第3話

 コンコンとノックをすると、中から青年の声が聞こえた。

「どうぞ」

「失礼します」

 前は、ノックもなしに入ってしまったからな、と反省をしつつ、カイは二度目のそこへ足を踏み入れた。目が合うなり、スイは開いていた本を閉じる。相も変わらずよく似合うスーツ姿だ。

「はあ、何でしょうか」

 やる気のない声に、カイは被っていたベレー帽を脱ぐ。

「ミヅキさんはいないんですか?」

「仕事で出かけています。ミヅキさんにご用で?」

「いえ、そういうわけでは」

 スイは、カイにソファを勧めた。最初と全く違う対応に、カイは呆気に取られる。やはり、いきなりノックもせず入って、自分のことを急に話すのが良くなかったのだろうか。

 スイの正面に座ると、スイも足を組んで腰掛け直す。しかし、カイにお茶を入れることはなく、自分だけ優雅にカップに口を付けた。別にいいけど。

「本当は、一緒に仕事へ行っても良かったんですけどね。でも、思った通りあなたが来た」

 おもむろに口を開いたスイに、カイは疑問を投げかける。

「思った通り?」

「ええ。ミヅキさんが、今日あたりあなたがここに来るはずだと」

「なんで」

 大仰に驚くと、後ろでチーと鳴き声が聞こえた。振り返れば、窓際にハムスターが数匹いた。その横には、亀や蛇、蜘蛛がいる。ミヅキの趣味か、スイの趣味か。

 スイの続きを促すと、勿体ぶるようにしてから口を開いた。

「買った店の人にでも尋ねて、調べて、この女の子のために何か出来ないか、と言ってくるのが今日あたりじゃないかってことみたいですよ。僕の言っていたことが本当だったと確信して、僕を頼ってくるはずだと」

「エスパー?」

「ただの推測です。なので、僕もあなたに何を言おうか考えていたんです。あなたが、この子のために出来ること」

 スイの目は、カイの左隣から、自分の右隣へつーっと動いた。

「無視されるか、懐いてくるか、怖がって近寄らないか――パターンは色々ですが、この子の場合は見える人に懐くみたいですね。あなたより、僕の方が良いみたいです」

「スイさんってもともと女受けよさそうですし?」

 負け惜しみで言うと、スイは勝ち誇ったように笑う。

「まあ、確かに僕は男前ですから」

「謙遜しろよ!」

「怒るとこの子が怖がりますよ」

 そう言われてしまえば、カイは怒りを胸の内に抑えるしかなかった。

 たまたま男前に生まれてきただけなのに、図に乗りやがって――とは、言いたくても言わない。

「で、話の続きですが。あなたが出来ることは、このモモヨちゃんが十年前持っていたうさぎのぬいぐるみを探してあげることです。誕生日に買ってもらって、妹と取り合いをしていたんだそうです。これを探し出せば、きっとこの子、成仏できます。それが心残りで、ずっとここに残っているんです」

「うさぎのぬいぐるみ」

 カイは首を傾げる。

「今は妹さんが持ってるとか、そんなんですか?」

「そう簡単な話じゃないみたいで」

 スイは、しばらく空中に向かって頷くと、「なるほど」と考え込む姿勢を取った。どうやら、モモヨの話を聞いていたらしい。カイには何も見えないので、不思議な気分である。何も知らないままその光景を見たら、不気味でしかないだろう。

「寝る時はあったはずなのに、痛いと思ってふと気づいた時には、家になかったそうです。家の外にも探しに行こうと思ったけど出られなくてってことみたいですね。まあ、ペンダントの側を離れられないようになっていますから、もっと遠くに……例えば犯人が持ち去ったと考えられますね」

「何のためにそんなもの」

 言いながら、カイは無くなっていたものの一つとしてうさぎのぬいぐるみが挙げられていたことを思い出した。別段普通の、どこにでも売っているようなぬいぐるみだったらしく、本当に犯人が持ち去ったのか、持ち去ったのなら何のために――そんなことが書かれていた。他にも、ちょっとした置物や服類などもところどころ無くなっていたとか。

 特に記憶に留めることではないと勝手に思っていたが、これこそがモモヨの願いらしい。

「理由は分かりませんが、この子の証言からすると、犯人が持って行ったと考えて良さそうです。つまりあなたは、犯人が持って行ったぬいぐるみを探し出さないといけないってことです」

