十一譚ノ壱 五徳の錆

 当初、師の住居に強盗が入った旨の書簡を貰った時は驚いた。

 朝起きて投函箱を明けてチェックを入れるだけの単純作業に、そんな驚きが投函されているとは思わなんだ。

 私は心臓が跳ね上がる程驚きを隠せなかったが、四月一日に関しては、まあ、と一言漏らしただけでそれ以上は期待出来ない。

 兎も角書簡を受け取った以上は師匠を訪れなければならないので、身支度も程々に足を向ける。


 師匠の住居に着けば、普段は開いている玄関の鍵が閉まっていた。

 仕方の無しに裏口に回ると、師は縁側で茶を飲みつつ紫陽花を観賞をしている。

 師は私達を認め、縁側の床を叩いた。

 横に来い、と言う手合図である。

 私は師匠の左を、四月一日は右に座った。

 両手に花、とは言わないが、昔からこうしてきたので抵抗はない。

「春秋師範、御無沙汰しております」

「で、私達は何すれば良いの? わざわざ呼ぶ位なら自分で何とか出来ない事だよね」

 師匠は大方の揉め事は自分で解決出来るので、他人を呼ぶ事はまず無いと言っていいのだ。

 よっぽどの事態を想像して唾を飲み込む。

「包み隠さず言おう。盗人が盗って行ったのは、儂の本体──つまり五徳じゃ」

 予想以上の事件に言葉も出なくなった。

「それって……!」

 四月一日が珍しく慌てふためき、私は声も出せず口を鯉みたいに開けっ放しでいた。

 本来付喪神である師匠は、道具が遠方にあればある程弱くなってしまう。

 そして消滅してしまえば──

「余計な心配事は考えるでない。兎に角お前達、儂の言いたい事は判っているな?」

「勿論」

「勿論ですとも」

 言って首肯すると、心なしか安堵している様に見えた。

 師匠がこれから命じる事は、五徳の捜索手伝いだろう。

 自分から行動した方が早いのだが、情報が無いから私達に任せる心算だ。

 何しろ師匠はこれから何が起きるか予想もつかない老体だ。迂闊に動いて疲弊させる訳にも行くまい。


 私達は情報収集だ。

 兎に角量を集めて報告し、一刻も早く五徳を取り返す。

「まず状況を整理するわよ」

「おっけー」

 四月一日の指示の下、犯人の昨日の足跡を辿る。

 昨日は雨で、夜が更けるとざあざあ降りになっていた。

 雷も鳴っていた為、恐らく盗人は野外の音に紛れて窓を割り、そこから侵入したらしい。

 渡り廊下の硝子障子が一枚、粉々にされていた。

「五徳を骨董品か何かと思ったのかな」

「そうね。部屋にあった数少ない金品も失くなっている事だし」

「お前ら遠回しに莫迦にしてるか?」

「「いいえ?」」

 呆れた様に息を吐く師匠は眉間を揉んだ。

「……あれに価値は無い。ニンゲンは矢張価値なぞ知らん」

「知らないなら知らないで、そこに無理矢理付加価値をつけたがるしねえ」

 師匠の部屋は荒らされており、箪笥や戸棚、飾り棚に安置されていた金品等が失せている。

 安物の時計、帯留め、錆の入った簪、そして桐箱に収められていた五徳。

 師匠に言わせれば価値の無いモノばかりだ。

 勿論私にも価値があるモノとは思えない。

 犯人はそれらを持ち出して逃走、流通にのっていない事から、未だ何処かに保管されてあるだろう。

 師匠はけだるそうに柱にもたれ掛かり、庭を静かに眺めていた。

「では外に足を伸ばしてみますので、師範はお休みください」

「そうだよー」

「鉄穴が言うと寝たきり老爺の様に聞こえるのじゃが」

「気のせいでしょ」


          *


「それで店に来たのですか……」

「そう。此処なら彼岸此岸問わず不特定多数が集まるからさ」

「情報収集が捗るのではないか、と言う訳ですね」

 糸猫庵ならもしや、と考えたが。

「判りました。店でも情報提供を呼び掛けてみましょう」

「ありがとうございます」

「いや~本当にありがとね」

 二人揃って礼を言い、用件は済ませたので踵を返したその時。

「ただし、十分な情報量が集まるまでは店で積極的に食事をしていただきます」

