七譚ノ壱 ニンゲンギライの仇討未遂

 車が走り去っていく音を、静かに聴いて居た。

 狐が二匹、道路に横たわり、車は走り去っていく。

 

 ──カシャッ。

「撮ーーった」

 愉しそうに、古い撮影機を手にした野干の娘──もとい、私の親友は、どうやら私を被写体に撮影した様だった。

 私が回想に浸って呆然としている隙に。

「消しなさい」

 私は少し躍起になって、そのポラロイドカメラを取り上げようと、腕を伸ばす。

 しかし白い手に撮影機は絡め取られて、鳥類の如く避けてしまった。

 この職業撮影者カメラマンは、隙在らば何でも被写体にする。

 それがどんなであれ。

 休日の今日は、鉄穴の暇潰しと称した、趣味に付き合う予定を入れた。

 私、四月一日わたぬき鉄穴かんなは、妖怪の身でありながら、人間界に職を見つけ衣食住を揃え、ニンゲンと共に苦楽を共にする、数少ない存在である。

 謂わば、裏切り者。

 私と鉄穴は職業撮影者として、出来るだけ寄り添って、離れない様にと居きて来た。

 私は二口女だ。

 鉄穴の様に、化術ばけじゅつを容易に使いこなせたら、と思い詰めることが幾度となくあった。

 ニンゲン社会は苦しく、重々しい。

 ならば私は、少しでも仲間を増やし、拠り所を作るまでだ。

 私の側では、鉄穴が惜し気を捨てて撮影機カメラのシャッターを切っている。

「何か収穫は?」

 この時季、植物などはあまり撮れない、と溢していたが、今日はどうなのだろう。

「んー……? まあ、それなりに」

 鉄穴は曖昧に茶を濁すが、私が見ている限り、良い写真は撮れていると思うのだ。

 ただ、鉄穴の機嫌でも悪いのか、はたまたプライドが赦さないのか、端正な眉間に皺を寄せては、再びシャッターを切っていく。

 その繰り返しだ。

 植物を軸とした鉄穴の風景写真に対し、私は退廃した、過去の栄光にすがった建築物が軸だ。

 ここ一帯の二段坂が広がる海沿いは、潮風が丁度良く、そんな建築物を無限に生産してくれるので、私にとっては、良物件なのだ。

 その恩恵に預かり、私の成果は上々である。

 その辺りの雑誌にでも売り付ける心算だ。

 撮影に飽きたらしい鉄穴が、撮影の為に地面に屈んだまま、こちらを見上げる。

「ねえ。この後どうする?」

 この後の行き先は決まっていない。

 私としては、さっさと帰って、写真館の機器を貸切状態にし、写真の現像でもしたい気分だ。

「そうね。糸猫庵にでも行きましょ。疲れたから、糖分でも摂取したいのよ」

 鉄穴がこれから行く先は、既に決定事項である。


 厳しい寒さが緩和し、冷たい硝子戸を開けるのも楽になった今日この頃は、石垣の上で梅の木が花を付けていた。

 店内では、火が入った火鉢が置かれていて暖かい。

「いらっしゃいませ。今日も随分と冷え込みますね」

「おっはよおー!」

「うっさい!」

 只でさえ響く洞窟の様な店内で、彼女のいつも通りの調子で叫ばれては堪らない。

 反射的に頭を叩くと、痛っ、と頭を押さえ、こちらを怨めしそうに見詰めている。

 私は鉄穴を置き去って先に席を取ると、鉄穴もそれに習ってついてくる。

 簡素な品書を流れる様に開き、鉄穴に差し出して見せた。

「今日も旨そうだねえ~。お姉さん何にするか悩んじゃう」

「早く決めてしまって。私は鉄穴と同じモノを注文するから」

「えぇ? 嫌だよ。色んなモノ頼んで共有したいし」

 私は鉄穴と同じモノを共有したいのよ。

 最終的に、同じモノを二つ、それから各々好きなモノを一つずつ、と合意に終わった。

 二人揃って鶯餅うぐいすもちを、私は椿餅、鉄穴は桜の練り切りをそれぞれ注文する。

 お茶も抹茶で揃えた。

 虚像に過ぎない造られた幻影の窓からは、まだ薄い日が射し込んでいる。

 お茶を待つ間、私は、今しがた撮影した写真の整理を始める。

