第3話 エピソードその二

ボクはあの日の夜、帰宅するとすぐさまパソコンに齧りついていた。

目的は『ピンクシャドウ』のホームページを調査するためである。お目当てのホームページはすぐに見つかった。その中でもミウに関するページをさらに調査する。すると、まず目に付いたのが出勤情報である。彼女が教えてくれた日月金の曜日に彼女の出勤スケジュールが掲載されていた。しばらくはこの出勤パターンが続くようだ。

「なになに、開店時間は夕方六時からか。八時までに入れば少し割安なんだな。」

などと細かい情報を入手していく。

次いで女の子一覧を探索してみる。

彼女たちは源氏名順にプロフィールが紹介されていると同時に、スリーサイズや趣味特技などが掲載されている。

ボクは迷わず《ミウ》のページを開く。すると次のような内容が記されていた。

年齢、二十一歳。趣味は海外旅行、特技はテニス。チャームポイントは笑顔で、性感帯は耳だって。そんなことまで書いてあるのかと思った。

しかし、年齢は二十二歳って言ってたような気がする。もしかして最近誕生日を迎えたのかな。今度会ったら聞いてみよう。あの時、聞けなかった彼女についての情報がどんどん入ってくる。便利な世の中である。

好きな男性のタイプが「尊敬できる人」だって。ボクには程遠い偶像だ。それでも彼女に対する感情が変わるわけでもない。

つまりは、こういうことに免疫の無いボクは、たった一夜でいけないパターンへとはまっていくということになるのだ。

そして次に会いに行くタイミングを想定し始めるのである。



再訪の機会は思わぬタイミングで想定よりも早く訪れた。

彼女に初めて会った日の翌々日。

ボクは日曜日であるにもかかわらず、仕事に駆りだされていた。

しかも自分の職場ではない。得意先のイベントブースである。

ボクの仕事は酒の卸売関係であり、この日は得意先が毎年参加している埼玉県のある町の日本酒フェアというイベントだった。

朝から一日、一般のお客さん相手に日本酒を販売するのである。お祭りなのだから、売り方も投げ売り状態である。どれだけサービスすれば気が済むんだというぐらいの騒ぎようだ。おかげで売り子をさせられたボクは食事休憩を少しとっただけで、売り切れになるまでの時間、ずっとバタバタし通しだった。

それでも人気があるのか、仕入れが足りなかったのか、今年の日本酒フェアは例年よりも早くに終了した。

「お疲れ様でした。」

得意先の部長に笑顔で送り出された後、ボクは東京へ戻る電車に飛び乗った。

「思いのほか早く終わったな。さて、帰るには少し早いし、どうしようかな。」

そしてあることに気付くのである。

「今日は日曜日だ。ミウちゃんがいるはずだ。」

時計を見ると午後四時。いまから新宿へ向かうと、丁度二時間ぐらいで到着しそうだ。そう、『ピンクシャドウ』の開店時間である。ボクは急ぎ足加減で駅へと向かい、そして新宿行きの電車に乗り込むのだ。

ちゃんと鞄の中にお土産を仕込んでいることも自覚しながら。


すでに霜月となっている夕方は、日が落ちるのも早い。

ボクが新宿に到着する頃には、もはやネオンなしでは繁華街の店さえも判別できないほどの宵となっていた。

駅を降りて歩くこと数分。メインストリートの少し外れにその店はある。一人でかような店に訪問するのは初めてだったこともあり、ボクの心臓はバクバクしていた。顔見知りはいないだろうか、特にケンさんやヒデとは絶対に顔を合わせたくなかった。

まあ、案ずるより産むが易しである。結果的にボクはこの店で彼らと出会うことは無いのだが、その理由はまた後日談として、ボクはルンルン気分で階段を昇る。

すると見覚えのある看板と見覚えのあるドアがそこにあった。ドアを開くと見覚えのあるボーイが立っている。

「いらっしゃいませ。ご指名がありますか?」

ボクは迷うことなく、「ミウさんをお願いします。」と答えていた。

すると、「コチラでお待ち下さい。」と言われて案内されたのは待合室であった。

その部屋にはテレビと漫画がぎっしりと詰まった本棚が設置されており、オープンまでの時間を何となく過ごせる空間となっていた。その空間を見渡すと、ボクと同様にオープン前から押しかけている輩が三人、ボクを見上げるようにベンチに腰かけていた。この日に出勤する女の子は五人。誰がどの女の子狙いなのかは全くわからない。同じ女の子を指名した場合はどうなるのだろう。そんなことを考えながら、オープンまでの時間を過ごしていた。

そしてテレビに映っていた時刻が六時を示した時、店内の音楽が流れ始めた。開店時間である。同時にやや緊張した雰囲気になるのである。待合室の客は、先着順に店内のフロアに誘導され、指定されたシートへと案内される。