 そう言うと、揃った目を細めて口角を上げるのだった。

 時刻は丁度昼時で、財布も所持していたのでそのまま昼食を摂る事にした。

 折角なので窓際の席を陣取る。

 しかし空は今にも泣き出しそうだ。

 品書を開くと、季節の移りと共に一新されたと言う、手書きで料理の数々が綴られている。

 何の気なしに視線をさ迷わせている内、ふと視界の端に冷やし中華の文字を捉えた。

「ねえ、これ美味しそうじゃない?」

「あら、冷やし中華……もうそんな季節なのね」

「更衣の時期だねえ」

「夏物も出してないけれど、雨が降れば寒くなるわ。まだ良いわよ」

「あ、そっか。取り敢えずこれで注文しちゃうけどいい?」

 尋ねると、四月一日は黙って首肯する。

 二人分注文して読書をしつつ待機。

 程無くして皿が運ばれ、卓上に花が咲いた様になった。

 胡瓜、錦糸卵、人参、鶏肉が鮮やかに配置され、その下から透明度の高い春雨が覗いている。

 春雨の冷やし中華は初めて目にした。

 具材と一緒に口へ運ぶと、出汁醤油の香りがいっぱいに広がった。

 野菜は甘く、味気ない春雨とよく合う。

 麦茶に手を伸ばして一度リセットしながら食べると飽きない。

 半分程食べたら、胡麻と刻み海苔で味を変える。

 四月一日は胡麻油と青海苔で変えていたので一口貰い、こちらも一口あげる。

 やっぱり胡麻は最強なのだと相場が決まっているのだ。

 うまい。

「ご馳走さま~!」

「ご馳走様でした」

 合掌して声高らかに言えば、糸が皿を回収に来てくれるのでそのついでに礼を言う。

「こちらこそ、食べていただいてありがとうございます」

 両目が揃った事で判り易くなった表情は、安い造りモノの笑顔が貼り付いていた。

 しかし糸も元来猫と言うだけあって尾があるので、それに目をやれば機嫌は一目瞭然だった。

 糸が皿を洗う間に、私と四月一日との間で議論が始まる。

「取り敢えず……ここを中心に動く?」

「そうね。出来るだけ広域にしたい所だけど、暫くここからスタートになるわ。もっと範囲を広げたければ、私達の家や、師範の家も含めましょう」

 そう言って二人で納得したら、また次の問題だ。

「「師匠が動けない間の世話をどうするか」」

「やっぱり?」

「そうなるわよ」

「あの……」

 不意に、視界外から聞き慣れた声が降る。

 声に振り向けば、糸が私達を見下ろす様にして立っていた。

「春秋さんは今どれ程動けないのですか?」

 見れば、目に不安の色が通り過ぎていた。

「今は日常生活に支障無いけれど、これからどうなるか判らないのよ」

「現に、今も師匠から五徳は遠ざかっているかも知れないからねえ」

 現状を簡潔に説明すると、成る程、と一言だけ残して踵を返した。

 何がしたかったのか判らないまま議論は進む。

 仕事の都合、悪化した場合の対処、最悪の展開。

 案が出て、消えて、推敲して、決定せず。

 徒労にも思える会話が繰り返され、お互いに意見も尽きてきたその時だった。

「春秋さんなら私にお任せくださいませんか?」

「え?」

 突然の提案に驚いたが、そんな私とは対照的に、四月一日は好機と見て話に食らい付いている。

 糸が言うには、所用で長期休業を取る予定になっていたらしく、それを少しずらす事で問題を解決出来るのでは、と言う。

「馬鹿さんに働き過ぎだと言われて渋々調整していたのですが……まさかこんな形で役に立つとは思いもしませんでしたよ」

 確かに働き過ぎはどうかと思うが、これで私達は情報収集に専念出来る。

 是非とも任せたい。

「どうする? 四月一日」

「……そうね、まず師範に連絡、相談してからよ。電話をお借りしても宜しいかしら? 無ければ電報でも結構よ」

「只今電話機が修理中でして、電報ならお貸しいただけます」

「ありがとう」

 そう言って四月一日は早速電報を打った。


          *


 予定をずらした早めの休みは、予想外にもまた別の予定が入る事となった。

