第15話 バイトするなら②

「えっ、違うんですか!?」


 驚嘆の声を上げる凪。

 彼女の頭の中は一般論が通じないくらいにお花畑らしい。


「当たり前だ。世の中をそんなに甘く見るな」


 現実……というか当然の事実をつきつける。

 凪のやる気を邪魔するようで悪い気がしたがそれよりも先にその間違った固定概念を何とかしないとこれからの彼女の将来が危ういと直感的に俺の脳が判断した。


「じゃあバイトどうしましょう……んん……」


 口ごもりながら思考を巡らせている。

 それよりも先にやらなければならないものがあるのではないかと思ったが言わないことにした。


「…………やろうとする意志は有難いがそんな浅はかな知識じゃどこもーー」


「宗次さんの所は駄目ですか?」


「お、俺の所か?」


「はい」


 突然の提案に動揺を隠せなかったがそれを誤魔化すように俺は目を閉じ、落ち着いて思考を巡らせた。


(仕事内容もそんな力仕事を必要とするバイトじゃないし、本の並び替えや品出しばかりだ。まぁ一つ難点を挙げるとすれば…………接客が出来るのかというところだな……)


 しかしそこは経験を積めばある程度は上手く出来るようになるだろうと思い、自分の中で結論を出した。


「別に悪くはないだろうけど…………思っているより結構大変だと思うぞ」


「大丈夫です! 頑張ります!」


 勢いの良い返事と熱望の眼差しに気圧される。


「そ、そうか……じゃあ予定がある日に来てくれればーー」


「今から行きましょう!」


 忙しない声で俺の腕を引いてくる。そのか弱い手で俺を動かそうとする光景はまるで時間という波に心が追われているのではないかと思わせてくる程に。

 しかし俺は動く体を抑え立ち止まり息を整えた。


「今からって、ちょっとはやくないか?」


「思い立ったが吉日です!」


(……………………)


 凪は簡単な言葉よりも難しい言葉を覚える方が得意なのかも知れない、と一人で納得した。


「あ、そう言えば一つ聞いてもいいですか!?」


「なんだ?」


 好奇心旺盛な彼女に苦笑いをしてみせる。

 どうせ凪の事だから「バイト代はどのくらいですか!?」とかそういう金銭面的な事を聞かれるのだろうと訝しんでいるとーー


「宗次さんのバイトしているお店って何屋さんですか??」


 予想外の質問が飛んできた。


 その自由気ままな世間に流されない姿に俺は関心するよりも呆れる感情を大きくし深いため息をついた。


「分からないまま決めたのかよ……。俺がしているのは本屋だ」


「本屋ですか…………美味しいものは食べられますか?」


「食べられると思うか?」


 再びきた予想外の質問に敢えて疑問形で返した。



 * * * *



 家から数十分かけて俺がバイトをしている本屋まで歩いてきた。


 黄色の印象が強い看板を目の前にまず最初に感じたのは、なぜ休みの日までここに来ないと行けないという敗北感だった。折角の休日を使ってここまで来たので帰る時には来た甲斐があったと思えるようになりたい。

 そして次に思ったのは、この店の異常さだ。先日の一日シフト三十人事件。これだけでもう既に異様なのだが、それに加えて店員達の個性が強すぎるという全くもってふざけた話。

 そして最後は………………人選ミスだ。

 凪と牡丹。どちらを連れてきた方がよかったのかは言うまでもないだろう。


 今話した事柄全てに決まり悪さを抱きながら俺と凪は一歩ずつ歩を進めた。


 ドアを通り抜けると暑い日差しとは打って変わって涼しい風が体に吹き込んでくる。

 店内には今日も何人ものお客さんが歩いていたり、立ち止まって本を手に取って見たりと自分の気に入りそうな本を探していた。

 その中に俺達も混ざっていく。


「本しかありませんね〜」


 その当たり前の一言に軽く顔を顰める。


「そりゃ本屋だからな」


「あの会話が出来ないじゃないですか」


「あの会話って?」


 それが少々気になり聞いてみた。


「ぶっくオフなのに本ーー」


 慌てて俺はその口を塞ぐ。

 何かそれを言ったらまずいのではないかと俺の直感がそう判断したからだ。


 凪が変な声を出して暴れてきたが、次第に落ち着いてきたのでもう大丈夫だろうと思い俺は手をどけてやった。


「ところで私は何をすればいいんですか?」


 その一言でここまで来た本来の理由を思い出す。


「ちょっと待ってろ、今店長にーー」


「おう、呼んだか?」


 ドスの効いた声が後ろから聞こえてきたので振り返る。


「…………店長」


 そこには先の声に納得できる程の強顔の持ち主。日焼けした皮膚の上に白いタンクトップといういかにも筋肉ムキムキの男を思わせるかの外見。


 ……実際にその通りなのだが。


「なんだお前シフト入っていたのか?」


「いやそうではなくて……今日来たのは……」


 視線を俺の後ろにいた人物へと動かす。

 店長もそれにつられてそっちを見た。

「……誰だ?」


「えーと、俺の知り合いでここでバイトがしたいそうです」


 そう言うと店長は一気にテンションが上がったみたいに声を弾ませた。


「そうか! 君、名前は?」


 …………しかし返事はない。


「おい、どうした凪?」


 肩を揺さぶって問いかけてみるが動きがない。

 極度の緊張のせいか固まっているみたいだ。


(なにやってんだ……)


 すると店長は何かを察したみたいに鼻息を鳴らしながら頷いた。


「何にも動じないその佇まい……なるほど、看板娘志望か」


「いや、違いますから」


 苦笑いをしながらその冗談を否定する。


「よし着いてこい! 彼女をこの店の立派な看板娘にしてやろう!」


「本当にするつもりですか!?」


 ……本気だったみたいだ。



 そして凪は店の奥にある部屋へと連れていかれた。

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