九 鬼ノ涙

どうして私だったんだろう。

どうして僕だったんだろう。

赤い目なんて欲しくなかったのに。

私は、僕は、ただ──


「……その目は、何?」

「…………」

「どうしてそんな優しい目を僕に向けるの?僕は君を、殺そうとしているのに……!」

「だって明井さん……泣いてる、じゃないですか……」

「っ!」

俺を壁に叩きつけた時から鏡鬼――明井さんはずっと泣いていた。

赤い目から大粒の涙を零しながら必死に鬼を演じていた。

そんな人に恐れを抱くなんてこと、俺にはとても出来なかった。

「……あはは、情けないなぁ。暮澤くんが泣き叫ぶぐらい怖い鬼をやるつもりだったのに……」

徐に首から手を離し、明井さんは力なく項垂れる。

「本音を言うと、問答無用で殺されるくらいの覚悟は、してたんですけどね……」

「……最初は本気で殺そうと思っていたんだよ、君のその能天気な顔を恐怖で引きつらせるつもりだったんだ」

さらっととんでもないことを言っているけど正直そんな気はしていた。

そうなると何故殺すことに迷いが生じたのか、という疑問が生じる。

「でもね、君が僕の――鬼の児の境遇を嘆いてくれた時、ほんの少しだけど心が軽くなった気がしたんだ。君を殺そう、という決意が揺らぐくらいに」

「そんな……たったそれだけの、理由で……?」

「――それだけで充分だったんだよ」

「っ……」

どうして、この人は。

「俺が言うのもどうかと思いますけど、明井さんは人が良すぎますよ……」

何もかもを恨んで良いはずなのに。

憎悪の赴くままに殺戮を行っても良いはずなのに。

どうしてこの人は――こんな風に笑うことが出来るんだ。

「言っておくけど鏡鬼になってすぐの頃は許せない、皆殺すって思いながらこの屋敷にいる人たちを食い殺して回ったんだよ?」

「しれっと怖いこと言うの止めてくださいよ」

やっぱり鬼になっただけはあるなこの人。

「でもひとしきり暴れ終えたら本当にこれで良かったのか、僕はこんなことをしたかったのかっていう疑問が不意に浮かんできて、じゃあ本当はどうしたかったんだろうって悩んでいたら君がこの屋敷に来たんだ。後は君も知っての通りだよ」

「…………」

もしこの人が心変わりをしていなかったら俺は今頃――

「――さ、そろそろ外へ出ようか。君をここに閉じ込めておく理由はもう無いしね」

「あ、ここで行き止まりじゃないんですね」

「この奥が外に通じているんだ、多分僕はこっちから運ばれてきたんじゃないかな」

運ばれてきた、というのは俺に気を遣った歪曲表現なのだろう。

実際のところは――

「ごめんね、僕の身勝手に付き合わせちゃって」

いえ、と言いかけたところでふと気づく。

「そういえばこの鈴で明井さんを退治することは……」

「出来ないと思うな、その鈴に魔を祓う力は殆ど残っていない。せいぜい幽霊を不快にさせる音を出す程度だよ」

「じゃあこれからどうするんですか?」

「うーん……特に何も考えてなかったなぁ……」

「……あの、もし良ければなんですけど――」

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