 途方もない。カイは思った。

 警察でさえ見つけられていないものを、一般人が見つけ出せるものなのだろうか、いや無理だ。

 頭を抱えていると、スイが一つ提案をしてきた。

「もしかすると、今は空き家になっている事件現場に行けば、何か分かるかもしれませんよ」

「もう、調べつくされた後なんじゃないですか?」

「確かにそうですが。でも、あなたに出来ることってそれくらいしかないのでは?」

 ぐ、と言葉に詰まる。恐らくこっちを見ているであろうモモヨの視線を感じた気がして、カイは静かに唸った。

「それ、どこですか?」

「そんなに遠くはありません。電車で十五分ほどでしょうか。歩いていけば、どんなに早く歩いても一時間はかかるかと」

 また歩きか。カイは項垂れた。連日歩き通しで、足はかなり疲労している。しかも、ろくな物を食べていないせいで、力も出ない。

 出来れば歩きたくはない。が、金のためだ。モモヨのためだ。よし、と腰を上げると、今度は出入り口の方からゲコ、と蛙の鳴き声がした。

 気になったので、訊いてみる。

「生き物、いっぱい飼ってるんですね」

「駄目ですか?」

 じとっとした、刺々しい物言いからして、これはスイの趣味なのだろうと推測できた。カイは左右に首を振る。

「駄目じゃないですよ。ただ、なかなか蜘蛛を飼ってる人なんて、いないよなと思いまして」

「いいじゃないですか。可愛いですよ」

「ハムスターは確かに可愛いですけど」

 回し車を一心不乱に回す姿なんか、とても愛らしい。近くで見たことはなかったが、これほどまでに小さくて可愛いとは。

 カイがじっと見ていると、スイが籠の中から三匹取り出した。

「ハム一号、ハム二号、ハム三号です。ハムスターはこの三匹で、これが蛇一号。あっちは蜘蛛一号から十号までいます。蛙は二号まで。前はカメレオンとか飼ってましたけど」

「号って、それ名前ですか? 可愛くないですよ?」

「分かりやすくていいじゃないですか」

 ハムたちは、わらわらとスイの腕を伝って肩へと移動した。どれが一号でどれが二号か、なんて分からないくらい、どれもが真っ白な毛を持っていてそっくりである。しかし、スイにはどれが何か、しっかりと分かっているようだった。

「可愛い! 毛づくろいしてる」

 このまま、何時間でも見ていられる。そんなカイを見て、スイは言った。

「動物、好きなんですか」

「人並みには。でもさすがに、蜘蛛とか蛇はあまり……。亀はちょっと可愛いですね。蛙も、昔よく捕まえてたなあ」

 無邪気だった少年期を思い出していると、スイはカイの肩へハムスターを一匹乗せた。

「噛んだりしません?」

「うちのハムたちは利口なので」

「糞とかしません?」

「必ず籠に戻ってするように、躾けてあります」

「床をうろちょろされたら踏んじゃいません?」

「家具などの上しか移動しないように言っているので、踏むことはありません」

「すげー。ハムスターって躾けられるんだ……」

 カイの肩に乗っていたハムスターが、たったかと走って棚の上を行ったと思うと、籠の中に戻って用を足しているようだった。半信半疑に聞いていたカイは、ほうと感心する。

「蜘蛛だって蛇だって、僕にかかれば躾けられますよ。うちのは全員良い子なので」

「スイさんいったい何者」

 すると、スイは思いついたようにハムスターたちを鞄に入れ、蛙と亀の入った籠を両手に抱えた。

「そういえば、最近なかなか散歩ができていなかったんですよね」

 そのまますたすたと出入り口に向かうため、カイも慌てて後を追った。事務所の鍵を閉めると、階段を降りて行く。

「あなたが来た後は、好きにするように言われてますし」

「はあ」

 意図が分からず、カイが気のない返事をすると、階段の途中でスイが振り返った。

「一人で散歩させてると、変な目で見られるんですよ。付き合って下さい」

「ええ。俺、今から行くところが」

 さっき話したばかりじゃないかと思い、無理無理と手を振ると、スイはそのままの無表情で言った。

「今日は、せっかく時間も空いたので、この辺りで一番大きい公園に行こうと思うんです。確か、例の空き家の場所ってその近くだったような」

「え」

「付き合ってくれるなら、電車賃くらいは出します。こちらから言い出したことですし」

 思考が停止した。これは、もしかしていわゆる。

「り、リアルツンデレ……!」

「誰が」

 ミヅキの言っていた意味が分かった気がして、心の中でスイの地位が爆上がりした。単純なのだ。「行きます!」と間髪入れずに言うと、スイはそうですか、と淡々と言った。

「スイさんが女の子だったらなあ。めっちゃ萌えるんですけど」

「勝手に燃えて下さい」

 スイに渡された切符を駅員に渡し、電車が来るのを待つ。ほどなくしてやってきた電車に乗ると、人はまばらで、空いていた席に座った。開いた窓から風が吹く。車窓の風景に目を止めていると、昔、母と出掛けた時のことが思い出されてきて、何となくしんみりとした。