 先日、さる雑誌編集者からの依頼を引き受けたのだ。

 私の出世が懸かるかもしれない仕事だ。失敗など傷がつく。

「四月一日、眉間に皺寄ってる」

「あら。……ごめんなさいね」

 同じく写真に目を通していた鉄穴に指摘され、眉間を揉んだ。

「お待たせしました。抹茶と和菓子です」

「ありがとう」

 薫る抹茶の匂いを堪能する。

 そして早速手をつけようとする鉄穴の手を叩く。

「痛い」

「いただきますも言わずに食べないの」

 言うと、悄気しょげた様な、今まで忘れていた様な表情で、いただきます、とそれだけ言って手をつけた。

 餡独特の甘さが広がり、抹茶で流し込むと、甘ったるい味が中和される。

 そのお蔭で幾らでも食べられる。

 因みに私は粒餡派だが、そこは糸猫庵の店主だ。客の好みを全て把握しきっているらしく、私のは粒餡、鉄穴は漉餡こしあんを使っている。

 甘さはかなり控目で、これは好き嫌いが別れるかもしれない。

 私は、小豆の風味を楽しむことが出来るので、これくらいの甘さが丁度良い。

 一方鉄穴はこれが苦手らしく、実に微妙な表情で食べている。

「ねえ四月一日」

「何よ急に」

 不意に尋ねて来た鉄穴は、何やら落ち着かない様子で、何か言いたげにしている。

 その視線の先には、角砂糖の入った陶器の壷が。

「抹茶にさ……砂糖って入れちゃ駄目?」

「そう言えば苦いのは苦手だったわね」

 変わらない、と思いながらも、許可を出してしまう。

 昔から甘いモノ好きなのは、本当に変わっていない、鉄穴の不変的価値だ。

 鉄穴は或る交通事故ロードキルによって両親を一度に失ってから、私と春秋ひととせ師範の下で保護され、暮らしていた。

 鉄穴の甘いモノ好きは、その頃からだった気もする。

 私の推測する原因は、鉄穴が何らかの理由で泣く度に、師範が砂糖菓子やら金平糖をあげていたから、の様に思う。

 しかし子供のまま成長してしまった部分もあるので、許可してくれる私に甘える口実、なのかも知れない。

 許可を得た鉄穴は、花浅葱はなあさぎ色の湯呑みに、角砂糖をほいほいと放っていく。

 本来は駄目とされる、抹茶への加糖。

 そんなニンゲンクサイ面を持つ私達は矢張、裏切り者に過ぎないのだ。


          *


 糸猫庵で一服した後鉄穴と一度別れ、私は勤め先の写真館に足を運んだ。

 目的はと言えば、写真の現像をする為に印刷機を借りることである。

 私に依頼した人物は雑誌の編集者で、まだ新人らしい。

 今回の依頼が、見切り発車の仮決めで無ければいいのだが。

 印刷が終われば家路につく。

 鉄穴は先に到着しているだろう。

 と言うのも、私と鉄穴とで家を共有しているからだ。

 いつか、しぇあはうす、と俗に言うと聞いた。

 部屋数の少ない平屋を共用しているので、生活の様々なモノが共同である。

 居間や勝手、水回りに始まり、個人の部屋は無い。

 狭い八畳程の部屋に詰め込まれた机が、唯一私達の持つ個人空間だ。

 ただ、数十年もの昔から、師範の御世話になっていた時から、あまり共有生活は変わっていないので違和感は全く感じられない。

 二段坂を上った先、高台にある平屋までは、更に傾斜のきつい階段を上らなければならない。

 林道の階段を抜けた先に、ブナの木々に囲まれた一軒家が見えて来る。

 築何十年モノの平屋は、私達妖怪の過ごす年月を経ている。

 家具も歴史を重ねた昭和の調度品ばかりで、私達が趣味で蒐めているモノで溢れているのだ。

 玄関を通ると、勝手から煮炊の音がしていた。

只今ただいま

「──お帰り~」

 緩やかな出迎えの声に癒されてから、部屋で着替える。

 撮影機カメラを手入れし、居間に行くと、既に夕食が用意されていた。

