恐るべき空白
紘介は指定された居酒屋に入ったが、桐野さんはまだ来ていないらしい。
会社から徒歩3分の場所にある居酒屋で、金曜に来れば誰かしら会社の人がいるようなところだ。
10分待って、やっと桐野さんが来る。
隣には50歳前後に見えるおじさんがいる。
「どうも、橋本です」
汗をハンカチで拭いながら自己紹介をされる。
「橋本さんは10年前まで、オーストラリアにいたんだ。5年ぐらいいらしたそうだ」
桐野さんが簡単に紹介する。
「オーストラリアのどちらにいらしたんですか?」
「最初はメルボルンにいた。3年目からはシドニーだね。オーストラリア2トップの都市さ」
橋本さんの見た目はまさに日本人のおじさんという感じで、オーストラリアにいる姿が想像できない。
「首都はキャンベラというところのようですけど…」
紘介が聞くと、
「キャンベラなんか、何もないよ。ワシントンD.C.と同じ、政治の街だからね」
オーストラリアの首都を決めることになったとき、意外にも、メルボルンが首都になった。
それでは、シドニーの人は面白くない。
そして、後にシドニーとメルボルンの間にキャンベラが作られたのだ。
八戸と弘前の妥協案として青森市が県庁所在地となったようなものだ。
キャンベラは都市計画都市の代表例としても有名である。
湖を挟んで、綺麗な三角形の都市構造が描かれている。
しかし、政府機関や各国大使館があるほかには、名門のオーストラリア国立大学がある程度の少し寂しい街だ。
「もう10年前のことだから、変わっているかもしれないけど、オーストラリアは住みやすくて良いところだね。自然が豊かで、治安も良い」
橋本さんの話は続く。
橋下さんは、滞在中に当時の会社の同僚たちとオーストラリアを縦断した。
3000kmにも及ぶ道を、時速130kmで駆け抜ける。
地平線まで見渡せる赤い大地。
カンガルーやエミューが車道を横切っていく。
道の先は蜃気楼で歪んでいる。
北のダーウィンから南のアデレードまで駆け抜ける。
途中、旅人を飽きさせないようなモニュメントや変わったガスステーションがある。
巨人や宇宙人がいたこともあった。
3日目に、アリスの泉、アリススプリングスに到達した。
その名前の由来となった泉はもう干上がっているが、ここがこの灼熱の内陸においてオアシスのようになっていた。
シドニーやメルボルンのような沿岸地域と異なり、先住民のアボリジニーが多い。
アメリカ大陸のインディアンのように、オーストラリア大陸のアボリジニーは白人の開拓によってその土地を奪われていく。
もっとも、近年では白人社会でも彼らを尊重しており、イベントの開催時などには、その土地の先住部族に対する感謝を述べるのが慣例となっている。
しかし、ニュージーランドで、先住民のマオリの言語がいたるところに併記され、国家もマオリ語でも歌われることを見ると、オーストラリアでのアボリジニーの待遇はやはりまだ改善の余地があるのかもしれない。
(ただし、アボリジニーに統一言語はない)
意外かもしれないが、アリススプリングスでは通信教育が盛んに行われている。
それは、アボリジニーなどの子供達が広範囲におり、学校教育を受けづらい子供が多いからである。
アリススプリングスを出ると、ウルルに近づく。
ウルルという言葉は日本ではあまり馴染みはない。
日本人は、英国の探検家が名付けた「エアーズロック」という言葉を使うが、オーストラリアでは通常、これをアボリジニーの言葉のまま「ウルル」と呼ぶ。
広大な赤い大地に突如として「山」が現れる。
それは山ではなく、岩であり、世界最大の一枚岩と言われている。
まさに「地球のへそ」のように盛り上がっている。
ウルルは法律でもう登れなくなるのだが、それまでが「登れた」というのはいささか誤解を招きかねない。
ウルルは巨大な岩で、傾斜も大きいことに加え、岩肌を歩く必要があるから、その登山ならぬ「登岩」は過酷なものだ。