そしてボクの順番がやってきた。案内されたシートは一番手前の通路の前から二番目のシートであった。

後で聞いたところによると、複数の指名があった場合、その客は手前の通路から順に、なるべく離れたシートに座らされるらしい。確かに、お気に入りの女の子が他の客に抱きついている姿は見たくないものだと思う。つまり、ボクの指名した女の子は先客たちの指名の女の子とは違うということである。

そして、彼女がボクのシートに現れる。

「こんばんわ。こんなに早い時間に誰かと思った。こんなにすぐに来てくれるなんて、ホントにうれしいです。」

「今日は仕事だったんです。埼玉でイベントがあって、その帰りなんです。」

「うふ。」

彼女は、言葉少なのままにボクに抱きついて唇を提供してくれる。

そして思い出す彼女の香り。

しばらくの時間、ボクは彼女の体を引き寄せて甘い香りを楽しんでいた。ネットリと絡みつく感触とぬくもりは、たった数日間であるにもかかわらず感じていた淋しさを取り払ってくれる。

やがてゆっくりと体を離して、互いにニッコリと微笑みあう。

「今日はお土産があるんです。」

ボクはそう言って鞄の中から小さな袋を取り出した。

「もしかして、誕生日は過ぎましたか?」

「そうなんです。実は先々週だったんです。」

「そんな頃かなと思いました。ホームページの年齢が二十一歳になっていたので。」

「そんなとこまで見てくれたんですか。すごいですね。」

「ゴメンネ、ミウちゃんのこと凄く気になったからプロフィール全部見ちゃった。」

「ちょっと恥ずかしい。」

そう言って照れる表情もすごく可愛い。素直にそう思った。

「それでね、誕生日プレゼントは大袈裟だけど、一応お近づきのしるしってことで。」

ボクは袋を彼女に手渡した。

「うれしい。開けてもいいですか?」

「もちろんいいですよ。」

彼女が袋を開けて取り出したのは、日本酒の成分が入ったフェイスパック。先のイベントで製造元が開発した商品である。こういうこともあろうかと、彼女のために購入しておいたのである。彼女には内緒だが、身内ということで少し安くしてもらったけどね。

「うわあすごい。いつもこういうの使ってるんです。良いのがないかいつも探してるんですよ。どうして知ってたんですか?」

「それはよかった。いらないものだったらどうしようと思ってたんですけど、使ってもらえますか?」

「はい。大事なときに使わせていただきます。」

「気に入ってもらえたなら、また買って来ますよ。」

最初のつかみは成功したかも。そんな気持ちだった。

そしてボクは再び彼女の唇を求め始め、同時に胸の膨らみへと触手が動いていた。彼女は持っていた小袋をそっと棚の上に置き、ボクの要求に応えるように体を預ける。

今宵も透き通るような、そして滑らかな肌がボクを魅了していく。

「ミウちゃんってここだけの名前でしょ?どうやってつけたんですか?」

「うんとね、本名がミサ、クマノミサっていうんです。だからそれに似た名前の方が覚えやすいよって店長に言われて。」

「えっ?いいの?ボクに本名教えちゃって。」

「あっ。いけない。」

「大丈夫。誰にも言わないから。ボクも聞かなかったことにするから。それに、そんなことを聞き出すために聞いたわけじゃないですよ。」

「うん。」

彼女は舌をペロッと出してシマッタという表情を見せたが、すぐに元通りの可愛い笑顔になって、ボクに抱きついてくる。

「じゃあ。」

ということで、ボクも正式に彼女に自己紹介することにした。

「ボクの名前を覚えてくれますか?」

ボクは鞄から名刺入れを取り出した。

彼女はクリッとした目で、なぞる様にボクの名刺の文字を追いかける。

「フドウ、アキラさん?」

「はい。そろそろ敬語じゃなくてもいいかな。お互いにホントの名前も知り合ったし。」

「うん。」

「アッくんって呼んでくれるとうれしいな。小さい頃、近所の女の子たちからはそう呼ばれてたし。」

「じゃあ、アッくん。」

「なあに、ミウちゃん。」

「私もミサでいいよ。」

「ダメだよ、お店の中では。誰が聞いてるかわからないからね。それよりも、お願いしていいかな。」

彼女は不思議そうな顔をしてボクを見つめた。

「膝の上に乗ってもらってもいい?」

ボクは遠慮がちにお願いしてみた。

すると彼女は何も言わずに、ニッコリと微笑んでボクの膝の上に乗ってきてくれる。

この体勢になると彼女の胸の膨らみが、ボクの目前に現れることになる。そしてボクは嘆願するような眼差しで彼女を見上げた。

「おっぱいにキスしてもいいですか?」

「敬語じゃなくていいって言ったのはアッくんだよ。」

「そうだったね。」

そしてボクは彼女の胸の中に顔を埋める。

そんなタイミングで何かしら場内アナウンスが流れたようだ。

「ゴメンネ。ちょっと行って来る。」

そう言って彼女はボクのシートを離れる。

どうやら他のお客さんのシートへと移ったようだ。ボクの他にも彼女を指名した客が来たのだろうかと思ったが、それは違っていた。

こういう店では『ヘルプ』と言って複数の指名を受けた女の子が渡り歩いている間に、その隙間を埋めるため、指名の少ない女の子がお手伝いに行くシステムと女の子を指名しないで『フリー』として入った客への顔見せする時間が設けられている。

