欲望する機械
意味の病に侵された亡霊たちは、意味に過剰に囚われすぎている限り、成仏することはできないのだろう。
人生に意味を求め続けると、どこまでも上に上がっていかなければならない。
自分の唯一無二の人生が、他のモブキャラたちと違う、ストーリーであるためには、常に他人との差異化を図らなければならない。
東京大学を首席で卒業し、財務事務次官になったとしても、その上には財務大臣がいるし、財務大臣の上には総理大臣がいる。総理大臣も世界で一番であるわけではない。
他人との勝ち負けを気にしている限り、この77憶人の中でトップに立つまでは真に勝利を得ることはない。
そして、仮に77憶人の頂点に立ったとしても、盛者必衰、いずれは他の者に抜かされてしまう。
メキシコ人の漁師とアメリカ人のエリートの有名な話がある。
ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得したアメリカ人のエリートコンサルタントは、旅行先のメキシコの村で、漁師に会う。
漁師はあまり金稼ぎには関心がないようなので、彼は、「もっと長い時間、漁に出て漁獲高を上げ、大船団を作って、ビジネスを展開させていくべきだ」と助言する。
漁師が、そのビジネスを成功させてどうなるかと聞くと、コンサルタントは、「億万長者になって、引退し、海岸近くの小さな村に住み、朝はゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子供たちと遊んだりして、夜には友達と一杯やって…」と答える。
それの億万長者の生活とは、その怠惰な漁師の生活と変わらないものだというのが、この話の落ちだ。
上を目指し続けて、勝ち続けて、行きついた最後が、平凡な漁師の日常と変わらないのであれば、その努力に「意味」はあったのだろうか。
他人と競争している限り、劣等感や嫉妬、憎悪はなくならない。
どこまで行っても上には上がいるから、常に自分より上の存在というものが出てくる。
今、自分がここにいること、他者に負けていても良い自分を、大前提として認めること。
そして、努力を他者との勝ち負けのためではなく、自分がなりたいものになるために使うこと。
他者とは、蹴落とすものではなく、喜びを分かち合うもの、施して救うものだと知ること。
自分が、他者とは違う何者かであるならば、他者と同じ土俵では戦わず、土俵の外から見ることができる器量の大きさを身につけること。
勝負に負けても、試合で勝てる、戦争に負けても、外交で勝てるということを忘れず、大局観を持って冷静でいること。
神を失った亡霊たちが、現代において死やハルマゲドンを選ばずに生きるには、こうしたものが必要であるかもしれない。
他者との勝負に勝ったということは、必ずしも人生において勝ったことではない。
複雑なこの人生を生き抜くためには、勝ちも負けも、何でも自分の勝ちにならなければならない。
不幸なことから良い部分を探し出し、幸福だと考える、つまり、身内が死んでも、そのおかげで身の回りの人たちの優しさに気付けたと解釈するようなものを、エレナ・ホグマン・ポーターの『少女パレアナ』にちなんで「ポリアンナ症候群」と呼ぶ。
そのような行き過ぎた現実逃避に陥らないように、留意する必要はあるが、人生は一瞬で終わるわけではないから、負けを勝ちに変えることができるのだ。
自分が今持っているものは、成功者と言われる人たちに比べたら、ちっぽけなものかもしれない。
それでも、家族、恋人、お金、時間、健康などのうち、いくつかだけでも持っているのは確かだ。
人間は「欲望する機械」であり、常に欲望をエネルギーとして活動している。
けれども、その欲望には果てがなく、満足することを知らなければ、常に何かが不足しているのだ。
現代日本では、貧困で死ぬことが「難しい」と言えるだけのセーフティネットがある。
ほぼ全ての人が、生きていくには今持っているもので足りているが、それでも、足りないと感じてしまう。
「足りた」と思えるまで、新たなものがほしいという欲望は続くが、「足りた」と思えてしまえば、今以上のものはいらなくなる。
高杉晋作の「面白きこともなき世を面白く」という辞世の句に、野村望東尼は「すみなすものは心なりけり」と加えた。
この世の絶望から抜け出すためには、物欲を満たすことではなく、心を変えることをしていかなければならない。
笑顔を作れば、楽しいことがなくても楽しく思えるように、心が満たされている実感を得るだけならば、幸福な出来事は必ずしも必要ない。
アランというペンネームで活動していた、『幸福論』のエミール=オーギュスト・シャルティエは「幸福になる義務」について書いた。
その中で彼は、人々が幸福を望まなければならないこと、自らの幸福を作り出さなければならないことについて書いている。
人の幸福は、嫉妬心さえ邪魔をしなければ、他の人にも伝播する。
だからこそ、幸福になることは、社会でいきる私たちに課せられた義務でもあるのだ。
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