12. 未来へのチケット


「海野、あの帳簿どうなってる?」

「今、入力中です。少々お待ちを」


 係長に言われて焦って伝票の入力を進める。いつものことだ。そう、いつもの業務。つまり日常だ。



 あれから三日が過ぎた。


 時々廊下で相田さんを見かけることはあったけれど、彼女はこちらに気付くと、そそくさと去ってしまうので何も話せず仕舞い。それ以外、全くもって接点が無い。無いったら無い。


 あー、僕はこれからずっと気まずい思いを抱きながら、この世界で生きて行くのだろうか?帰ることも出来ず、こちらで掴めそうだった幸せも逃し……。


 多少良いこともあった。僕の部屋が見つかった。

 庶務課に無理を言って応募した履歴書を見せて貰ったのだ。それで住所が分かった。

 なんのことはない、前に住んでいた住所だった。引っ越していなかったのだ。この世界では。


 部屋の鍵は何故か忽然と会社の引き出しの中に見つかった。世界の配慮、調整と言うやつだろうか?なんとなく辻褄が合っている状態。確かにここにあっても不思議ではない。


 自分の部屋に行くと、見慣れた家具や家電製品があった。昔近所の大型家電店で買ったものだ。一つ二つは迷った末に捨てたはずだったが、ここにはあった。


 そしてお金もあった。ちょうど消えた分ぐらいの金額。同じものかどうかは分からない。お札の番号など覚えてはいないし、硬貨も特殊なやつ、ギザ十とかなら、分かる人は分かるのかもしれないが、あいにく僕はそう言うのに頓着しない性格なので分からない。


 そうそう、海パンは一応買った。傘は勿論売っていなかったのでしょうがない。ちなみにまだ履いていない。まだ雨は降っていないのだ。

 上に何か羽織るぐらいは許されると思うので、海パンの上にビニールか化繊の何かを羽織って出勤しようと思っている。


 そんな日常なのか非日常なのか、分からなくなりかけていたある日のこと。会社の廊下で時田が声をかけて来た。


「三太ちゃーん!」


 にこやかな表情。特に理由も無く、こう言う表情でヤツがやって来る場合は、頼みごとがある場合が多い。案の定そうだった。


「チケット買わない?」

「何の?」

「ディスティニーランド!」


 ディスティニーランドとは、この近郊にあるカップルに人気の場所だ。もちろん人気のアトラクション目当てに行く人もいるが、それもほとんどは女性だ。男性の僕にはあまり用が無い。もちろん時田もそのはずなので、多分誰かを誘う口実に買ったのだろう。


「どうしたのそれ?」

「いや、ちょっとアテが外れてさ。これ期限があるんだよ」

「高そうだし、特に用事が無いんだけど?」

「まーたまた、最近モテモテみたいじゃないっすかー」

「別にモテてないけど?」


 眉をしかめて時田を見る。時田は意外そうな「あれ?」とした表情だ。

 時田は僕に近寄り、こう耳打ちした。


「……相田ちゃんは?どうなってんのさ?」

「どうもなってないよ」

 僕は不機嫌にそう答えた。

「へ?じゃあ、あのオカルト女史っていうか女子?あっちにしたの?お前、ああいうの趣味?ロ、ロ……ロータリーだっけ?回るの?回転?そういうの?」

 ヤツの知識と語彙の無さは筋金入りである。もちろんスルーする。

「違うよ。そっちも、そう言うのじゃないし」

「……んー?となると、どなたにもおモテになっていらっしゃらない?モテ期終了?早いなー」


 ムカついたので、見栄を張ることにした。終わった可能性は否定できないけれども!


