心というものが煌めく珠なれば

紺藤 香純

春の章

第一話 桜花舞う診療所

 少女は震える手を開き、“心珠しんじゅ”を見せてくれた。

 親指と人差指の間に現れた一寸ほどの大きさの珠は、薄紅色の淡い光を放つ。しかし、珠の底でよどむのは、泥のような色だ。

三月みつきほど前からです」

 少女は椅子に浅く座り、震える口を開いた。

「親のすすめでお見合いをしました。相手のかたは、わたくしの心珠を気に入ってくれて、結婚を前提におつき合いしたいと言ってくれました。わたくしもそうしたいと思いました。でも」

 この辺りでは名のある女学校に通っているという少女は、育ちの良さが伺える言葉遣いで、言葉を紡ぐ。

「お見合いの話を聞きつけた級友から、今まで言われなかったことを言われるようになりました。『抜け駆けは許しませんわ』とか、『あなたの幸せが皆を不幸にするのがわからないのかしら』とか、抽象的な言葉ばかりですが、耳を塞いでしまいたくなります。学校の先生にも相談しましたが。相手にしてもらえず、そのうち心珠も澱んでしまって」

 “心珠”を出していない方の手を、海老茶袴の上で固く握りしめる。

「級友から心珠を見せるように迫られ、断れずに見せると、鼻で笑われました。『汚い心珠ね』と」



 少女の話を聞きながら、ぬい診療録カルテに記入する。

 涙をこぼす少女に「もう充分ですよ」と声をかけると、少女は指を動かして“心珠”を消した。

「書きながら聞いていて、ごめんなさいね」

 縫が謝ると、少女は首を横に振った。

「わたくしこそ、病気でもないのに受診に来てしまい、申し訳ありません」

「とんでもない。あなたみたいな人の相談に乗りたくて、この診療所を始めたの。思い切って来てくれて、本当にありがとう」

 縫は診療録と鉛筆を机に置き、頭を下げた。

 開いた窓から風が吹き込み、診察室に桜の花が舞い込む。

「先生、どうか頭をお上げになって……ではなくて、少しそのままになさって」

 少女の手が、縫の頭に伸ばされる。

「はい、取れました。大丈夫です」

 縫いは頭を上げる。桜の花びらを指先でつまみ、くすくすと笑う少女の顔が目に入った。

「桜の木があるのですね。ここに来たとき、全然気づきませんでした」

 少女は窓の外を見やり、たおやかに揺れる桜の枝に目を細めた。

「美しい桜ですね。お花見したくなってしまいます」

 飾り気のない素直な感想を聞いた縫もまた、無垢な少女に目を細めた。

「小山美紗桜みさおさん」

 名に“桜”を宿した少女は、名を呼ばれると、無垢な表情のまま縫を見る。

「もう一度、心珠を見せて頂けませんか?」

 少女は頷き、“心珠”を出現させる。

 少女自身が目を見張った。

 “心珠”の澱みが少なくなっている。

「あなたは自然の変化に気づき、誰よりも優しく、強い人です。お相手のかたは、美紗桜さんのそのようなところに惹かれたのではないでしょうか?」

「でも、わたくしはそのような性分では」

 少女は頬を薄紅色に染め、瞬時に“心珠”を消した。

「それに、可愛らしい」

「先生!」

 少女は恥ずかしそうに手で顔を仰ぐ。

 縫はつい、顔を綻ばせてしまった。

「美紗桜さん、この庭は、桜以外にも草花を育てているの。よかったら、またいらして。今度は、お茶会でもしましょうか。美紗桜さんのお話をもっと聞きたいの。そうですね……お相手のかたとのお話とか」

 もう、と少女は頬を膨らませ、「心珠が澱んでしまったら、本末転倒ですのよ」と“心珠”を出現させる。

 薄紅色の“心珠”は、桜の花を封じ込めたかのように、少女の手の中で淡い光を放つ。

 澱みは限りなく薄くなり、透けそうなほど澄んでいた。



 人はそれぞれの“心珠”をもって生まれる。

 本人が念じれば手の中で出現させられる“心珠”は、欧化が進む今日でも未だに謎に包まれたままだ。

 “心珠”には、ひとつとして同じものがない。それぞれがそれぞれの色ときらめきを宿している。

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