夢幻鏡②
夕焼けに染まった、一見怪しい探偵事務所と間違える色褪せたビルディング。ここが我が家だ。
「ただいまぁ」
夕飯の買い出しをして帰ってきた僕だったが、肝心のお遣いを頼んだ人物が見当たらない。二階に居るのだろうか。
「……アウラ居ないのー?」
階段下から声を張り上げても、返事は無かった。どうやら留守らしい。毎度のことだが、黙って外出するのは止めて欲しい。そのまま一日中帰って来ないこともあるのだから。
仕方がないので、先に夕飯を作って待っていることにした。あっさりしたもの……とアウラ(この家の主人だ)に頼まれたので、うどんを作ることにした。
水がたっぷり入った鍋を火にかけて、買ってきたネギを刻む。身長一四〇センチメートルの僕は、自分で造った木の踏み台に乗って作業する。移動する時いちいち台も移動させる必要があるので、もどかしいったらない。アウラも、料理を全部僕にさせるつもりだったのなら、僕の身長に合わせた設計の台所にしてくれたらどんなに楽だったか。せっかくのオーダーメイド住宅なのに、ここは忘れないで欲しかった。僕の背が伸びればいいんだろうけど、そんな何世紀も先のことに期待は出来ない。
沸騰したお湯に乾麺の束を落として、隣りのコンロで煮干しと昆布のダシ汁を作る。少し煮詰めたら煮干しは捨てて、昆布を口に放り込んだ。
……うん、貧乏性。麺つゆを目分量で注いで、こちらは完了。ネギ以外の具を入れるとアウラが怒るから。
味気のなくなった昆布を噛み締めていると、玄関でガタリと物音がした。主人の帰宅だ。僕が菜箸を置く前に、彼女はリビングに顔を出した。
鍔の広い帽子の下は異様なまでに整った人形のような顔。閉ざされた桜色の口唇。長い睫毛に微かに被さった細い髪が、対する窓と玄関の間を抜ける風でさらさらと揺れている。神の一種かと勘違いしたくなる美の化身が、そこにおわした。
彼女はアウラ。この地で裏稼業を小さく営む、僕の現主人である。
「おかえり、アウラ」
呼び掛けると、アウラはそっと目をあげて僕を見、唇を開いた。
「……腹が減った」
「何、帰宅早々その台詞」
アウラがもし口のきけない人形だったら、それはそれは美の女神と呼ぶべきだったろうに。彼女は黒帽子を乱暴に脱ぎ捨て、裾を気にすることなくその場にドカリと座った。大胆に胡座までかきなさる。
主人? まるで番長だ。
「早くしてくれよー。オレは腹が減ったんだって」
「オレ? え、今どんな人格なの」
アウラは多数の性格を併せ持っており、彼女の自覚なくそれが入れ換わる、らしい。本人に聞いた話だが、定かではない。
来客の呼び鈴が会話を割った。瞬時、アウラの顔付きが変わる。僕のよく知る「対人用人格」で、何故か男口調。
「出てくれ、ロウ」
「はーい」
玄関の扉を開けると、そこには若い男が立っていた。外は薄暗く、顔がはっきり見えなかったが、地元の警察署の制服を着ていることは解った。取敢えず部屋の中に促して、僕は台所から聞き耳を立てることにした。
「いらっしゃい。何も聞かずに部屋に上げてしまったが、私に用事だろう?」
警官の男は戸惑いに目を泳がせながら口を開いた。
「俺は、饗庭(あえば)一真(かずま)といいます。あ、仕事帰りで、こんな服装ですみません。こちらが『夢』を扱う専門家……だと聞いて来たのですが」
「ん、そうだ。依頼か?」
頷くと、彼は続ける。
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