第13話
次に起きると、カイは窓近くに置かれたソファで、真っ白な毛布にくるまれて眠っていた。
周りには、蛙、蛇、亀、ハムスター、蜘蛛。ここはどこだと考える前に、どう見ても探偵事務所でしかなかった。
窓の外から、鳥の鳴き声が聞こえる。清々しい朝だ。
しかし、カイは目の前の光景を見て固まった。
スイは、いつもの定位置で座ったまま眠っているようだった。首元を緩めたラフな恰好は、初めて見た。ミヅキは、出入り口から近いところにあるいつもの机で、地球儀を抱えたまま突っ伏している。背中には、毛布がかかっていた。
クルミはといえば、カイに膝枕をした状態で、目を閉じている。座ったまま眠っているようだ。一晩このままだったのだろうかと考えると、申し訳なくて恥ずかしい気持ちになった。出来ることなら、もう少しクルミの膝を堪能していたいところだったが、さすがにそういうわけにはいかない。頭の重みで、痺れたりしていないかと妙な心配をしてしまった。
穏やかな寝息が聞こえて、カイは起こさないように静かに体を起こした。
クルミの寝顔から一日が始まるなんて、夢のような気分だ。動悸が激しい。
屈伸しようとして、ピリ、と体に痛みが走った。
どうやら、首には包帯が巻かれ、頬にはガーゼが貼られていた。頭にはたんこぶが出来ている。触ると、痛かった。
「そっか。昨日……」
自覚した途端、鮮やかに昨日のことが思い出された。痛かったことも、気持ち悪かったことも、夢ではなかった。しかしその後、どうやってここまで来たか、全く記憶になかった。峯は、どうなったのだっけ。
すると、クルミが「んん……」と声を上げる。艶っぽい声に、カイは慌てて髪を整えた。
「カイくん……?」
「お、おはようクルミちゃん」
トレードマークのツインテールは、解かれている。長い髪が、さらりと肩を流れた。手首に、猫の飾りが付いたヘアゴムを付けていた。
しばらく寝ぼけたように目を瞬かせていたが、クルミは我に返ったように目を大きく開いた。そして、カイへ飛びついた。
「く、クルミちゃん?」
クルミは何も言わず、カイを強く抱きしめた。良い匂いがして、髪がくすぐったくて、カイは体を硬直させた。付き合っていた時でさえ、こんなに密着したことはない。手さえ繋いでいないのだから。
抱きしめ返すべきか悩んでいると、クルミはカイの体を解放した。
身長はほぼ変わらず、カイの方が二、三センチほど高いだけなので、至近距離で立つとばっちりと目が合う。
「ごめんね。怪我、痛い?」
「い、いや! 全然痛くないよ」
「うそ」
クルミはカイの頬に触れた。思わず「いたっ」と声が出る。
「ほら、痛いじゃない」
「ま、まあそうなんだけど、これくらい、痛い範疇に入らない程度の痛みというか」
「なにそれ」
クルミは笑った。赤子に触れるような手つきで、優しく頬に触れる。
「ごめんね」
「謝らないでよ。クルミちゃんは、笑ってるのが一番なんだから」
口をへの字にして、泣くのを必死に堪えている。目に溜まった涙を指先で転がすと、クルミは鼻を赤くして微笑んだ。
ミヅキは、あの日、峯がカイの家を訪ねてくることを言い当てていた。それに向けて、緻密な計画を練っていたのである。本当にエスパーみたいで、実際にミヅキが言っていた通りに事が運んだのだから、さすがとしか言いようがない。カイは、大まかな説明を受けていただけで、細かいことは全てミヅキたちに任せきりだったけれど、きっと大丈夫だろうと思っていた。峯は絶対に捕まると、信じていた。
峯との会話も、あらゆる可能性を考えて、スイと何度もシミュレーションをしていた。何を、どのタイミングで言わせるか。薬や、その他によって意識が混沌となっていた場合の対処の仕方。エトセトラ。こっちで何とかするから、とにかく峯から言質を取れと命令されていたのである。
実際、酒を飲まされたり薬を盛られたりしたこともあって、けっこうなスパルタだった。何の役にも立たなかったが、峯に飲まされたのはかなりアルコールの強い酒で、中に睡眠薬まで入っていたと分かったほどだ。結局、結果は散々だったが。
「怖かったでしょ」
「怖くなんかないよ。計画通りだったし」
クルミの前では強がるが、実際、怖いなんてものではなかった。死んだと思った。走馬灯を見た。
「あれから、峯は捕まったよ。警察の人が来て、色々話もした。五人も殺してたら、一生刑務所から出られないんじゃないかってミヅキさんは言ってたけど、そうだったらいいなと思う。私、絶対安心して暮らせないもん」
「だよね」
それは、クルミを異常なまでに愛してしまったからこそ、起きた事件だったと言えよう。クルミにとって、一件落着とは言えない、心残りが残るような気持ちの悪い結末だった。
監獄の中でも、峯は一生クルミのことを思い続けるのだろう。ごく普通にさえ生きていれば、カイよりよほど良い人生を歩んでいたに違いないのに、愛に溺れた哀れな男だ。クルミにさえ出会わなければ、普通に暮らしていたのだろうかと考えてみるが、きっとそんなわけでもなかったと思う。
母親を殺された時点で、彼の人生は一変したのだ。きっかけは、クルミじゃなくても良かった。なら、母親が殺されなければ、彼は殺人を犯すことはなかったのだろうか。考えてもきりはなかった。
理由や経緯はどうであれ、人を殺した時点で、そいつはただの殺人犯になってしまう。男前でも、金持ちでも、地位があっても、それに関しては等しく同じだ。誰かが死ねば、誰かが悲しむ。それは、罰を受けるに相応しい罪だ。
カイは、クルミを、もう二度と悲しませたくはなかった。
「カイくんは、私が幸せならって、言ってくれたよね」
カイは、心の中を見透かされたのかと思って、驚いて顔を上げる。
「カイくんってさ、私の幸せが何か、分かってる?」
「えっと、……なんだろ」
クルミには幸せになってほしいと常々思っているし、本人にもそう言っているが、よく考えてみると幸せなんて言葉は全く具体的ではない。指摘されて、カイはたじろいだ。
「カイくん。お願いだから、私の幸せを勝手に決めないで」
嘆願するような瞳に、カイは「うん」と言うしかない。言ってから、不意に振られた時のことを思い出した。あの時は確か、勝手にクルミの幸せを考えていた気がする。クルミは、そのことを言っているのだろうと思い当たって、数か月前のことを鮮明に思い出した。
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