 自分の身勝手だが、春秋さんが危険一歩手前の様な状態だと聞いたので、体が勝手に動いた。

 その間手鞠を放る訳にも行かないので、手鞠も籠に入れて同伴する。

「そんな訳でお邪魔します」

「双眸が揃ってから少し図太くなったか糸さんや」

「そうですか?」

「言ってる場合じゃないでしょう! 大人しく世話されなさいよ」

「あっこら手鞠」

 漫談の様な会話に、春秋さんは口許を押さえ上品に笑った。

「ふははっ。いや、それよりも不出来な弟子が迷惑をかけた。あいつらに一任した儂にも非があるな。これは世話を受けない理屈もない」

 いい終えると、春秋さんは一つ咳をする。

 確かにまだ日常生活に支障は無さそうだが、不安がよぎる。

 手鞠の籠を棚に置かせてもらい、暫くの間籠から出す許可もいただいた。

 それから勝手を自由に使っても良いとの事と、私が寝泊まりする用に客室の鍵を手渡された。

「何です? これ」

「糸猫庵からこんな山中まで通うのも面倒じゃろうて。それに何より、弟子達が五月蝿いでな」

「はあ……」

 乾いた咳混じりに苦笑して、私の手に銀の鍵を握らせる。


 夕方になる前に、四人分の食事を用意しなければいけない。

 年代物の冷蔵庫を覗くと、申し訳程度の野菜などその他諸々一人分の食材が入っている

 床下収納には米櫃があり、三升はありそうだ。

 兎にも角にも、まずは米を炊く。

 炊飯釜に米を二合入れ、とぎ汁を少し残して火に掛けた。

 冷蔵庫から食材を使うとしても足りないので、米を炊いている間に買い物へ行こう。

「春秋さん、これから買い物に行こうと思うんですけ……ど」

 慌ただしく勝手から出た所で、私の目的は既に達成されていた。

「ん? ああ、買い物なら儂が行って来たぞ」

 そう言って春秋さんは手に提げた買い物籠を見せる。

「あぁああ…………」

 出来るだけ春秋さんを働かせたくなかったのに。

 礼を言って食材の入った籠を覗く。

 油揚、あさり、大根、白菜、人参、真鯵。

 使い勝手の良い野菜と、季節の魚。

 今春秋さんは風邪気味だから、体の温まるものにしましょう。

 真鯵は二枚におろす。

 醤油と味醂、砂糖、味噌を少々、それとおろし生姜を混ぜ合わせたものに、小麦粉をまぶした真鯵をつける。

 フライパンで焼いたら、刻み生姜を添えて一品完成。

 鍋に水と、銀杏切りの人参を入れて火にかける。

 沸騰するまでの間に白菜を短冊切りに、大根をおろした。

 沸騰したら白菜を入れて二分。

 大根おろしを入れた後味噌を溶かし、みぞれ汁の完成。

 夕餉を作り終えた頃には空が曇り始めていて、一雨降りそうだ。

 今夜は月が見えない。

「春秋さん、夕餉が出来たのでお持ちしましょうか?」

 居間に向かうと、春秋さんは縁側の障子を開け放って紫陽花を観賞していた。

 緩慢にこちらを振り向き、一つ咳をして重たそうに腰をあげる。

「いいや、動ける内は自分で配膳しよう」

「そうですか……」

 勝手に足を向け、手際よく皿に盛り付けていく。

 鉄穴さん達の帰って来る時間帯を把握しているらしく、四膳用意していた。

 その内に雨が降りだし、小雨だったのが本降りになった。

「ただーいまー!」

「今戻りました」

 玄関から二人分の声が響き、彼女達が帰宅した事を知らせる。

「糸さん、すまんが少し任せてもいいかね。どうせあいつらの事、傘も持たずに出掛けたろうからの」

「はい。お任せください」

 とは言っても、既に完成した盆を居間に持って行くだけだ。

 そして春秋さんは手拭を持って玄関に向かった。


 暫くして、衣服が濡れたらしく浴衣に着替えた二人と春秋さんとが居間に集合し、夕餉の時間が始まる。

「いただきます」

「いただきます!」

「鉄穴、行儀が悪いのは多少改善されんのか」

「えー」

 常々思っている事だが、春秋さんは作法に厳しい。ふとした動作も見落とさない。

 以前酔った拍子にこぼしていたが、せめて弟子を完成に近づけて人間の世界に送り出したい、との事だった。

