第14話
仕事が減っていって、精神的にも腐っていた時期、これからのクルミとの付き合いを、真剣に考えるようになった。
「クルミちゃんには、幸せになって欲しいと思ってるんだ」
「うん?」
唐突にカイが切り出すと、椅子に座って、雑誌を読んでいたクルミは顔を上げた。
「俺、仕事がどんどん減って来てるっていうのは言ったよね。これからは生活していくことすら大変になるかもしれない」
「……どういうこと?」
クルミは眉を顰めて、カイを真正面から見つめた。カイの心の奥を覗き込もうとしているようだった。
「クルミちゃんは、好きにしてくれていいんだよ」
「なに、それ」
怒ったように雑誌を閉じる。カイが尊敬する画家が、表紙に載っていた。
「クルミちゃんみたいな良い人には、きっとそれ相応の楽しい人生があるはずだし」
「なによ、それ!」
クルミはもう一度繰り返した。かなり怒っているようだ。今まで一緒にいた中でも見たことのないような顔で、激昂していた。けれど、カイも引くわけにはいかなかった。
「クルミちゃんは、こんな俺なんかと一緒にいて本当にいいの? クルミちゃんは可愛いし、みんな大好きだし、他にいくらでも」
バン、と机が真っ二つに割れた。クルミがチョップをしたら、いとも簡単に割れた。
本当は、カイもこんなことは言いたくなかった。けれど、毎日毎日考えている内に、それこそがクルミの幸せだろうと確信したのだ。机が壊れたくらいで、動揺していてはいけない。
「クルミちゃん」
続けて言葉を重ねようとしたら、クルミは立ち上がった。
「帰る」
長い髪が、クルミの顔を覆い隠している。何も言えないでいると、クルミは口を開いた。
「なら、もういい」
「え?」
「さよなら」
後日、クルミから全く同じ、新しい机が届いた。変なところが律儀である。でも、カイの知っているクルミはそういう人だった。
それ以来、連絡を取ることも、店へ行くこともなくなった。
思い出して、カイは真剣なその瞳を真っ直ぐ見つめ返した。あの時、カイはクルミのことを見ているようで、見ていなかった。クルミのことを考えているふりをして、自分のことしか考えていなかった。
「うん、ごめんね」
思い出すと、軽率な行動が恥ずかしく思えてくる。あの時、クルミはとても傷ついた顔をしていたのだと、今なら分かる。幸せを願っているくせに、悲しませているのはカイ自身だった。
「あのお、そろそろ起きてもいい?」
二人は同時に驚いた。てっきり寝ているとばかり思っていたミヅキが、起きていたのだ。
「どのタイミングで起きるか、迷ったよ。ごめんね、水を差すつもりはなかったんだけど、ついつい。寝たふりって大変なんだよ。おーい、スイくんも起きてるんでしょ?」
二人同時にスイの方を見ると、ゆっくりとスイは頭を上げた。
「喋り込んでるから、起こされましたよ」
「す、すいません」
「いいですけど。僕、昨日は何もしてませんから」
スイは、欠伸をしながら奥の小さなキッチンへと向かった。ここまで無防備な姿は初めて見る。しばらくカチャカチャと食器の音がしていたと思うと、紅茶を四つ用意してきた。「どうぞ」とカイにも渡してくるので、どぎまぎしながら受け取る。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
カイは、紅茶なんてあまり飲んだことがなかったが、とても美味しいと思った。砂糖とミルク、レモンなどが用意されていたが、何も入れなくてもとても美味しかった。
ひと心地つくと、ミヅキはソーサーにカップを置いた。
「峯は、今ちょうど取り調べでも受けてるんじゃないかな。とにかく、絶対にクルミちゃんに危害は及ばないから、安心して」
「はい」
力強い声は、信頼に足るものだった。クルミも、朝起きた時より心なしか表情が明るくなってきている。
「で、恩着せがましく言っちゃうと、寝てたカイくんをここまで運んだのは私なんだよ? スイくんは昨日ほぼ何もしてなかったけど、力仕事担当ではないし、クルミちゃんにそんなことさせられるわけなかったからね。あー重かったなー」
「すいません!」
こきこきと肩を回して台詞を棒読みされれば、カイは平謝りするしかない。運賃が発生するかもしれないと身構えていたら、ミヅキは特にそんな素振りは見せなかった。
「そういえば、ミヅキさんは何で拳銃を持ってたんですか? 違法じゃないんですか?」
「特別に、警察から銃の所持を許可されてんの。ほら、私、銃の扱い慣れてるから」
「そうなんですか?」
「昔はよくぶっ放してたもんよ」
冗談か本気か、どちらとも取れるような言葉に、スイへ助けを求めると、肩をすくませた。スイも知っているのか知らないのか、どちらにせよ答える気はないらしい。
「一時期は、名探偵じゃなくてスナイパーになろうと思ったくらいだからね」
「確かに、銃の腕はすごかったですよね」
犯人の手だけを撃つその正確性は、経験と度胸と、何があっても揺るがない強靭な精神によるものだった。手放しに褒め称えると、ミヅキは「もっと褒めてくれてもいいんだぞ」と調子に乗り始めた。
「ごめんなさい。私がちゃんと動けたら、一番良かったんですけど」
「クルミちゃんが動けないっていうのも、予想の範囲内だったでしょ。計画通りに進んだんだから、謝ることはないよ。まあ、あの時クルミちゃんがやっててくれたら、少なくとも頬の怪我はなかっただろうけど」
カイは反射的に頬のガーゼを押さえた。クルミは、しゅんと肩を落とす。
「大丈夫! こんなのすぐ直るから! 怪我の範疇に入らないただのかすり傷だから!」
内心、もっと気を使えと思いながら、必死でフォローをする。ここの人たちは、ずばずばと物を言うから冷や汗ものだ。ミヅキもスイも、知らぬ顔でカップを傾けた。
ミヅキは、預かってくれていたらしいベレー帽を、カイの頭に乗せた。
「とにかく、これで一件落着だね。全てが上手く進んだんだから、悲観することはないよ。過去のことを悔いても今更どうしようもない」
ミヅキの前向きさ加減は、称賛したいほど明るくて光に満ち満ちている。気持ちの悪い結末と正反対のそれは、クルミとカイの背中を押した。
「さ、仕事終わりに一杯行くか」
「今はもう朝ですよ」
「えぇ、いいじゃん、朝から酒。行こうよ、ね、クルミちゃん」
「その、あんまりお酒は飲めないので」
「そうなの? じゃあカイくん」
「俺、酒は飲みませんって!」
カイが叫ぶように言えば、ミヅキは嬉しそうに、手を叩いて笑った。
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