恋という狂気こそは、まさに

紘介が家に帰ったのは23時過ぎだった。

寝る支度を済ませて、布団に入る。


桐野さんのご高説を聞くのは少しだるさもあったが、帰りの電車の中で彼には一つの疑念が芽生えた。


言語は、人の言いたいことを絶対的に伝えられるものではない。


一条麗香を言語化すると---

美人、清楚、かわいい、色白、黒髪、ロングヘア、会社員、大卒、(考えたくはないが)既婚者…


紘介の知っている情報を押し並べるとこんなところか。


この単語を人に伝えたとして、その人の頭の中に、紘介の頭の中と同じ一条麗香を思い浮かばせることはできないだろう。


数日前の彼の妄想では、未来の技術で麗香のコピーを創り出すには、現在の彼女を保存する必要があった。


言語というのは、広範に使われている手段ではあるが、人間を保存するのには非力すぎる。

写真は彼女の一瞬の一面を保存することができるのに対して、言語では顔を思い出すこともできないだろう。


あんなにも美しく、魅力的な彼女の姿を、言語というツールでは伝えることができない。


彼女が天上界から舞い降りた、人間ではないもっと神聖なもの(たとえば、天使や神々)だったとしても、言語ではその神々しさを

伝えることができない。


プラトンの「洞窟の比喩」というものがある。


洞窟に住んでいる人々がいて、洞窟の奥に映し出される影を通してしか外の世界を見ることはできない。


外の真の世界(プラトンが言うところの「イデア」)を、影を通じてしか見れないので、影が実体だと思い込む。


言語で描かれた世界というのは、いわばこの影の世界だ。


直接見て、触れることのできない映像や録音、言語を通じては、一条麗香という人間を十分に捉えることができない。


もっとも、一人の人間を完全に理解するということ自体が不可能である。


そもそも、彼女を遠目に見る(運が良ければ話もする)程度の彼が、彼女について、どれだけのことを知り得るのか。

結婚前の姓すらも知らないのに。


紘介の中の彼女は、「理想の女性はこうであってほしい」というものが、多分に投影されたもので、彼が彼女を知っていくにつれ、その期待は裏切られるかもしれない。


男には二つのタイプがある。一つは、自分の理想の女性に限りなく近い女性を探し求めるタイプ。二つめは、数多くの女性を通じて、自分の知らない世界を知っていくことに楽しみを見出せるタイプ。


紘介が前者なのは言うまでもない。


ラファエロ・サンティの絵画「アテナイの学堂」では、天を指すプラトンと、地上に手を向けるアリストテレスが描かれている。


紘介は麗香を見て、彼女を通じて、天を見ている。


酒を飲んだこともあり、この日、紘介が眠りにつくのにはあまり時間がかからなかった。


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