第5話

 ぐっすり眠ると、頭が冴えた気がした。昨晩は色々考えていたが、今できる最善のことは、ぬいぐるみを新しく買うことだろうと結論付けた。

 ベレー帽を被って、さて、クルミのところへ行こうかと思った時、クルミの方がカイの家へやって来た。度肝を抜かれた気分だった。

「おはよ、カイくん」

「く、クルミちゃん! どうして」

「休みだったし、暇だったし。来ちゃ駄目だった?」

「いや、俺クルミちゃんに聞きたいことあったから、むしろ嬉しいんだけど」

 付き合っていた時は、しばしばクルミがカイの家へ連絡なく来ることがあった。合い鍵を渡していたため、勝手に入って料理を作ってくれたり、掃除をしてくれていたこともある。その時のことを思い出して、カイは頬が緩んだ。

「昨日も思ったんだけど、カイくん、もう絵描いてないんだよね」

「ああ、そうなんだ」

 以前は、床に乱雑に仕事道具や紙が置かれていたものだが、今ではすっきりとしている。カイとしては、嘆きの極みではあるが。

 そこでカイははっと気付く。クルミの思考回路からすると、カイが絵を描いていない→描いた人が不幸に見舞われるせい→ペンダントのせい→自分のせい、と巡っていくに違いない。証拠に、クルミの肩がどんどんしょげている。

 カイの絵が好きだと言っていたクルミは、カイの不幸の連鎖が始まってからも、絵を描き続けてほしいと言っていた。

 気を逸らすためにも、カイは早速切り出した。

「あー、えっと、俺の用っていうのは、ぬいぐるみのことなんだけど」

「うん」

「もう、最終手段として、似てるのを買うしかないかなーって思ってさ。どんなぬいぐるみだったか、詳しく訊いてもいい?」

 いいけど、とクルミは言い淀んだ。

「安いって言っても、ただじゃないよ?」

「分かってるよ! 何とかする」

 家を出ると、二人は町をふらついた。時間をかけていくつか店を回るが、なかなか似ているぬいぐるみが見つからない。適当なベンチを見つけて、そこに腰掛けた。

「やっぱり、私が買うよ。カイくんにそこまでしてもらうことないもん。本当は、犯人から返してもらえたらいいんだけど」

「いやいやそんな。言い出しっぺは俺だし」

「でも、私のお姉ちゃんのことだし」

「でも」

「いや」

 クルミはなかなかの強情だった。しかし、カイも引くつもりは毛頭ない。何度もやり取りをしていると、後ろから声がかかった。

「おやおや。君たちは、うちが何を生業としているか、知らないんだっけ?」

 空気に馴染む、艶のある声。背筋が冷えた気がして、振り返った。

「お、お久しぶりです」

 そこに立っていたのは、会うのは二度目の雨宮ミヅキだった。黒いカーディガンに身を包むその姿は、さながら魔女のようだ。とんがり帽子でも被らせたら、ほうきで空でも飛びそうだ。

 長い髪は降ろしていて、風吹くたび揺れる。頭には、蝶の髪飾りを付けていた。

「初めまして、クルミさん。私、こういう者です」

 会釈して、名刺を渡す。それをまじまじと見つめたクルミは、「ど、どうも」と腰が引けた様子で言った。

「俺、名刺もらってない……」

 カイの言葉を完全に無視すると、お客さん用の笑顔を浮かべた。

「もしよろしければ、私たちが犯人を捜しましょうか?」

「え」

「警察は無能だからねえ。私がいないと、犯人逮捕できないんですよ。この前だって、その前だって、私がいたからこそ犯人が逮捕できたんですよ? きっと世間様は知らないでしょうけど」

 ミヅキの推察力を知っているカイは、すんなりと納得できた。確かに、ミヅキはエスパーのごとく能力を持っている。

「ミヅキさん、警察に協力してるんですか? この前いなかったのって、もしかして警察の捜査してたんですか?」

「御名答」

 ミヅキは人差し指をカイの間の前に突きつけた。不意に顔が間近に来て、ぎょっとして後ずさる。

「ぬいぐるみさがしは承れませんが、犯人捜しであれば通常料金ですよ。ちなみにこれが料金表」

 裾から取り出した表のようなものを見せると、クルミに促して手に取らせた。ざっと目を通すと、感心したような声を上げる。

「なかなか良心的」

「でしょ?」

 クルミは悩んだ顔で、料金表をミヅキへ返した。

「でも、すぐに決めるのはちょっと」

「では、是非何かあればこちらまで連絡を」

 行動は素早かった。名刺の、連絡先が書いてあるところを示す。クルミは呆気に取られながらも、はいと返事をした。カイは蚊帳の外である。金がないと相手にもされない。

「ミヅキさんは、どうしてここにいたんですか?」

 訊いてみると、無視はされなかった。淡々と答える。

「お仕事の関係でね」

「警察ですか?」

「いんや。今日は普通のお客様」

 ミヅキは翻すと、最後に魅惑的に微笑んだ。

「クルミさん、本当に犯人を捜したいと思った時は、是非ご連絡下さいね。私たちなら、確実に見つけ出しますから。あなたの前に、犯人を跪かせますよ。何なら、殴っても蹴ってもいいですし。殺さなければ、何でもオッケーです」

