第3話 気持ちと言葉


 ソファーの上でぐっすり眠っていると


「起きてくださーい!」


「ぐはっ」


 騒がしい声と共に鈍い痛みが俺の腹を捉えた。その箇所に両手を当てゆっくりと顔を横に向けると、葵が誇らしげに立っていた。


 …………非常に腹立たしい光景だ。


「お、お前何してくれてんだ」


 俺は腹にくる痛みを抑えるため、声のトーンを低くして喋る。


「何って、宗次さんを起こしに来たんですが?」


「飛び膝蹴りで起こすやつがどこにいる?」


 彼女は不思議そうに顎に手をあてながら頭を傾げた後、とんでもない事を口走る。


「おばあちゃんがおじいちゃんを起こす時はいつもこうしていましたが?」


「…………………………そうなのか?」


「はい」


 その顔を無邪気に綻ばせ頷く彼女だったが、俺はそれよりもおじいちゃんの安否が心配でしょうがなかった。


「そういえば朝食ができてますよ、えっへん」


「朝食? ……お前が作ってくれたのか?」


 何かの匂いがするなとは感じていたが彼女とのやり取りのせいで余り気にならずにいた。


「はい、私が作りました! えっへん」


「……そうか」


 その功績を称えて勝手に冷蔵庫を使っている事はだけは勘弁してやろうと思ったが…………


「実は私、こう見えて料理を作るのは初めてなんですよ、えっへん」


 先程から語尾がうざい。


「えっへん」


 もう語尾が主語になってしまった。

 それが何だか作った料理を物語っている気がして不安になり、ゆっくりと目をつむった。


(……嫌な予感がする)



 * * * *



 ……俺はトイレにいた。


 その理由は言わずとも分かると思うがあえて言わせてくれ。


 奴のダークマターだ。


 ここではその言葉を『ソレ』と置き換えて話しを進める。


 普通、見た目がよくても中身が悪いというのはそこそこある事……いや、あまりあって欲しくはない事なのだが、葵の作ったソレは違った。


 あいつはどこか魔界の食材でも持ってきているのではないかと思わせるほどの料理の腕前。

 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。俺の五感全てに脳が危険信号を呼びかけるほど、彼女のソレは異質過ぎたのだ。


 半ば強引に


「冷めないうちに早く食べてください」

 とスプーンを俺の手に渡してきた。


 冷めるも何もソレを食べたら絶対なにか起こるだろうと予測していた俺だったが…………案の定この有様だ。


「あ、あんなもの食わされて、よく死なずにいるな」


 ギュルギュルと腹の音が不快に響く狭い個室にドアがコンコンと叩かれる。


「なんだ」


「は、はやくかわってください……お、お腹が……お腹が痛くて破れてしまいそうです……」


(破けるも何もお前が作った料理なんだから自業自得だ……)


 俺は顔を顰めながら冗談まじりに返事をする。


「あぁ、分かった。あと一時間で出る」


「い、一時間!? そんなに長いと私、腸がミミズのように出てきてしんでしまいますっ!!」


 見た目に反して気持ち悪い表現を使ってきやがる……。




 それから数時間後俺たちは何をしていたかと言うと……


「これが一週間前に買ったお茶です」


「………………」


「これが二週間前くらいのオレンジジュース」


「………………」


「えーと……あ、先程冷蔵庫の中で冷やしておいたコラ・コーラです」


「なに人の家の冷蔵庫で勝手に冷やしてるんだ」



 葵のリュックの中にある飲み物の鑑賞会をしていた。正確にはさせられていたと言うべきか。


 ……一体なぜ、飲み物などを鑑賞せねばならないと思ったのはこれで何回目だろう。



「あれ、このファンパはいつ買ったんでしたっけ? 宗次さん覚えていますか?」


「お前がこの世界からいなくなる直前だ」


「この世界からいなくなる直前!? ならどうして私は今生きているんでしょうか!?」


「知るか…………ってか一体何本あるんだよ! 多すぎて飲めてないじゃねぇか!」


 部屋の半分を占拠するほどの飲み物の数々。俺たちはその中心に座っていた。


 すると彼女が不敵な笑みを浮かべながら人差し指を立てる。


「飲み物は飲むものじゃないんです…………崇め奉るものなんですよ」


「最初にもう飲み物って言ってるじゃないか」


「あ、そのTOPメロンソーダとってください。喉が渇きました」


「おい……」


 俺は呆れながらもすぐ横にあったをそれを手にとり彼女へと渡した。


「これ一番大好きなんですよ」


 彼女はそう言うとペットボトルの蓋を力強く回す。


 するとその瞬間、プシュッと言う音に続いて中にある液体が勢いよく溢れ出てきた。

「あっ!」という短い悲鳴と共に、彼女の全身と床が緑色に染まる。


 何となく予想はしていたが…………こうしてみると結構面白い。



 * * * *



 葵は二度目のお風呂に入っていた。さすがに昨日みたいな事は起きないだろうと思っていたが…………あいつは学習能力と言うものが皆無なのか?



 * * * *



 彼女の持ってきた荷物(ほぼ飲み物)の整理やらなんやらで大体を世話の時間に費やした。

 それなりの年頃の女がリュックの中に飲み物だらけというのはどうかと思ったが。



 * * * *



 夜飯はまたソレだった。

 こいつも作っていてよく懲りないなとは思っていた。

 ……案の定再び同じ目に合わされる。



 しかし一緒にいて俺は何だか………………いやこれは多分違う。



 * * * *



「それでは、ありがとうございました」


「おう」


 気が付くと時刻は午後十時を回っていた。こんな時間まで一緒にいるとは思っても見なかったので、今から家を出て行かせるのには多少の抵抗があった。


 葵が背を向けて歩き出す。どんどんと遠ざかっていく。


「あ、おい」


 何だがそれが嫌で気が付くと俺は彼女を呼び止めてしまった。


「はい、私の苗字がどうかしましたか?」


「いや、そうじゃなくて……」


(何だこれは。やけに変な感覚が俺の頭の中を支配してこようとしてくる。一体どうしたっていうんだ)


 彼女が不思議そうにこちらを見ているが何も言葉が出てこない。

 俺は口ごもりながら下を俯いてしまい目も合わせられなくなった。


 ……すると


「あ、そう言えば私、まだ宗次さんにお礼を返していませんでした」


 ……………………。


「だからそれが出来るまで」


 ……………………。


「ここにいさせてもらってもいいですか?」


 …………何だが嘘くさい口調だ。


 しかしその言葉で胸がいっぱいになり表情が緩んでしまう。そしてそれを隠すように俺は彼女に背を向けた。


「そ、それならしょうがない。お前がしっかりとお礼が出来るまで待っていてやろう」


「ありがとうございま〜す」


 もどかしい、何故もっと素直になれない。


 そんな気持ちを心の中にだけしまい、俺は彼女をまた家の中へと通した。


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