 ふと見ると、店で見る勢いが無い。

 それは二人共気付いているらしく、目が暗かった。

「師匠、今日の成果はね」

「食事中に余計な話はするでない」

 言い掛けた言葉は無理矢理押さえつけられてしまう。

「そっか。そうだよね」

 お互いに何も言い出せないまま夕方が過ぎた。

 皿を片付け、夜も更けて来た頃には雨も止んだ。

 しかし厚い雲がまだ居座っていて、矢張月は顔を見せそうにない。

 そんな中春秋さんは、肌寒い風が吹き込んで来るにも関わらず縁側を開け放って茫然としている。

 特に何を花を愛でる訳でもなく、空模様に憂いを感じるでもなく、ただそこに居るだけだ。

「春秋さん、冷えますよ」

「ん、ああすまんな」

 普段から暇潰し程度に吸う煙管も手許に無い。

 私を見る目も、何処も見ていなかった。

 側に畳んであった半纏を肩にかけ、何となく隣に正座する。

 すると、懐から敷島を取り出して私にくれた。

「吸うか?」

 最初は驚いたが、吸えない事は無いので手に取る。

「頂戴します」

 火をつけると、春秋さんは口角を上げた。

 口に咥えて煙を吸い込む。

「湿気てますね。何十年ものですかこれ」

「そう言う季節だ」

「なら仕方ないですか」

 湿気た敷島を一度口から外した。

「ところで……わざわざ引き留めるからには、何かあるんですね?」

 切り込む様な言葉にも、春秋さんは揺るがない。

 ああ、とだけ言って話始める。

「儂は神の名を冠しながら、肉の器を持つ。故に現世に留まるにも限りがある。依り代である肉体が滅びれば死、本体──則ち儂の場合あの五徳。それが滅びればまた死」

 ああそうか。

 私達は現世に器が無くなれば概念に戻り、魂は黄泉へと行く。

 だが春秋さんの場所は違う。

 神である以上、同じ場所へは辿り着けない。

 そして春秋さんは恐らくもう──

「儂は……そろそろ迎えが来る程度には永生きした。特にこれと言って残った悔いも無い。今回の事件は偶然だったが、盗人に五徳を破棄してもらえば一番良いと思っておる」

「そう、ですか……」

 湿気た敷島は灰皿で火が消えかけている。

 神は月に行へ、私達は地の下へ行く。

「人間の風習に習った遺書が、手鞠殿の籠の下に置いてある。許可はもらった」

「はい」

「儂はどの道どうにもならん。弟子に遺書を見せれば、忠実に遂行してくれるじゃろう」

「拝見しても?」

「いいぞ」

「では、後で……」

 そして、ああ、とだけ言って会話は終わってしまった。

「儂はもう寝るでな」

 敷島を吸い終わった頃、春秋さんは自室に引き上げる。

「お休みなさい」

 私は春秋さんが部屋に戻るのを待ち、手鞠の籠を調べて件の遺書を手に取った。


 拝啓

 鉄穴殿、四月一日殿。

 私、五徳猫春秋が死亡した際に以下の財産を両名に託します。

 ・所有の土地

 ・住居

 ・家具

 ・金子四十万円

 以上を受け取った後は自由にして良い。

 それからこの書面は破棄しない事。


 ただ、それだけだ。

 簡潔に必要な事項だけ。

 正に春秋さんを体現した様な、掴み所の無い様で解り易い、十行の手紙だった。

 鉄穴さん達が読んだら、どんな反応を示すだろう。


          *


 師匠の五徳が行方不明になってから、丸二十四時間経過してしまった。

「鉄穴、匂いで犯人を特定するとか出来ないかしら」

「いやいくら狐がイヌ科だとしてもさあ……」

 雨上がりの二段坂には、無数の足跡が広がっている。

「この中から捜せっての?」

「無理ね」

 ニンゲンの足跡、つまり痕跡を見せる薬をばら蒔いたはいいものの、交雑が酷く、とても追える状態ではない。

「あの池鯉鮒から買った粉塵だから、品質に問題は無い筈なのよねえ……」

「やっぱ本人を示すモノを混ぜてから蒔いた方がよかったかね」

 私が使ったのは狗の骨を粉末にした薬で、一定時間目的の人物の足跡を炙り出すモノだ。