これまでに何人かこの岩から転落し、この世を去っているのだから、登岩はたいへん危険なのだ。
だから、雨や風のある日はここには登れない。
何日も登れないこともあり、せっかくそこに来ても登れない観光客は多数いた。
また、ウルルはアボリジニーの間で神聖なものであり、彼らは決して登らない。
仮に登れたとしても、足を踏み入れられるのは、人々が崇めるものを足蹴に登る勇気のあるものだけだ。
ウルルからそう遠くない位置にカタジュタという、これまた岩がある。こちらは風の谷のようであると言われる。
どうやら、ウルルとは地下で繋がっているとかいないとかという話があるが、掘り出したものを見たわけじゃないからわからない。
実は、ここに至るまでにも岩があった。
地上に突如として巨大な丸チョコのようなものが散らばっている。
これらはデビルズマーブルと呼ばれているが、無数の丸岩が何故か散らばっているのである。
こうしたわけで、オーストラリア内陸の旅では岩が友達になるのだが、もう一つ、(残念ながら)語らずにはいられない友達がいる。
オーストラリアの夏(つまりは日本の冬)のこいつらの脅威は現代日本では決して想像できないだろう。
ひっきりなしに人間や動物についてくるハエは、肉を炙っている炎の中にまで入ってくるという。
住民にしては慣れっこなので、ハエが顔についたぐらいでは動じない人も多い。
さすがに、鼻の中に入ってくると払わずにはいられないのだが。
このハエの大群のせいで口を十分に開けず、オーストラリア英語は口をあまり開けないで発音するようになったとも言われている。
東北地方の日本人が、寒さゆえに口をあまり開けずに日本語を話すようになったようなものである。
ハエ除けために頭にかぶるネットも売っているのだが、それでもハエはひっきりなしに寄ってくるので、気休め程度にしかならない。
橋本さんの旅も、内陸部にいた数日間は常にハエと一緒にいたのだという。
内陸部では降雨量が少なく、初期の開拓者は大変苦労したと想像される。
この猛暑と乾燥の中、地獄のような環境にあった探検隊を描いた小説のタイトルが「恐るべき空白」である。
そのころ、すでにオーストラリアの沿岸部ではシドニーやメルボルンなどの都市が発展してきていたが、内陸部は誰にもわからない、行けば死を覚悟しなければならない空白地帯だったのだ。
ウルルからさらに南下すると、クーパーペディの街がある。
ここは、岩というよりも土の都と言っていいかもしれない。
土の色はウルルのような赤ではなく、我々の馴染みのある色に近づく。
内陸部の暑さから、ここの住民たちは穴を掘って住居とすることを覚えた。
そして、ここの住民の強さはその穴掘りにある。
ここでは、地下を掘ってオパールが取り出される。
世界最大のオパールの産地と言われている。
オパールの不思議な輝きは、今日ではダイヤモンドやルビーのきらびやかな輝きと比べると、少し見劣りするかもしれない。
オパールがその価値において隆盛を極めたのは古代ローマの時代であるかもしれない。
ある皇帝が、ローマ帝国の領土の3分の1を売ってでもこの宝石を手に入れようとしたという話もある。
オーストラリアという国名は、ローマ帝国の公用語であったラテン語に由来する。
テラ・オーストラリス・インコグニタ。
未知の南方大陸である。
西洋人がオーストラリアを見つけたのは17世紀であるから、当然、それまでオーストラリアというものは西洋の世界には存在しなかったのだが、南方に巨大な大陸があるという仮説はそれ以前に既に存在した。
それが、未知の南方大陸である。
この大陸が未知であったからこそ、オパールはその地位を保てたのかもしれない。
このクーパーペディでは、地中をダイナマイトで爆破すれば、簡単に見つかる宝石だからだ。
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