「は、はあ」

 ウィンクをして、右手を上げる。

「ちゃお!」

 その後姿はすぐに見えなくなった。

 嵐が去った気分だった。

「す、すごい人だったね」

 クルミは名刺を持ったまま、去って行ったミヅキを追うように視線を動かした。

「雨宮探偵事務所って、この間のスイさん? がいるところだよね」

「そうだよ。さっきの人が、雨宮ミヅキさん」

「探偵なの?」

「どうなんだろう」

 実際のところ、良く分かっていない。ただ、探偵事務所と名乗っているからには、探偵の仕事をしているはずだ。霊が見えるスイと、頭が切れるミヅキ。二人がいれば、どんな難事件でも解決できそうではある。

「でも、犯人を必ず捜し出すなんて、そんなこと無理だよね? やけに自信たっぷりって感じだったけど」

「いや、あるかもしれない」

 二人のことを良く知らないクルミは、首を傾げた。

「あの人、本当にすごいんだ。エスパーなんだよ。何でもお見通しなんだ」

 カイのような凡人には理解出来ない事を、ミヅキならいとも簡単に暴き、白日の下に晒すことができるかもしれない。短い付き合いながら、カイはそんな風に思うようになっていた。

「ずいぶん信頼してるみたいね」

 拗ねるように言うので、カイはうっかり顔が赤くなる。付き合っているわけでもないのに、自惚れるなと自分に言い聞かせた。

 やきもちなんて、そんな甘い話ではない。

「でも、そうだとしたら、余計、気軽に依頼できないよ」

「どうして?」

「怖いの」

 クルミは自分の体を両手で抱くようにした。

「ペンダントを捨てようとしたのも、怖かったから。思い出したくなかったから。犯人が見つかったら、嫌でもこの人がこの手で、みんなを殺したんだって思わずにいられなくなる。そしたら何だか、自分が自分じゃなくなるんじゃないかって……。ごめんね、変な事言って」

 カイは、クルミの不安を共有したくて、首を振った。

「大丈夫だよ」

 表面的な言葉は、クルミにとって何の意味もないだろうが、カイはそう言うしかなかった。

「クルミちゃんには、店のおじさんもおばさんもいるし、スイさんだってああ見えて優しいし、ミヅキさんも金さえあればきっと優しいし。クルミちゃんの味方はいっぱいいる」

 ね、と笑いかければ、クルミは唇を噛みしめた。

「カイくんは?」

 思いがけない言葉に、カイはどもる。

「お、俺? えっと、もちろんずっとクルミちゃんの味方だよ」

「私がどんな風になってもずっと、一緒にいてくれるの?」

 潤む瞳の真意が分からない。何が言いたいのか、分からない、動悸が激しい。喉が渇く。顔が熱い。

 一歩身を寄せてくるクルミから離れる。

「俺、振られた身だし……」

「それはカイくんが悪いんでしょ」

「確かに仕事も無くなったし、俺に悪いところがあったから振られたんだけど」

「そうじゃなくて」

 クルミは立ち上がると、カイに背を向けた。機嫌を損ねてしまったようだ。

「分かった。考える。考えたら、ミヅキさんに連絡することもあるかもしれない」

 憤慨したように、腰に手を当てている。

「そっか」

 クルミはその後、言いにくそうに「あのさ」と前髪を弄り出した。

「あとね、私今、店の常連のお客さんに好意持たれてるみたいなんだよね」

 カイは首を傾げた。ほとんどの男性客が、クルミに首ったけだということは、彼女も知っているはずだ。続きを待つと、クルミは一息入れる間もなく口を開く。

「二人で出かけないかって誘われたんだ。告白されたわけではないよ。八歳上だけど、お役所で働いてて安定してるし、優しいし、割と格好良いと思うし」

 客のほとんどは、クルミを遠くから見ているだけだ。クルミを誘う人は稀だった。あの店でクルミを誘おうとするのは、なかなか勇気がいることだ。カイは身に染みて知っていた。

「クルミちゃんが、それでいいなら」

 クルミの背中が、僅かに震えた気がした。くるりと髪先が巻かれたツインテールを結んでいるのは、以前カイがあげた猫の飾りがついたゴムだということに、やっと気づいた。

「そう」

 クルミは、そのまま行ってしまった。

 とてつもない失敗をしてしまったようで、なのに何と言えば笑ってくれたかさえ分からなくて、カイはうな垂れた。

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