 改札を出ると、人通りが多い道に出た。カイの住んでいる町より、人口は多そうだ。休まることなく店が立ち並んでいて、賑やかである。

「こんなところにあるんですか?」

 華やかな店を前に、きょろきょろと目を回してみる。どうしても、殺人現場の空き家がありそうな場所ではない。てっきり、もっとおどろおどろしい場所かと思っていた。

 明確な返答がないまま、スイの後ろを付いて歩けば、急に立ち止まったのでその背中にぶつかった。

「なんですか」

 顔を押さえると、「失礼」と紳士的に謝られる。

「こっちです」

 スイが示した脇道には、どうにもどよんとした空気が溢れていた。大きな通りから少しそれたそこは、時代から置き去りにされたような古びた感があって、カイは無意識に唾を飲み込んだ。これこそ、カイが想像していた通りの場所だった。

 スイの服の裾を掴むと怒られたので、カイは両手に握り拳を作ったまま、おそるおそる道を進む。

 空き地が多い。人通りも当然ない。歩いていくと、大きな一軒家が目に止まった。

 古びた玄関。草が生い茂った庭。立ち入り禁止のテープが張られた家。

「ここ、ですか」

「そうです」

 スイが当然のごとく入って行くので、カイもその後に続いた。

「この子も、久しぶりに家に帰れて嬉しいって」

「う、嬉しいならよかったっす」

 スイのベストに縋ると、鬱陶しくはされたが、振り払われなかった。カイはその背中からそっと中の様子を見る。

 スイによれば、二階が姉妹の部屋だったそうだ。いつもそこで、二人仲良くベッドで寝ていたのだ。ただ、事件当時は一人だったため、いつもは妹がいる場所にうさぎのぬいぐるみを置いていたらしい。

 部屋に入ってみると、綺麗に片付いていた。事件の跡は全く見られず、綺麗なものだ。家具などは置かれたままだったが、その他のものは綺麗に整理され、持ち出されている。あの事件後、親戚たちの手によってなされたのだそうだ。

「事件現場って、そのままにしておくものじゃないんですか?」

「もちろん、警察が調べつくした上でやったことでしょう。いつまでもそのままにはしておけないのでは? あなたがそのペンダントを持っているっていうのも、その証拠ではないでしょうか」

 窓枠をそっと撫でると、埃がぶわっと舞った。何年も、誰も来ていない証拠だ。

 一つ一つ部屋を見て回ったが、すでに検証されつくした後という感じで、何も手掛かりはなかった。ただひたすら埃っぽい。

「形見として、残しておくという手はなかったんでしょうか」

 美しいペンダントは、今もなお昔の輝きを秘めている。詳しい事情は分からないが、こんなにも美しいペンダントなのだから、思い出として残しておけばいいのにと思ってしまう。

「どうでしょうね。私は家族を殺されていませんから、分かりかねます」

 一通り見回って、外に出ると、気分がすっとした。スイは、難しい顔で家全体を眺めると、息を吐いた。

「他の人は、全員いなくなっていました」

 その言葉は、カイに向けて言ったのではなかった。いなくなっていた、とはつまり、成仏していたということだろうか。カイは静かに両手を合わせた。

「しかし、どうであれぬいぐるみはもうないと思います。犯人にとってずっと持ち続けるのは、リスクが大きすぎますから」

 帰る時は、すでに怖さの絶頂を感じた後だからか、背筋がぞおっとする感覚はなかった。慣れとは恐ろしいものだ。麻痺してしまったように、むしろ軽快だった。

 大きな通りに出ると、さっきのことが嘘だったかのような賑やかさが取り戻された。

「ですよね……。どうしたものか」

 カイは、ふと気になって訊いてみた。

「妹さん、生き残ってるんですよね。話が出来たら、分かることがあるかもしれないんじゃないですか?」

「調べれば居場所くらい分かるとは思いますけど、僕は手伝いませんよ」

「分かってますって。ただ、名前だけ教えてもらいたいんです」

 駅から少し歩いたところに、大きな公園があった。そこでスイは、動物たちを放った。首輪もないのだから、帰ってこないんじゃとカイは言ったが、彼らはスイの目の届く当たりだけで思い存分闊歩し、水の中を泳ぎ、走り回ると、いそいそと籠や鞄の中へ自ら戻った。二人は、その様子を黙って見つめていた。少し異様な光景だった。近くにいた子供たちに、「すげー!」と絶賛された。

「クルミ、だそうです」

「クルミ?」

 カイの表情が変わる。スイは、その生き残った少女の名前が、クルミだと言ったのだ。

 カイと同い年くらいの、家族を殺されたクルミという少女。

「まさかね」

「どうかしました?」

「いえ」

 カイの額からは、じとっと汗が流れた。

 スイと別れた後、家に帰ったカイは、ペンダントを外してそれをしばらく眺めていた。ベッドに入った後も、カイはなかなか寝付けず、そのクルミという少女について考えた。

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