「べ、別に終わってないとは思うけど!」

「……良く分からないんですけど?……お兄さんに詳しく話してみ?」

「……」


 僕は時田にこの間あったことを話した。あの夜に電話した後、自分の物が消えていったこと。会社に来たこと。オカ先輩宅に行くことになった理由。式神の召喚。そして次の朝に相田さんにバッタリ出会ってしまったこと。

 理解するかどうかは謎だったが全部話した。おおむね彼なりに理解したらしい。


「……うん、だいたい事情は飲み込めた。つまり、二人と修羅場ったと?三太ちゃん可愛い顔してフタマタですか。やるねー」


 そういうことになるんだろうか?そんな自覚は無かったのだが。

「異論はあるけど、うっかり先輩宅に泊まって相田さんにバレたのは確か。理由はもちろんあるけどさ!……だから……今はそう言う訳。チケットは必要じゃない」


「……ふーむ……つまり……んー……となると……」

 時田は何か考えている。

「一応聞いとくけど、お前、相田ちゃんのこと好き?」

「な、何聞いて来るんだよ!」

「ん、なるほど。分かった。俺、ちょっとアテに当たってみるわ」

「え?」

「チケット必要になったらヨロシクな!絶対買えよ?」


 そう言って時田は去って行った。



「お先失礼します!」


 時刻は午後7時。その日の業務が終わり、帰ろうと一階へ降りて行くと、出入り口に人影が立っているのが見えた。相田さんだった。


 相田さんは何も言わず、上目遣いで会釈した。警戒した感じだ。ああ、やっぱり嫌われているのだろうか。


「どうも……」

 つい愛想笑いをしながら話しかけてしまった。僕ってやつは!


「……あの……ちょっとお話いいですか?」

 彼女はそう切り出した。

「は、はい……」

「そうですね……」

 彼女は辺りを見回した。

「ここでは何なので、近くの公園まで行きましょうか?」

「……はい」


 西東雲にししののめ公園。会社から歩いて5分の場所にある。30メーター四方程の小さな近所の子供が遊ぶような公園——僕たちはそこへ向かって歩いた。


 公園の中へ入って見回す。中央に円形の芝生と植え込み。その周りを道が丸く囲んでいて、ベンチがいくつか道に沿って置いてある。右側には砂場や象の滑り台。さらにその奥にはブランコが見えた。街灯がベンチのところにあって、辺りを明るく照らし出している。


 彼女は入ってすぐ右近くのベンチまで歩き、そこへ座った。

「どうぞ、隣へ」

 相田ちゃんうながされるまま、彼女の隣りにそっと座る。

 本来、公園のベンチに可愛い女の子と座るなんてご褒美もいいところなんだが、この状況は大変気まずい……。


 彼女はこう喋り始めた。

「ナベチー……いえ、鍋島さんって言うんですけれど、彼女から聞きました。社内チャットで」

 ナベチー?鍋島さん?聞いたことがあるような……誰だっけ?

「すいません……僕、その人よく知らないんですが」

「ナベチーは会社にいる私と仲の良い女の子で、チャットでも良く話していて」

 チャット……ああ、そうだ!時田が言ってたような気がする。ナベチー。チャットで話してるって。相田さんも知り合い?


「……岡本さんに……式神って言うんでしたっけ?そういうのよく分からないんですが、それをあの夜に貰ったと言うか、付けられたって聞きました」

「ええ」

「何というか、まるで信じられない話なので……」

「ですよね……」

「でも、それが必要だから彼女の家に行ったんですよね?」

 彼女がそっと僕の顔を覗き込む。

「そ、そうです!」

「……証明できますか?」

「証明……?」

「証拠を見せて貰えるなら、私、信じられるかもしれません」


 そうか、式神を彼女に見せれば行った理由は明確になる。

 式神を見せることが出来るかどうかと言われると、確かに出来る。呼び出す方法は聞いてある。本人から。

 しかし、むやみに呼び出していいものだろうか?しかも、あの呪文とポーズを?ここで?相田さんの前で?

 それに、相田さんは常識人のように見える。あれを見せて大丈夫だろうか?


「出来ないんですか?」

 彼女がこちらを見つめる。

 ここは証明のためにケイ子ちゃんを呼び出してみるしか無いか……。

「分かりました。出来るかどうかちょっと不安なんですけど、やってみます。でも……」

「?」


 僕はベンチから立ち上がり、数歩歩いて彼女の方を向いた。

「いいですか、絶対笑わないで下さいよ」


 僕は足を開いて仁王立ちになり、右手を真っ直ぐ空の方へと上げた。



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