第6話
カイは、クルミとのことを数日経っても引きずっていた。朝から家にいるのも億劫になって、気分転換にぶらぶらと町を歩く。
すると、見たことのあるスーツ姿が目に入った。手には小さな手帳を持っている。
「スイさん! 女心って、どうすれば分かるんですか」
その背中に、頭から突っ込んでいくと、珍しく驚いた声を上げたので、してやったりである。帽子を上げて笑えば、スイは呆れた。
「訳の分からないことしないでもらえます? 気持ち悪い」
もちろん、女心云々についての回答はない。言ってはみたものの、スイが女心に精通しているとはあまり思えなかった。
「ところで、今何やってるんですか?」
「仕事です。邪魔しないで下さい」
「何の仕事ですか?」
めげずに背中にぴったりと着いていくと、スイは胸ポケットから懐中時計を取り出して時間を確認した。なかなか高級そうな代物だった。
探偵事務所にも高級そうな骨董品が置かれているが、スイの趣味なのかもしれない。カップなどの食器のチョイスだって、スイによるものだろう。
「数週間前に起こった殺人事件の犯人捜しです」
てっきり答えてくれないとばかり思っていたカイは、え、と声を上げた。それは、大きな事件として町でも噂されていた。
「そういえば、割と近いところでしたよね。若い女性が刺殺されたって。警察からの依頼ですか?」
「そうですが、なんであなたが知ってるんですか」
「この前、ミヅキさんに会ったんです。警察に協力することもあるって言ってたので、今回もそうなのかと」
スイは、そうですかとあっさり頷いた。特に秘密にしておくことではなかったらしい。
「警察は無能ですから。とはいえ、仕事の主は警察からの依頼なので、無能で良かったという感じではありますが。でないと仕事が減ります」
「ははは……」
警察の人には絶対言えないことだなと内心思う。ミヅキもスイも、何か理由があって嫌っているのか、本当に無能なのかは分からないが、警察に対して辛辣である。同じようなことを言っている。
「ミヅキさんと一緒じゃないんですか? あ、事務所ですか?」
「いえ。今日は、ひったくりだったか痴漢だったか、別の現場に行ってます」
しっかりと把握はしていないらしい。カイは特にミヅキに用事があったわけでもないので、そうですかと相槌を打つ。
「それで、進捗状況はどうです?」
「あなたには関係ないことだと思いますが」
「気になるんですよ! けっこう近いところで起こった事件ですし、犯人が捕まってないなら怖いじゃないですか」
嘘偽りのない本心だった。最近、殺人事件めいているせいで、妙に意識してしまう。だから、無意識に今回の事件も鮮明に記憶していたのだろう。
「犯人の特徴は分かっています」
「そうなんですか! じゃあ、捕まるのも時間の問題ですね」
「そうとも言えません」
安心したのも束の間、スイは無情にも首を振る。
「殺された人から犯人はこの人だと聞いたから、と言ったところで、その人を捕まえられるわけではないのは分かりますよね? 僕以外、霊が見えないんだから当たり前です。それに、今回のケースは被害者の知り合いではないので、名前すら分かりません。彼女が覚えている特徴を僕が聞いて、それを頼りに犯人を捜さなければならないということです。警察が容疑者として挙げている中にはいませんし。警察が調べているようですけど、今も犯人に繋がる手掛かりは見つけられていません。ミヅキさんは、明日以降にしか動かない予定ですし、それまでに僕は、なるべく多くの情報を集めておかないといけません」
「確か、重要参考人がいるとかって噂で聞いたんですけど」
「あれは、全くの検討違いです。部屋から血痕が見つかったから、被害者の恋人である青年に疑いがかけられていますけど、彼女は犯人による工作ではないかと言っています。とにかく、犯人ではないと」
「じゃあ、どうするんですか」
「とにかく、情報を集めてミヅキさんに渡します」
スイは、ミヅキに対して絶大な信頼を寄せているらしい。
カイは、思い出したように鞄から紙と鉛筆を取り出した。描かないくせに、いつも鞄に入れる癖は治らない。久しぶりの紙の感触に、胸が躍るのを感じた。
「あの、よかったら犯人の特徴、教えてもらえませんか」
殺人を犯した人間であれば、死んだり、不幸になってもかまわないと考えているわけではなかった。しかし、もしかしたら自分の絵が何かの役に立てるかもしれない。そう思うと、カイは描かずにはいられなかった。今こそ描かなければいけないと思った。怖いなんて、言っている場合ではないと思った。
スイは、そんなカイの気持ちを察してか、特徴をつらつらと紡いだ。
目は細く、つり上がっていて一重。耳は少し尖っていて、団子鼻。笑うと片方の口角だけが上がる。髪は黒く、短髪。身長は百七十くらいで細身。当時は黒いシャツに黒いズボンを着ていて、手袋をして帽子を深く被っていた。
