く。ボクは眠くなった目をこすりながらベッドへと潜り込んだ。

外では冷たい風が静かに街並みを包み込んでいた。



待ちに待った金曜日、まずは会社の忘年会が始まる。

「今年も一年間ご苦労だった。とはいえ、まだまだ年末まで忙しいと思うが、もうひと踏ん張り頑張って欲しい。」

と部長の挨拶で宴会が始まる。

この日の料理はちゃんこ鍋だ。焼肉だったらどうしようと思っていた。去年がそうだったから。焼肉はどうしてもニンニク臭が残るから、この後のことを考えると遠慮がちになるのだろうが、結果的にそれは回避されることになった。

もちろん酒も控えめだ。ここでベロベロになったのでは色々と始末が悪い。そんなスローペースのボクを係長あたりが心配する。

「どうした不動、今日はいやに大人しいじゃないか。若いのがそんなに静かでどうするんだ。もっと飲め、そして騒げ。」

「係長、ボクは明日の出勤当番に当たってるんです。今日は食事だけして帰るつもりなんですが。」

「バカモン、若いやつが明日のことなぞ考えてどうするんだ。」

「でもね係長、明日はきっとイロハホテルから電話があると思いますよ。昼間、そんな話をされてましたよね。隣で聞いてましたけど、ボク、明日ヘロヘロのままで対応していいんですか?係長の大得意先でしたよね。」

「うーん、それを言われると弱いな。いい所を突いてくるじゃねえか。さすが期待のホープだな。じゃ、今日は勘弁してやるよ。明日の対応よろしくな。」

係長はボクの肩をポンと叩いて、諦めた様に課長の酌をしにいった。

忘年会は基本的に二時間。八時の開始だから終了は十時だ。

二次会免除の切符を持っているボクは、先輩方に挨拶だけして、みんなを見送る。

さて、その後は急ぎ足で『ピンクシャドウ』へと向かうのである。



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