 私は卓に箸とお茶の用意をすると、それを合図に、同時に机に向かう。

「「いただきます」」

 素朴な食卓。

 たまの贅沢は、少しだけ値のはる絹ごし豆腐をごく稀に買い、湯豆腐で食べることだ。

 今日の夕食は饂飩うどんである。

 鉄穴は甘辛短冊狐饂飩あまからたんざくきつねうどん、私のは鱈子混たらこまぜ汁無し饂飩だ。

 互いに無言で食べ始める。

 食卓では誰かと話す方が美味しいとは言うが、私達は食事に集中したいのだ。

 よって、お互いに無言で食事に集中するのが慣例である。

 作りたてで湯気の上がっている饂飩を見ていると、鉄穴の料理上手が目に見えて来る様だ。

 昔は私が炊事を一手に仕切っていたから、今こうして勝手に立っていることが嬉しい。

 私は皿を軽く持ち上げると、後頭部の口から伸ばした、ヒトよりも大きい舌に料理を載せた。

 人前や集団の中では後ろの口を使って食べないが、如何せん私も二口女だ。

 ニンゲンに近い距離に居るので、普段から訓練しているとは言え、前の口で食べるのは少しつらい。

 舌に載せた料理を噛んで飲み込み、再び口を開いた。

 ほんのりとバターの香る鱈子が、平打ち麺に絡みつき、濃厚な風味と麺の程好い塩気とが調和している。

 振り掛けられた粉チーズが熱で溶けたところで、葉野菜で少しさっぱりさせていただく。

 食感の残る小松菜は、茹でが足りないのか少し苦いが、しょっぱ過ぎるのでそれもまた口直しだ。

 半分程食べ、一息つく。

「卵いる?」

「頂戴」

 饂飩の日は温泉卵を割って食べる。

 必ず半分程食べ終わってから解禁するのだ。

 何も饂飩に限らずとも、我が家では丼ものである時は途中で味を変えるのが定例化している。

 方手鍋にお湯を溜めておき、そこに常温に戻した卵を入れておくと、饂飩を半分食べた頃に温泉卵になっているのだ。

 鉄穴は上機嫌で戻って来ると、私の分も割ってくれた。

 私は鉄穴が勝手から戻るのを待って、食事を再開する。

 矢張塩気がまろやかになって美味しい。

 味を変えると幾らでも食べられる。別腹だ。

 黄身は濃厚、白身は淡白にしたい時に絡めて。

 はぁ……。美味しい。

「ご馳走さま」

「でした」

 示し合わせたかの様な合掌が部屋に響いた。

 今日の家事を鉄穴に任せ、私はお茶で一服する。

 時々こう言う日が、周期的に訪れるのだ。

 どちらか片方が多忙に殺される時だけ、もう片方が負担する。

 そうやって、生きてきた。

 暫くして洗い物を終えた鉄穴が勝手から戻ったので、お茶を勧める。

「そう言えば新しく入った仕事、進捗はどう?」

「そうね。もうすぐで終わりかしら」

「報酬が入ったらホールケーキでも買っちゃう?」

 さる依頼人から入った今回の仕事は、明日打ち合わせを終えたら決着の予定だ。

「好みの味は?」

「バタークリームケーキ!」

 また古いモノを、と言い掛けたが、私達はこうして幸を獲得してきたのだ。

 今更何も言うまい。

 私はこの、昔から変化の無い笑顔を守り通す為なら、何でもやってやろう。

 こうして、まるでヒトの様な生活を送っていると、どうしても裏切り者みたいね。

「そうだねえ」

 考えていた事がそのまま口から出ていたらしく、鉄穴が相槌を打った。

「よく考えてみれば、私達の元を辿るとニンゲンの虚妄にしか過ぎないのよね」

「利己的な遺伝子の受け売りでしょ、それ。でもそうだよねえ……。模倣体だよ」

「ニンゲンの虚妄から生まれた、模倣体に過ぎないのにと呼ぶのも、とか思うのよね」

「まあ、良いじゃない」

 鉄穴はそこで一度言葉を切り、意味を込める様に再び口を開いた。

「模倣体の私達がこうしてさ、自我を持って自分の意志で好きなコトして、好きなモノを食べて、好きな誰かと交流して、別離を一丁前に哀しんで、赤の他人が感じたコトを共有して、ね」

