重要なのは勝つことではなく、参加すること

ホテルに戻り、シャワーを浴びる。


浴槽はないが、数日ならばなくても困らない。


シャワーを浴びながら、アレックスのことを思い出す。


ハリウッド女優とは異なり、初心さを持ち合わせた、それでいて、紘介の知らない世界を知っているかのような大胆さを秘めた女性だった。


服を着て、携帯をいじる。


「アレックス」と調べると、どうも「アレキサンドラ」という女性名のニックネームとして使われているらしい。


名刺交換はしなかったので、彼女の姓はわからないし、おそらくもう一生会うこともないだろう。


しかし、あの数分であれ、それがもっと長い時間であれ、紘介のものになるわけではないのだから、いずれにせよ彼の目の前からは消えてしまうものなのだ。


一条麗香を眺められる日々も、彼女がまた転職をしてしまえば失われてしまうし、紘介が転勤になるかもしれない。


数か月か1、2年は続くかもしれないが、彼の人生において、アレックスとの数分と何らかの変わりがあるものだろうか。


どうせ彼の目の前から消えてしまうものならば、いっそのこと、心を奪われすぎる前に消えてしまった方が良いかもしれない。


そんなことを考えているうちに、紘介は眠りについてしまった。



夢の中では、相変わらず異世界での冒険が続けられており、いよいよ魔王の城に向かうというところだった。


魔王の城の手前の街で宿屋に泊まる。


その宿屋の娘はアレックスにたいそう似た美女であった。


この世界において、世界一魅力的とも言える無双状態の俺にとって、宿屋の娘一人を口説くことはたやすいものだった。


そして、俺は彼女と一夜限りの関係を結んでいた。



目が覚めると、外はまだ朝焼けが綺麗な時間だった。


短い旅を無駄にしないようにと、着替えて外を散歩することにした。


急いで着替えたが、外に出た頃には、すっかり外は明るくなってしまっていた。


こちらの朝は早いのか、街中に人々がもう歩いている。


コーヒー店も開いており、人の列ができている。


朝からコーヒーというのも悪くないと思い、例のフラット・ホワイトを注文してみる。


注文のため、店員のお姉さんに名前を聞かれ、「コースケ」と答えるが、ちゃんと聞き取ってもらえない。


仕方なく、「コー」とだけ伝える。


まるで、中国系の名字の候さんのようだ。


2分ほどして、「コー」と名前を呼ばれ、コーヒーを受け取る。


カップにもしっかりと「Koh」と書いてある。


コーヒーを飲みながら近くを散歩してみるが、特に面白そうな施設もない。


歩いていると、セントラル駅の駅舎が見えてくる。


あまり遠くに行き過ぎても戻れなくなるので、ホテルに踵を返す。


ホテルに戻って朝食を取り、また待ち合わせのロビーに出る。


昨日と変わらず、兼松さんが時間までに車で迎えにきた。


「今日は、シドニーの西部に行きます」


車に乗り込みながら、兼松さんが話す。


「シドニーの都市は、人口が増え過ぎて、人口の分散が求められています。これから行く西部のパラマタというエリアは、今後のシドニーの発展の中心となるところです。東京で言えば、立川みたいなものでしょうか。そこに、州政府の機関も移転させていくそうです」


「今日の打合せは午後なので、午前は少し寄り道をしていきましょう。ちょうど、ここからパラマタに向かう途中に、シドニー・オリンピック・パークというものがあります。2000年にシドニー・オリンピックを開催した場所ですよ」


オリンピックは日本で今まさにホットな話題で、その言葉を目にしない日はないんじゃないかというぐらいだが、紘介は特に興味がない。


オリンピックというより、スポーツ観戦自体に興味がないので、世間のこの動きを一歩引いて眺めていた。


30分ぐらい車を走らせ、ようやくパークについたらしい。


巨大なスタジアムが並んでいる、東京では見ることができないようなスケールのものだった。


「あれが、オリンピックのときのメインスタジアムですね。今は命名権を売っているので、民間企業の名前を冠しています。その横にあるたくさんのポールには、当時のオリンピックボランティアたちの名前が刻まれています」


「ここは元々、埋立地や工場の土地として使われていて、土壌汚染が進んでいた地域でした。それを、オリンピックの会場として、環境に考慮しながら再開発していったんですね。シドニーとパラマタのちょうど間ぐらいにあるので、今後、ビジネス街としても発展の可能性を秘めたところです」


車で辺りを回ると、確かにオフィスらしいものもある。


「シドニー・オリンピックと呼んでいますが、実はここはシドニー市ではないんです。シドニー市のエリアというのは、実は結構小さくて、車だとすぐに市外に出てしまうんですね」


そんな話を聞きながら辺りを回るが、公園の部分も含めると、とても広大な土地であるらしく、スケールの大きさと同時に、人口密度が少ないことに驚かされる。


「イベント時は人も結構いるのですが、今日は何もなさそうなので、人が全然いませんね。今回は行きませんが、もう少し行くと選手村だったエリアがあります。シドニー・オリンピックの選手村は、戸建てで造られて、大会後は一般の人に売られました。今では一つの街のようになっていますが、通りの名前も『コマネチ通り』など、過去のオリンピック選手の名前を使っていてユニークです」


オリンピックのレガシーと言っていいのかはわからないが、シドニーの人たちはスポーツが好きだ。


中でも、ラグビーは人気スポーツであるが、そのラグビーにも3種類ある。


一番人気がオーストラリア発のオーストラリアンフットボールで、球状のコートの中で選手たちがぶつかり合う、危険なスポーツとして知られている。


また、次に人気なのが、ラグビーリーグである。ラグビーと呼ばれるものには、ラグビーリーグとラグビーユニオンの2種類があり、ラグビーワールドカップなどで知られるのはユニオンの方になるのだが、ここではリーグの方が盛んである。


ユニオンとは、選手の数など、微妙にルールが異なるらしい。


そして、最後がラグビーユニオンになるわけだが、この3種類のラグビーがありながらも、オーストラリアのラグビーユニオンチーム「ワラビーズ」は、ニュージーランドの「オールブラックス」と並んで、世界最強と言われている。


もっとも、ニュージーランドのオールブラックスが先住のマオリ族の文化である「ハカ」で知られているのに対し、ワラビーズは存在感に欠けるかもしれない。


2015年のラグビーワールドカップでは、決勝戦はこのワラビーズとオールブラックスの間で争われた。


結果は、オールブラックスの勝利で終わるのだが、この戦いの裏ではとある賭け事が行われていた。


オーストラリアを代表する航空会社と、ニュージーランドを代表する航空会社の間で行われたこの賭けは、オーストラリアの負けに終わり、その結果、オーストラリアの航空会社では、客室乗務員がオールブラックスと同じ黒のユニフォームを着ることになったのだ。もちろん、一時的なものではあるけれど。


この例に限らず、オーストラリアでは賭け事も盛んだ。


大きなカジノがあるだけでなく、街中のパブに行けば、賭博用の機械が置いてあり、スポーツの勝敗に対して賭けることができる。


毎年メルボルンで開催される競馬の、メルボルンカップは取り分け有名であるが、賭けの対象は競馬だけに限らない。


ラグビーやテニスなど、さまざまな試合の結果を予想し、賭けることができるのだ。


そして、競馬と言うと日本でのイメージはあまり良くないかもしれないが、元々は貴族の遊びであったため、メルボルンカップでは、お金持ちが派手に着飾って集まり、賭け事をするのである。

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