言語の土地の上に腰をすえ
紘介は会社のビルに到着し、エレベーターを待っていた。
昨日、ここで一条さんに話しかけられた。
また一条さんと一緒のエレベーターにならないかと、淡い期待を持ちつつ、そして落ち着かない気持ちを抑えながら待つ。
しかし、一条さんは来なかった。正確には、一条さんはすでにデスクに来ていた。
彼女は平時であれば、始業の15分前には席についている。
結局、その日、紘介が一条さんと話す機会はなかった。
とはいえ、一条さんは紘介のデスクの前を必然的に通らなければならないので、彼の視界には変わらず美しい彼女の姿が幾度か現れた。
そして、翌日も一条さんと話すことはないまま、仕事が終わった。
この日は、先日、桐野さんと約束した、飲みの日だった。
桐野さんは駅の近くに新しいバーがあるので、行ってみたいということだった。
待ち合わせた店に入ると、すでに桐野さんは席についていた。
「お疲れ。無事、今週も仕事を終えられたようで、何よりだね」
「いえ、来週に先延ばしにしてきただけですから」
桐谷さんは紘介が来るまで注文を待ってくれていた。
「マッカラン12年のロックをダブルで」
桐野さんはいつも通りスマートに注文し、紘介はビール(彼には銘柄はどうでも良かったので、安めのもの)を頼んだ。
「今はウヰスキーが安く飲めて、良い時代だ」
桐野さんはちょっとしたウヰスキー通であった。
「このマッカランという酒は、白州次郎が好きで、よく英国から輸入していたらしい。当時、これを個人で輸入するのに、いったいいくらかかったんだろうね」
桐野さんは
自分の世界に入り、長く話しすぎることがあり、たまに面倒なこともあるが、紘介は彼の蘊蓄話は嫌いではない。
「白州次郎って、結構前に関連本が本屋に並んでましたよね」
紘介はそれらの本を読んだわけではなかったが、話を合わせてみる。
「ああ、『従順ならざる唯一の日本人』のような彼の生き方は、10年ぐらい前に、人気を集めたんだ。
白州さんは、GHQの将校に『英語が上手ですね』と言われたときに、『君も勉強すればもう少し上手くなるよ』と返したんだ。
白州さんは英国に留学していたんで、アメリカ人よりも英国英語ができたってわけさ」
桐野さんの英国英語へのこだわりは、この白州次郎が関係しているのかもしれない。
「英語といえば、今週、私のメールアドレスに英語のメールが届いたんですよ。外国人の知り合いなんていないのに、不思議なんですよ」
紘介は思い出したかのように、そして、このまま長く続きそうなこの話題を変えるためにも、言ってみた。
「それはきっと、アメリカからだろ?おおかた、うちの部の柴田さん辺りが、相手に有村の連絡先を勝手に教えたんだろう」
桐野さんのいる部は、社内の語学人材の精鋭揃いで、対外調整を行っているが、必ずしも調整能力に富んだ人たちではない。
そして、英語なんて最低限誰でもできると思っている人すらいる。
あるとき、紘介は英語の文書を読んで、内容を教えてほしいと依頼したことがある。
相手は、「最低でも高校までは英語を勉強しているんだから、自分で読んでください」と、冷たい返答だった。
そのとき、紘介は若干のいらつきや、自分の無力さを感じるとともに、「もしこれが、電子データだったら、コピペしてオンライン翻訳できるのだけど」と考えた。
AIがこのまま成長を続ければ、あと数年で英語の勉強はいらなくなると、紘介は考えていた。
「断りもなく、外国人に紹介なんてされたら困りますよ。
まあ、今はAIが翻訳してくれるので、そのうち、外国人とのやり取りも日本人と変わらないようになってくるかもしれませんけどね」
すると、桐野さんは間髪入れず、
「それはどうかね。AIが英語を完全に訳せるような時代には、大半の仕事がなくなって、働かなくても生きていけるようになってるよ」
と返してきた。
「でも、ネットの世界では、英語の勉強はいらなくなるから、今からやるのは無駄っていう意見も多いですよ。
英語を使って働いている人たちにはあまり認められないかもしれませんが」
「では、聞くけど、プロの通訳や翻訳者は、英語を完璧に日本語に訳していると思うか?」
「完璧に」という言葉にひっかかりながら、紘介は答える。
「完璧かどうかはわかりませんが、相手の言いたいことは日本語にできているんじゃないですか」
「そうだね。プロの通訳や翻訳者は、90%ぐらいは忠実に、英語の表現のまま訳しているかもしれない。
でも、英語の表現をそのままに訳すというのは、必ずしも良いことではないんだよ」
「どういうことですか?」
「英語を、そのまま日本語に訳してしまうと、日本人は理解できないことが、多々あるもんだ。
言語の背景には、その国の文化や暗黙の前提知識があるからね。
プロの通訳者や翻訳者は、外国人の言葉を咀嚼して、日本人がわかるように説明しているのさ。
それは、彼らの知識や経験、判断力があるからできる技だ」
桐野さんは続ける。
「そもそも、英語を日本語に訳すというのは、構造的に不可能なんだよ」
ますます意味がわからないが、桐野さんはまだ話している。
「chinという英単語と、jawという単語がある。これは両方とも、日本語では『あご』と訳すものだ。
でも、この2つは本来は違う日本語で訳されなければならない。
chinはあごの先っぽだけ、jawはもう少し上まで含めたあごのことを指すんだからね。
日本語にはこうした区別がないから、同じ単語で訳すことになる。
その結果、外国人のイメージするものと、翻訳を聞いた日本人がイメージするものは違うものになるんだ。
こうした例は、いくらでもあるが、プロの通訳者や翻訳者はできるだけ、イメージの齟齬が少なくなるように言葉を補ってくれる」
桐野さんの言い分はこうだ。
そもそも、日本語には西洋の言語のような抽象度の高い単語はあまりなかった。
文明開化で西洋文化を進んで取り入れた明治時代に、福沢諭吉や西周などの学者が、ヨーロッパ言語の翻訳語として、多数の日本語を作り出した(その一部は中国にも逆輸入されている)。
そのとき、全ての英単語と一対一対応する日本語は作り出されなかった。
もっとも、ヨーロッパ言語の間ですら、各言語の単語は一対一対応していないので、それは至極自然なことだ。
また、フランス語やスペイン語のようなロマンス語と、英語やドイツ語のようなゲルマン語、ロシア語のようなスラブ語の間には大きな溝があり、同じ語派の言語は類似性が高い。
さて、明治時代に膨大な数の日本語が作り出された、その中で淘汰されなかったものを今日の僕たちが使っている。
もともと、全ての単語が日本語訳されたわけでないことに加えて、英語で使われる言葉も時代を経て少しずつ変わっていった。
そこで、日本語で表現できない英語がたくさん使われるようになった。
日本語にない概念を、どれだけ日本語で説明しようと試みても、理解はできないだろう。
ここで便利なのがカタカナ語だ。
innovationという単語を、そのニュアンスを完全に失わずに日本語にするには、「イノベーション」と書くしかない。
しかし、カタカナ語は多用できない。
「我が社のコアコンピタンスについてブレストしたが、コンセンサスが取れない」など、何を言っているのか即座に理解できなくなる。
そして、それが日本語のしてカタカナを多用しすぎかどうか、どれをカタカナにするかという判断は人間の経験が成せる技である。
今日の話はひどく長かったが、何となく理解はできるものだった。
「ただ、言語というのは難しくて、外国人相手じゃなくても、上手く伝わらないものだね」
桐野さんはダブルのウヰスキーを3杯飲み干していた。
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