 珍品として知られていて、失せモノ捜索に使われる。

 捜したい本人の髪の毛や靴片方、爪なんかを一度袋に入れたまま突っ込むと、匂いを覚えてくれるのだが。

 私達には特にこれと言った遺留品も無かったので、師匠の家から、私達では有り得ない行き先の足跡を捜す。

 どうにか見分けながら進んでいるが、日が暮れそうだ。

 師匠は昨日から体調を崩していたし、今日に限っては、いつもの定刻起床の時間に起きて来なかった。

 過去にも体調を崩した事はあったが、それでも定刻起床は守られている。

 その記録が破られたのだ。

 不安は厚い雨雲の様に降り積もるばかりで。

 もう日が水平線に沈むかと言う時には薬の効果も薄れて、潮風に乗せられて大半はどこかに行ってしまったらしい。

 犯人らしき足跡を追ってはいるものの、これがそうかと問われれば、そうと答えられる自信は無い。

 その足跡は極度に靴裏が磨り減っている。

 靴を買う余裕も無いのか。

 しかし歩幅は大きい。

 恐らく働ける程度の大人が、わざわざ法を破る意味が判らない。

 進んで行くと、海沿いの寂れた狭い路地に行着いた。

 この辺りは潮風が強くて、人の家を建てるには向かない場所だ。

 コンクリート造りの壁沿いに足跡を辿ると、細い道に入り、ある扉に続いている。

 扉の鍵は壊れているらしく、無理矢理ガムテープで固定されたドアノブが頼りない。

「鉄穴」

「知ってる」

 足音を消して室内に侵入すると、薄闇の中、携帯端末の光に顔だけ照された女が、背中を曲げて行儀悪く座り込んでいた。

 部屋はゴミだらけで荒れている。

 その中には、明らかに盗品と判る高級時計や宝飾品も散らばっていた。

 そこに五徳は無かった。

 だが師匠の匂いが僅かに残っている。

 犯人はこいつだ。

 そして若しも。

 五徳は既に、破壊若しくは棄てられているとしたら。

 沸々と苛立ちが積っていく。

 私が断罪する等と言う高等な行為は出来ない。

 私に出来る事は、せいぜい女をひっぱたく程度だ。

 私は無遠慮に、土足で上がり込む。

 私を止めてくれなかった四月一日には感謝だ。

 音で気付いた女は、驚きはすれ激昂はしない。

「ッチ。ちょっとあんた──」

 私は言葉を紡がせずに胸倉をつかむ。

「この間盗んだ骨董品どこやったよ」

 確信を持って問うた。

「はあ? あんな中まで錆の入った、用途も判んない変なやつ? それなら燃えないゴミに出しちゃったわよ」

 必要な事は聞き出せたから、復讐のつもりで手荒に床へ投げ出した。

「ありがとう」

 部屋の外で四月一日が、何も言わずに待ってくれている。

 目を拭うと、静かに頭を撫でてくれた。

「よくやったわよ」

「うるさい」


 付近のゴミ捨て場を見つけ出し、最終的な収集場を割り出した。

 日が完全に落ちて夜になって、雨が降りだす。

 収集場のゴミ山に登り、比較的新しい上から崩していく。

 雨が冷たい。

 骨まで刺す様な冷たさに手が悴んだ。

「そっち、どーお?」

 感覚が麻痺して思わず叫んでしまう。

「見つからないわ!」

 感覚が麻痺しているのは向こうも同じらしい。

 同じ様に叫んで、雨にかき消されない様に。

 吐息さえ白くなり、髪の芯まで冷えた頃。

 漸く三日程前のゴミまで辿り着いた。

 ふとした角に指が当たるだけでも、とてつもない痛みを伴う。

 四月一日と二人で一点に集まり、非効率だと判っていても、少しでも暖を取りながら。

 指先に、ざらついた感覚が触れる。

 血滲んだ指先の痛みも忘れて必死にゴミを掻き出した。

 ざらついた金属質の輪。

「あった……」

「師範よ。師範だわ……」

 見つけ出したそれは、紛れもなく師匠の五徳だった。


          *


 手持ち無沙汰に手鞠を手に乗せていた春秋さんが、唐突に咳き込んだ。

 顔は見るからに青ざめており、限界が近い事実を示していた。

「春秋さん」

