第11話

 峯がカイの家へやって来たのは、それから一週間も経たない内だった。

 仕事の面接までこぎつけたものの、不採用と言われ傷心して机に突っ伏していると、扉をコンコンとノックする音が聞こえた。

 慎重に扉を開けると、そこには私服姿の峯が立っていた。モデルにでもなれそうな完璧なコーディネートである。年中サロペットを着まわしているようなカイとは大違いだった。一瞬にして顔が強張る。

「こ、こんにちは。どうかしたんですか?」

 峯は、笑っているのに目の奥は笑っていなかった。奥に、恐ろしいほどの冷たさを感じて、カイは静かに肩を震わせた。

「奢るから、一緒にご飯食べに行こうよ。カイくんと、話がしたいんだ」

「は、話ですか。ちなみにどんな……?」

 奢ると言われても、さすがに前のようにはいかない。警戒を持って言えば、峯は一呼吸置いて爽やかに笑った。

「クルミちゃんに、何か言ったよね」

 確信めいたその言葉に、「何のことでしょう」とすっ呆けるが、無理やり引っ張られて外へ連れ出された。ガリガリのチビであるカイが、身長も高く、すらっとしていながら体格も良い峯に、敵うわけがない。肩に手を置かれ、エスコートされるように町を歩いた。

 連れられたのは、前に一度峯と来た店だった。二人、と峯が指で示すと、女性の店員は顔を赤らめて席へ案内した。

「君は、僕に嫉妬でもしているのかな?」

 グラスの水を傾ける峯は、にったり、という効果音が似合いそうな笑みを浮かべた。

 もっと人気のないところに連れて行かれるかと思っていたカイは、ひとまず落ち着こうと水を飲んだ。人の目がある以上、下手なことはされないはずだ。

「嫉妬なんて、いくらでもしてます。背は高いし、男前だし、金はあるし。俺が峯さんに勝ってるところなんて、確かに一つもないのかも」

「なるほど。君はよく自分のことが分かっているんだね。そういう子、僕は好きだな」

「それはどうも」

「でも、だったら.どうしてクルミちゃんにあんなことを言った?」

「あんなこと?」

「とぼけないでくれるかな。クルミちゃんから直接聞いたわけではないけど、彼女の態度を見ていたら何となく分かったよ。僕、彼女に避けられてる」

「それに、何で俺が関係してるんですか?」

「あんなに優しいクルミちゃんが、人を避けるなんて真似、普通ならしないはずなんだ。誰かに、変な入れ知恵でもされたとしか考えられない。そこで、候補に挙がったのが君ってわけさ」

「峯さんの勘違いじゃないですか?」

「それはない。僕は、ずっとクルミちゃんのことを見てたんだから」

 お待たせしました、と店員が食事を運んできた。カイの前にはハンバーグ、峯の前にはパフェを、それぞれ置く。

 入るなり、メニューを開くとデザートのページを開き始めた峯は、「甘いものに目がない」そうだ。ご飯の代わりに甘いものを食べることはいつものことらしい。それなのになぜこの体形を維持できるのかは、謎だった。

「クルミちゃんが働いている店、あそこも、もっと甘いものを増やせばいいと思うんだよ。あの店には、デザートが充実してないだろう?」

「はあ」

 気のない返事をすると、峯はスプーンでクリームをすくった。

「君は、肉なんて気持ちの悪いものをよく食べられるね」

「峯さん、前にクルミちゃんの店で肉食べてませんでしたっけ?」

「クルミちゃんの手で運んできてくれたものが、不味いわけがない」

 恍惚とした表情で、パフェを着実に減らしていく峯を前に、カイは詰め込むようにしてハンバーグを食べた。正直、食欲はない。うどんかおかゆでも食べたい気分だったが、もう二度と食べることはないかもしれない、個人的に超高級食だと思っているハンバーグを、今こそ食べなければと思ったのだ。

 慌てて詰め込んだせいで、ぐっと喉に詰まった感じがした。カイはオレンジジュースのような、オレンジ色をした液体に手を伸ばした。カイが注文したわけではなかったが、峯が気を利かせて飲み物も注文してくれたのだ。自分には、酒を注文していた。パフェと酒とは、何とも奇妙な組み合わせだ。

 グラスを煽ると、喉がかあっと熱くなるような、不思議な気分になった。カイは瞬間的に、これは酒だ、とやっと気付く。一口でけっこうな量を飲んでいた。

「これ、酒じゃないですか?」

「そうだよ。君は飲めないの?」

「特に飲みたいと思ったことが、なくて」

 アルコールが、体内を駆け巡っていくような感じがした。ハンバーグを運んでいた手が止まる。

「とにかく、クルミちゃんを振り回すような発言はしないでくれ。ついでに、周りをうろつくのもやめてほしい。僕は真剣なんだ。ずっと前から好きだったんだ」

 峯の言葉が、どんどん遠くなっていく。

 アルコールって、こんなに強烈なんだっけ? よくミヅキさんは飲めるなあ、とぼんやり考える。楽しい気分になると聞くが、一切そんな気分にはなっていない。どんどん思考力が落ちていって、何も分からなくなる。これは、本当に酒なのだろうか。

「そうだ。初めて見た時、まるで天使だと思ったよ。やっと常連客として会話ができるようになったのに、クルミちゃんの横には君がいた。その時の僕の気持ち、君なんかには分からないだろうね」

「く、るみちゃん、かわいい、から」

 話そうとしても、呂律が回らない。地面が回る、峯が揺れる。目がどんどん閉じられていく。

「でも、あなたは、くゆみ、ちゃんをしあわせ、にでき、ないんじゃないすか。あなたが、しあわせを、うばった、んじゃないれすか。俺なら、なら、しあわせ、を――」

 脳みそが揺れた瞬間、目の前が真っ暗になった。

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