11. 誤解
「起きろー。会社始まるぞ?」
「ふへっ?」
頬がツンツンされる感覚で目を覚ました。目の前にあったのはオカ先輩の顔。眠そうな半目でこっちを見ている。
「うーん……」
伸びをして、周りを見て状況を思い出した。傾いた赤い鳥居、這い回るうねるケーブル、謎の電子機器の数々。埃っぽい空間。
ああ、そうか、オカ先輩のガレージか。ここで寝たんだっけ。
壁にかかった時計を見た。八時十九分。
「わあー、時間無いじゃないですか……」
「だから起こした。すぐ出るから、顔は会社で洗え」
「は、はいー」
先輩がイグニションキーをバイクに向けると同時に起動音が鳴り、バイクが目覚めた。
更にシャッターに向けると、ガレージのシャッターが自動でするすると開いていく。
外には芝生と鉄製の門が見えた。もしや先輩、お金持ち?
「後ろ掴まりますよ?」
「……いいけど」
オカ先輩が自分の腰回りを気にしている。
「……もう、慣れたし!大丈夫!乗れ!時間が無い!」
オカ先輩と僕はバイクに跨がった。
彼女がアクセルを捻ると同時にバイクが動き、僕は彼女の腰にしがみついた。
「あぅふっ!」
バイクはやはり先輩の妙な声と共に加速した。
そして何とか無事に意識を失うこともなく会社まで辿り着いた。やはり、式神が効いているのか……。僕は不思議な面もちで左腕にはまる腕輪を見つめた。
先輩はバイクを近所の空き地の駐車場の隙間的な場所に置いた。近所の店主と知り合いで置かせて貰っているらしい。
ここからだと会社まで5分と言ったところか。僕らは小走りで進んだ。
「まさかと思いますが、こういう状況で相田さんに会っちゃったりしたら、僕マズいんじゃ?」
「大丈夫、そんな確率無い無い」
「……別れて別ルートで行きましょう!」
「……いいけど……」
不満そうな顔で見つめられた。こういう表情に僕は弱い。
「とっとと行きますよ!」
彼女の手を引っ張った。
「えへへー」
この人は小悪魔的成分が多分に入っている。いやむしろ悪魔か?
「せめて裏通りの路地行きましょう。滅多に人に会いませんし!」
「しょうがないなー」
民家の並ぶ裏路地を二人で行く。家の前に鉢植えや金魚鉢が並ぶ幅2メーターぐらいの生活道路だ。家々の並ぶ向こうの空には高層ビルが霞んでいる。
「それにサンプル君、出会ったら何がマズいのだ?」
「僕の存在が薄く……」
「それは式神が抑えてる。多分大丈夫だろう」
「……そうですね」
「そうじゃ無いだろう?アイダホと仲良くしたいんだろう?君は」
「そりゃ、そうですよ。憧れの人だったし」
「……前にも言ったが、アイダホ君が、君がここに来た原因である可能性が高い」
「はい」
「むしろ嫌われるべきじゃないか?前にいた世界に帰りたいのなら」
「帰りたいのは帰りたいんですが……相田さんとも仲良くしたいし……」
「優柔不断だなー、君。しかし、いつかは決断を迫られると思うぞ?」
「……分かってはいるんですが……」
会社のビルが見えてきた。ここまで来れば……と思ったその時。
目の前を一陣の爽やかな風がスーッと通り過ぎた。その通り過ぎた風はこちらを振り向き、僕の存在に気付くと、こう言葉を発した。
「あ、海野さん!今出社ですか?奇遇ですね!」
相田さんだった。
「あ、相田さん!」
「こんな所で会うなんて。電車通勤じゃありませんでしたっけ?そっちの方向だと逆……」
しまった。見ている。僕の後ろを見ている。後ろにいるのはもちろんオカ先輩。
そして、後ろから口笛が聞こえて来た。正確には口笛になっていないヒューヒューとした音だが。
見ると、オカ先輩が横を向き、口笛を吹いている。
先輩、口笛は止めて!それ、かえって誤解されそう!
「どうしてお二人は一緒なのですか?」
相田さんはにこやかに聞いてきた。
「いや、昨日色々ありまして!お金が足りないとか、泊まるところが無いとか……あっ!」
「泊まるところが……無かった?」
相田さんの眉がピクッと動いた。
「いやあの、僕が危機的状況になりまして、どうしても行かないといけない状況に……それで……」
「それで……どこ行ったんです?」
鋭い目がこちらを見る。
「行きましたけど……でも何もありません!何も無かったです!」
「へーえ……」
まずい、大変まずい。先輩、後ろで口笛するのはやめて。
「昨日も妙にいいタイミングで岡本さんが来たと思ったら……そういうことなんですか?」
相田さんの目がウルウルし始めている。まずい。
「違います!誤解です!ややこしい話ですけど、ちゃんと説明しますから!」
「興味ありませんから!」
「いや、そうじゃなくて!僕の話を聞いて下さい!」
「あたし、三太さんのこと何とも思ってませんから!」
彼女は行ってしまった。
「ああ……」
「行ってしまったな……」
「先輩……ああ言う時はフォローして下さいよ」
「だってなぁ……」
「このまま嫌われてしまえば、簡単に帰れるかも知れないぞ?」
「……そうですけど」
「君、元の世界に帰りたいのか?それとも?」
「……帰りたくはありますが……」
「別にこの世界に居てもいいんじゃないか?帰る理由があるのか?」
「理由……理由ですか……元いた世界だし、あちらが本来の僕の世界ですし……」
「あまり理由になっていない気もするが?単に今までの生活を続けたい、恒常性の維持ってやつなんじゃ?」
「……分かりません……」
結局、僕らは遅刻になった。でもそれは些細なことで、そんなことより問題は相田さんのことと、帰ることと……いったい僕はどうすれば……あああ……。
そんなことを考えていたら、心の中から声が聞こえてきた。
(お主、元の世界へ帰りたいのか?)
(ああ、式神さん……ええと……)
(ケイ子ちゃんじゃ)
(帰るかどうか悩んでます。帰れるかどうかってのも勿論あるんですけれど)
(元の世界に何か楽しげなことでもあったか?)
(いえ、特には何も)
(未練とか?)
(いえ)
(じゃあ、いらぬじゃろ?)
(でも今までいた世界ですし……本来いるべき世界だと思いますし)
(いるべき?わしにはよー分からぬな。好きにすればいい)
(でも……)
(ふわぁ……まだ眠い……わしゃ寝る……)
それっきり声は聞こえなくなった。多分昨日聞いた合い言葉とポーズで呼び出すことは出来るんだろうけれど。そこまでして呼ぶ程でもない。
僕はその後も、同じようなことを何度も繰り返し考えたが、やはり結論は出なかった。
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