細かく特徴を聞いて、さらさらと紙に描き込んでいく。久しぶりに描いてみると、かつてのわくわく感が蘇ってきた。描いているのは人殺しだというのに、やはり自分は絵を描くのがとても好きだと思い知らされる。この気持ちは、抑えられない。
「できました」
描き終えた紙を見せると、スイはしばらく黙って見ていた。そして、おもむろに口を開く。
「そっくりだと言ってます」
感心したような口調に、カイは思わず顔が緩む。だって、これこそがカイの本職なのだ。特徴だけを聞いて描くのは初めてのことだったが、カイにとって難しいことではなかった。
「手っ取り早いのは、これで指名手配してもらうことかもしれませんが、そうもいかないのでとりあえず預かることになると思います」
スイは鞄にそれをしまうと、じっとカイを見た。
「な、何でしょうか」
「どんな人にも、取り柄の一つはあるものですね」
「それ、貶してます?」
「褒めてるんですよ」
「わ、やった」
「そこで素直に喜べるのはどうかと思いますが」
「何でですか、褒められたら嬉しいじゃないですか」
スイは懐中時計を確認すると、「今お時間ありますか」と尋ねてきた。
「ありますけど」
「じゃあ、一緒に事務所まで来て下さい。電車賃は出します」
「え、なんで」
思わず心の声が口から出た。
「何でって……これは、あなたが描いたものじゃないですか。犯人は今頃、どこかで不幸な目に合ってるかもしれませんね」
そして、否応なしに連れられることになった。
結局、スイと一緒に電車に乗るのは、これで二回目だった。事務所に着いてもミヅキはいなくて、小一時間ほどで一度戻って来るはずだとスイが言うので、それまでハムスターたちと戯れることにした。
途中、腹の虫がぐうぐうと鳴るのを聞きかねて、スイは簡単な早めの昼食を作ってくれた。奥に、小さなキッチンに繋がる扉があったのである。いつもスイが飲んでいる紅茶はどこで用意しているのか、甚だ不思議だったが、これで解決した。カイはその手慣れた手つきを後ろから眺めていた。器用な男である。
昼時になって、ミヅキは帰ってきた。開口一番、「何でこの子がいるの?」と簪で髪をまとめはじめたが、スイが事情を説明し似顔絵を見せると、ミヅキはにんまりと微笑んだ。
「お手柄じゃない」
ぐりぐりと頭を撫でられると、素直に嬉しさが込み上げた。相変わらず全身真っ黒で、瞳の奥はどこか殺伐としているけれど。
「殺人は癖になるって言うし、早くしないとって思ってたところなんだよねえ。でもこのところ依頼が立て込んじゃってて」
ミヅキは絵を天井に掲げる。
「手際がいい殺人だったもんで、これは初めての殺しじゃないなっていうのは予想できるんだけど、一ヶ月前とか三か月前、半年前くらいにも、距離はかなり離れてるんだけど、若い女性が殺される事件があったじゃない? 凶器も殺され方も様々ではあったけど、目撃者がいなくて足跡も証拠もなくて、犯人が捕まってないっていう共通点があってね。関連させて考えてもいいんじゃないかって提案してたんだけど、今回正式に依頼があって。ラッキーラッキー」
紙にキスをして上機嫌である。
「こいつは、必ずまた殺人するよ。それも、きっとここからそう遠くないはず。例えば、君が住んでる近くとか?」
「なんでそう思うんですか?」
「何となく、ピーンときた」
ピーンと。カイは何だそりゃと思っただけだったのに、スイは分かりましたと腰を上げた。
「じゃあ、この辺りでこの男を見なかったかどうか、聞き込みしてきます」
「うん。よろしくー」
「え、スイさん、何となくのために聞き込みするんですか?」
「何よ。君は理由をしっかり聞かないと動きたくないって言うの? 私が間違ったことを言ってるって?」
針を刺すような言葉に、カイはたじろいだ。
「いや、そうではないですが」
ミヅキがエスパーであることは、もちろんカイも知っている。しかし、「何となくピーンときた」で動けるかと言われると、難しいところだった。
「ほら、行きますよ」
「え? 俺も?」
スイに促されて、カイは立ち上がるしかなくなった。
「どうせ暇でしょ。いってらっしゃーい」
ひらひらと手を振って、自分はスイが用意していたサンドイッチに手をつけた。美味しいと、もしゃもしゃ頬張る姿は、おそらく三十路が迫ってきている年齢と思われるのに、少女のようだ。
「今日の帰りは何時頃になりそうですか?」
「んー、わっかんないかも。帰ってこなかったら戸締りだけ頼んでいい? なるべく早く帰るようにするけど」
「分かりました。じゃあ行ってきます」
ちりんと音を立てて、扉が閉まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます