事実は小説よりも奇なり

異世界に入り、座禅を組む。

もう、酒池肉林にも飽きてしまったので、海のきれいな漁村で、ひっそりと生活することにしている。


この異世界から抜け出すことはもう諦めかけていたから、静かな「余生」を送ることにした。


俺を異世界に召喚した国の人々も、元に戻す方法までは知らなかった。全く、無責任な人たちである。


現実世界で77憶人のトップになど到底なれないが、この世界で、俺は間違いなく一番であり、永遠に語り継がれるような存在である。


「ここは、〇〇の村だよ」と案内をするだけの人間よりも、価値があるに違いない。

しかし、どれだけ価値がある人間でも、価値のない人間でも、一つの命しか生きることができない。


そして、村の案内人が俺よりも幸福でないかどうかはわからない。

雲泥の差がある二つの人生でも、幸福度という尺度で見るならば、大差ないどころか、逆転することだって有り得るのだ。


この異世界も最初のうちは刺激的な日々が続いていた。


自由自在に使える強力な魔法や、華麗な剣さばきで魔物たちを薙ぎ払っていくことや、行く先々で英雄としてもてはやされたこと、気になる女性を思いのままに抱くことができたこと、どれも現実世界の俺の人生では一生味わうことのできないような快感であった。


しかし、平和になった世界での平凡な生き方を満足に知らなかった俺は、この平時においては村の案内人よりも不器用で、不幸であるかもしれない。


今の俺は、歓声なしには普通の街に入ることもできないから、かえって自由もなくなっている。



異世界転生とは、一つの現実逃避である。


実社会で弱い自分が強くなれるという幻想を持てる世界。


人は競争している限り、自分より下がいなければ安堵できない。


自分より成績が下のやつ、容姿が悪いやつ、貧乏なやつがいてくれて安心する。自分が一番下ではない、自分はあいつよりはマシだ、と。


身近にそういうやつがいなければ、馬鹿が闇金に食い物にされるフィクションでもいいし、先進国日本のよりも劣った国の人々の話でもいい。


だが、自分が満たされるためには、自分を絶対的に満たしてくれる世界がなければならない。


なぜ、異世界物語ではなく、異世界「転生」物語なのか。

それは、異世界が現実世界と接続されていてほしいからだ。


異世界転生作品の中の現実世界は、私たちが生きている現実世界とは異なる、また別の世界、つまり異世界であるのに、それをあたかも私たちが生きている世界のように見せようとする。


本当は、異世界から別の異世界に転生していふだけで、私たちのいる現実世界とは絶対に接続されないのだ。


そんなことは、誰でもわかることだが、それであっても、現実世界は異世界と接続されていてほしいのだ。


この現実世界から逃げ込むために。


異世界に1週間や1ヶ月行くのであれば、それは俺が現実世界でオーストラリアに行ったときのように、全ての悩みを忘れて楽しむことができるものだろう。


しかし、それが30年すればどうだろうか。

現実世界の方が娯楽が充実しているし、働くことで時間を消費させられているから、異世界では現実世界よりも世界に飽き飽きとしているかもしれない。


現実世界では、思いもよらないことばかり起きる。


仕事は上手くいかないことばかり。

一条さんや岩倉さん、アレックスとつながりたくてもつながれない。


でも、その不自由さこそが、時間を退屈させないものですらある。


「永劫回帰」の思想の中では、時間が無限で、物質が有限であるならば、全ての物事は繰り返される。


しかし、繰り返される周期は、何兆年ごとなのだろう。想像もできないほど、先のことなのだ。


そして、仮に100兆年先のことであるならば、現実世界では、100兆年間、同じことが起こらない。


テレビゲームはどんなに精巧に作られたものでも、毎日8時間プレイすれば1ヶ月かからずクリアできるし、半年間もプレイするのは耐えられない。


同様に、人間1人が想像できる世界は限定的であるから、何十年も自分一人で欲望を作り、それを満たしていくのは容易なことではないのだ。


この宇宙はグノーシス主義における悪の宇宙であるかもしれないが、紘介に降り注ぐのはそれほどの巨悪ではなかったし、軽微な悪は無よりも価値がある。


悪も含めた未来の不透明さこそが、人を悩ませるものでありながら、人を生き長らえさせるものなのだ。

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