 駆け寄ると力なく笑い、床に手をつく。

「ははっ。何、爺の心配はしてくれるな」

「ですが」

「そうよ坊や。今は春秋さんが正しいわ」

 そうだとしても、受け入れ切れずに私は首を横に振る。

「嫌です。嫌ですよ……もう誰かを看取るなんて、見飽きました」

 歴代の飼い主も、こいさんも、果ては馬鹿までも看取りそうで。

 春秋さんはそれでも尚笑って、諭す様に話す。

「儂はもう行こう。己が人間から創造された模倣体や概念だとしても、時代を紡げた事実があるでな。十二分じゃあ」

 激しく咳き込むと、目を閉じ、雨にかき消される程静かに倒れ込む。

 まるで眠る様に。


          *


「鉄穴、早く帰るわよ」

「勿論!」

 雨が打ち付けるのも気にせず二人で走り抜ける。

 二段坂のを駆け上がり、山中の家まで。

 肩でした白い息は雨に打たれて消えた。

 夜が進むに連れ、次第に雨足は弱まって幾分か楽になってくる。

 師匠の家に到着する時には雨が止み、雲は薄れて月が顔を覗かせた。

 窓や縁側からはまだ光が見えている。

 今日は満月だった。

 心なしか五徳を持つ手も楽になる。

 玄関を勢いよく開け放ち、師匠の怒号が飛んで来る事を期待した。

 しかし扉が虚しく横に滑っただけで、師匠の出迎えの声は飛んで来ない。

 本体がこれ程近距離まで戻れば本調子に戻りそうなものだが。

「師匠?」

「師範、只今戻りました」

 呼んでも長い廊下に二人分の声がこだまするばかりだ。

 立ち止まっていても仕方ないので、師匠の部屋に向かう。

 どう足掻いても避けられなく感じる嫌な予感を殺して。

 師匠の部屋はまだ灯りがついている。

 普段なら既に寝ている時間にも関わらず。

 隣で感情を押し殺す四月一日は、悟った様な顔をしていた。

 襖を開けると、糸がこちらに背を向け黙って正座している。

「ねえ」

 呼ぶと、着物の裾から覗く長い猫の尾が、ゆらりと揺れた。

 こちらを振り向き、生気の無い顔をして私達を出迎えた。

「ああ、お帰りなさい。鉄穴さん、四月一日さん」

 見れば、糸は目の周りを赤く腫らしている。

「お二人共、まずはお風呂に入ってきてください。風邪をひきますよ」

「判ってるから」

 無理で押し通す糸を、わざわざ止めようとは思わない。

 お互いに何も言わない方が、きっと皆泣かないから。


          *


 人間を真似て行われた葬儀は、私達と糸だけで行われた。

 神を見送るなどおこがましいとは思うが、私達の気がすまない。

 気持ちの整理として、師匠の肉体を燃やして遺骨をにした。

 人間らしく喪服を着て、焼香も、教だって読んで見送る。

 依り代を焼き、細かくなった骨を広い集めて骨壷に保存した。

 暫くは師匠の自室に安置しておく。

 葬儀が終わった後、遺書も公開された。

 何故私達に直接ではなく、糸に託した意味は不明だが。


 茫然自失として何とか家に帰り、泥の様に眠る。

 一晩眠れば少しは気持ちの整理もつくだろうと思ったが、それ以前眠れない。

 夜が更けても目が冴えているので、水でも飲もうと勝手に行く。

 本を読んで暇を潰してみようか。

 居間の本棚から何か持って行こう。

 お気に入りのコップに水を汲んで、居間を通って部屋に戻ろうとした。

 しかし居間では電気が点いており、四月一日が先客として居る。

「四月一日も?」

「そうね。夜中の十二時からもう寝られないのよ」

「判る」

 それだけで話は終わってしまう。

 私もお邪魔して暫く机に対面していたが、不意に四月一日から切り出された。

「ねえ鉄穴」

「何?」

 読み掛けの小説を閉じて、薄暗い照明の中お互いに向き合う。

 緊張しているのか、四月一日は一つ大きく息を吸って吐いた。

「私、この家から出て行こうと思うの」


       ── * ──

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