第10話

 その夜、カイはクルミの家に電話をかけた。今も親戚と一緒に暮しているため、電話には叔母さんが出た。数か月前まではしばしば電話をしていたし、家に行った時会ったこともあったので、「あの」と言っただけで「カイくん?」と言い当てられた。

「久しぶりねえカイくん、元気にしてた?」

「御無沙汰してます。そこそこ元気です」

「クルミが別れたって言ってたから、もうカイくんの元気な声が聞けないものとばかり思ってたわよ。もしかして、また付き合い出したの?」

「まさか。違いますよ。振られた身ですし、クルミちゃんは俺なんか眼中にないですって」

「そんなことないわよ。カイくん良い子だし、クルミが結婚するなら、絶対カイくんみたいな子が良いわ」

「ありがとうございます。でも、クルミちゃんの意志が一番大事ですから」

「まあねえ。あ、クルミー! ちょっと来てー! 電話!」

 叔母さんは、昔からお喋りだった。クルミに用があったはずなのに、気付けば叔母さんと何十分も話していることもしばしばあった。

 電話の向こうで、微かにクルミの声が聞こえる。カイはごくりと唾を飲み込んだ。

「はい」

 電話で聞くクルミの声は、会って話すより幼く聞こえる。声を聞いただけなのに、とてつもない安心感が体中を駆け巡った。

「カイです」

 緊張しながら言えば、クルミは驚いたようだった。叔母さんは、誰からの電話かすら言ってくれなかったらしい。

「なんで、どうして、えっと、何か用事?」

 クルミは混乱しているようだった。声が上ずっている。

「クルミちゃん」

 名前を呼ぶと、小さく「うん」と返事があった。カイは、どうにでもなれという気分で一気に話し出す。

「本当は、こんなことを言うのはどうかと思うんだけど、峯さんと、二人きりにならない方がいいかもしれない」

 気持ちの悪い嫉妬だと思われるかもしれない。怒り出すかもしれない。呆れられるかもしれない。様々なパターンを考えて、カイは目を閉じた。

「俺の勘違いかもしれないんだ。それだったら、すごく峯さんに申し訳ないと思う。でもやっぱりどうしても言っておきたくて」

 電話の向こうは、驚くほどの静寂だった。

「理由は?」

「ごめん。今は、まだ言えない」

 峯がクルミの家族を殺したかもしれないなんて、とてもじゃないけれど言えなかった。まだ確定したわけでもないし、もしかしたら勘違いかもしれない。

 これは、一つの賭けだった。

 クルミはカイよりよほど強いし、峯にだって負けないとは思うけれど、警戒してもらっておくに越したことはない。

 クルミに罵倒される言葉を考えていると、「分かった」と返ってきて、カイは素っ頓狂な声を上げた。

「カイくんがそう言うなら、そうする」

「いいの?」

「きっと、私のために言ってくれてるから」

 カイは、一人で頬を赤らめた。

「前からそうだったもんね。あと、ミヅキさんから聞いたよ。依頼、してくれたんだって?」

 情報が早い。しかしその声は、咎める風でもなくとても優しげだった。カイは、唸るように「うん」と言う。

「ごめん」

「何で謝るの?」

「クルミちゃん、考えるって言ってたのに、俺が勝手に依頼したから」

 突発的に体が動くことは、昔からあった。それは良いところであり、悪いところだと、母からも言われていた。治したくても、治せない。単細胞だと言われたこともあったくらいだ。

「カイくんは、優しすぎるんだよ」

「え?」

 小さな声だったので、聞き取りづらかった。聞き間違いかと思って咄嗟に聞き返したが、クルミは「何でもない」とだけ言った。

「二人では会わないようにするから、大丈夫だよ」

「急に電話して、ごめんね」

「ううん。声聞けて、嬉しかった。じゃあね」

 通話は、カイにとってはとても長い時間だったが、実際は数分だったようだ。時計を確認し、カイは肩の荷を下ろす。

 優しすぎる。おそらく、クルミはそう言った。

 じわじわと、顔に熱が集まっていくのが分かった。声が聞けて嬉しいなんて、カイにはもったいない言葉だった。

 やっぱり、どうしたって好きだなあと思う。

 笑顔も、声も、優しいところも、頑張り屋なところも、全部ひっくるめて大好きだった。こんな気持ち忘れてしまおうと、この数か月がむしゃらにやってきたけれど、目の前にしたらもう駄目だ。

「女々しいな、俺って」

 こんなの、誰に相談したらいいのか。

 ペンダントの中の両親は、ただ優しく微笑むばかりだった。

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