今回彼女が席を立ったのは『フリー』客への顔見せだった。その客が彼女を気に入れば、次のセットからは指名客となるのだが、どうやらその客は別の女の子を指名したようだ。

つまり、彼女は割りとすぐに戻ってくるのである。

「ただいまあ。」

「おかえり。キミがいない間は淋しかったよ。」

ボクはすぐに彼女を抱きしめる。

彼女も無条件でボクに唇を与えてくれる。

そして次のアナウンスが流れていたのだが、そろそろボクの耳にもアナウンスの内容が聞き取れるようになっていた。どうやら延長を促すアナウンスのようだ。

「アッくん、時間が来たって。」

「それで?」

ボクは少し意地悪な言い方で彼女に延長の催促をさせた。

「もう少しいてくれるの?」

「いいよ。そのつもりで来てるし。おねだりしてくれる?」

少しエスっ気な感じでお願いすると、かなり恥ずかしそうにおねだりのポーズを作ってくれる。

「アッくんお願い。もう少しミウのそばにいて。」

言い終わるとすぐにボクの胸に顔を埋める。その後にボクを見上げた時の照れた顔がなんとも言えず可愛い。ボクはギュッと抱きしめて唇をねだる。

そんなやり取りがボクに次の楽しい時間をつなげてくれる。


次のセットに入る頃、ボクたちはようやく互いの間合いがわかってくる。だからボクは、色んな話をしたくなる。色んなことを聞きたくなる。

「ところでミウちゃんは大学生だったよね。卒業したら会えなくなるんだよね。」

「うーんとね、もう就職先は決まってるんだけど、勤務地が結構全国にあって、どこに配置されるかわからないから。近くだったら続けてもいいかなって思ってるんだけど。」

「逆じゃない?近くだと、仕事関係の人とかと会っちゃうよ。だから少しは距離が離れてる勤務地の方が続けやすいんじゃない?」

「そうだよね。気付かなかった。」

「教えてあげたお礼に、もっと抱っこしてもいい?」

「うふふ。」

そうしてボクたちは、またぞろ二人だけの世界に入っていく。

特に多くの言葉はいらない。互いの吐息とぬくもりを確かめ合うだけなのだから。

この時間だけはボクと彼女は恋人同士だった。少なくともボクはそう思っていた。そう思い込める時間だった。

そう、決して彼女はホントのボクの彼女ではないのだ。けれどボクはその時間をまったりと楽しむのである。

結果的にボクがいる時間の間に彼女を指名する客はなく、ときおりフリー客の顔見せ以外で彼女を取られる時間もなかった。

それでもやがては楽しい時間が終了し、そろそろ今宵の別れの時間が来たようだ。

「また来る。また指名してもいいよね。」

「うん。待ってる。」

最後にボクたちは熱い抱擁と口づけを交わして別れて行くのである。彼女は店に残り、ボクは立ち去っていく。

彼女はドアが閉まるまでボクを見送ってくれた。きっとまた来るだろう。ドンドン彼女にはまって行く自分がいた。

またいたいけなボクのいけない恋が始まってしまったのである。

夜空には、薄く神妙な光を放つ月がボクを見送っていた。



それでもボクは期待していた。彼女からメールが来ることを。

しかし、その期待は見事に外れたのである。

いつまで経ってもメールは届かず電話もならなかった。

「やっぱりボクはただの客なんだな。」

そう思わざるをえなかった。しかし、それは当たり前のことなのである。冷静に考えれば、ただの客とキャバの女の子。それだけの関係なのだから。

わかってはいるものの、相当彼女のことが気に入ってしまったボクには、もう止められない感情となっていたのである。

結果的にボクは次の週にも店を訪れることになるのだが、それまでに整理しておかねばならないことがあった。

ケンさんとヒデのことである。

ヒデはあの店の常連客のようだ。お気に入りの女の子もいるという。なんていう名前の女の子だったか、今となっては思い出せない。

店内では、やれヘルプだのやれフリーだのと、女の子たちはシートとシートの間を、通路をせわしなく行き来していた。その間に、ボクが彼女とイチャイチャしているところを見かけられたりしているのだ。指名客を多く抱えている女の子にとって、他の指名客などに興味は無いのかもしれないが、聞くところによると、こういった世界にも指名客の奪い合いが有るとか無いとか。

彼女に限ってそんな競争に参加するとは思えないが、彼女と違ってアルバイトではなく、本業にしている女の子たちにとっては死活問題でもある。

せめてヒデのお気に入りの女の子の名前だけは知っておいたほうが良さそうだ。特にその根拠も明確でないまま、単純にそう思い込んでいた。

結果的にボクは恋煩いという病気に陥っただけなのである。



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