 …………。

「鉄穴」

「何?」

「たまには良いこと言うわね」

「……ははっ。受け売りだよ」


          *


 一つ驟雨しゅううでも来そうな昼下り。

 予報では夜まで降雨は無かった筈だが、この時季は天候が変わり易いと言う。

 それはさりとて、今日は写真館の応接室を一時借り、依頼人と打ち合わせだ。

 戦後に建てられたと言う、古式な西洋建築の応接室。

 正方形の空間に、細長い窓が礼儀正しく等間隔に並んでいる。

 窓の上部にはステンドグラスが嵌められており、その独特な光を机上に落としていた。

「──いいですね。流石さんだ」

「恐縮です」

 後頭部が見えない程度に頭を垂れる。

 毛量の多い髪を編み込んでいるが、隠しモノは努力が必要だ。

 私が偽名を使っているのも、その為である。

「雑誌の特色もちゃんと心得ている。是非これからも写真をお願いしたいですねえ……。良ければ、私どもの編集社にどうでしょう?」

「いえ。お断りさせていただきます。生憎、私はこの写真館に生涯勤める心算ですので」

 私としては丁重に断った心算なのだが、何故か相手は不満顔だ。

 私はニンゲンのこう言う所が、いつまでも理解出来ないでいる。

 そしてニンゲン嫌いな面が残っていた事に、内心安堵した。

 兎に角仕事を終えたので、これからもこいつに出逢わない事を祈りながら、玄関先まで送る。

 前に突き出た腹が支えろと、呪いでもかけておいた。

 光を吸収しそうな黒の車に乗り込み、その男は、逃げるかの様に走り去ろうとする。

 その時頭の隅で何か引っ掛かった。

 黒の車、エンジン音、ナンバープレート、タイヤの擦れ、ボンネットのへこみ。


 鉄穴の御両親。


 交通事故ロードキルでのみ付くへこみの位置だった。

 穴を空ける様に睨み付ける。

 車はそれに気付かずに、二段坂を上へ上へと昇って行った。

 その場からずっと動かず、まるで親の仇の様に見ていると、遅いのを気にした鉄穴が、私を玄関まで迎えに来る。

「……どうしたの?」

「あの車、似ていると思って」

 本来なら私は、瘡蓋かさぶたを捲って塩を塗る様な真似をしているのだろう。

 しかしこの件に関しては、絶対に犯人を逃せない。

 鉄穴は私を見ず、ぽつりと呟く様に言った。

「好奇心は猫を殺す、だよ」

 深追いはするな、と言いたいのだろう。

「判っているわよ。私もそこまで莫迦に買われる覚えは無いわ」

 判っている。

 頭で判っているが、憤りが泉の様に涌き出て止まらない。

 あぁでも。

 今すぐに真偽を確かめて、犯人なら捕って喰ってでもしたい気分だ。

 鉄穴の封印した記憶を呼び覚ます存在は、消さなければならない。

 少なくとも、視界内に入らない様に。

 いっそ殺してしまいたいのに、手が届かないのがもどかしい。

 殺害方を三つ程考えたところで、ふと我に帰った。

 何をしているの。

 いつから私は、高々これくらいの事で、煩悶する様になってしまった。

 感情を乱すのは愚か者だ。

 裏切り者のくせに、一丁前に深く悩んだりする。


          *


 その日の事務仕事を片付けて帰宅した後、日課である撮影機の手入れを始める。

 鉄穴と肩を並べて器具や布を、個人の机上に広げ。

 静かで、手慣れた音が部屋に響く。

 思考の湖に水没する様な勢いで、互いに口も聞かず、ただ手のみを動かし続ける時間。


 まさか写真の依頼人が、鉄穴の両親を殺したとは思わない。

 温厚そうな顔を貼り付け、人畜無害を主張して近付いて、過去の過ちを振り返らず、悔いも近親の者に打ち明けもせず。

 さっきから撮影機カメラの手入れに力が入らない。

  あの依頼人が犯人、と言う確証は持てないけれど、判らないだけ苛々する。

 撮影機に爪を立てた。

 きしり、と不穏な音を立てる。

 その時爪で木の板を叩く音が三回響き、私の思考の檻は破られた。

 見ると、鉄穴が机の端に爪を立て、その目は私を見透かす様だった。

 私は同様に爪でもって、机の端を叩く。

 今度は二回。

 これは私達がまだ幼かった頃、悪戯に開発した暗号の様なモノである。

 今のは、『どうしたの?』から始まり『はい』で答えた会話だ。

 三回なら問、二回ならはい、一回ならいいえ。

 私は使い古された手帳を手に取り、無心で書き込んでいく。

 幼心に開発した暗号が、まさか数十年後も使う事になるとはとても思えなかった。

 ただし今では、どうしても口に出来ない時、気軽に構えられない時だ。

『28/42/35/16/68/33』

 ──昼の件よ。

 一行書いて、鉄穴に無言でそれを手渡す。

 鉄穴は一瞥すると、同様に書き始める。

 暫くして手渡された手帳には、段落を一つ下げて返信が書かれていた。

『34/41/38/77/34/11/56゛』

 ──何もしないで。

 文は更に続いている。

『18/58/53/43/11/35』

 ──忘れたいの。

 私は机の端を爪で三回叩いた。

 すると鉄穴はもう一度手帳に書き込む。

『18/58/53/43/11/71/32/17/27/68/71/71/15/27/68/23゛/51/23/31゛/53/34/11』

 ──忘れないと、母さんと父さんが浮かばれない。

 私は思わず口をつぐんだ。

 これ以上は何も言えない。踏み込めない。

「ごめんなさい」

 それだけ言って、鉄穴を一人部屋に残して去った。

 鉄穴にあんな顔をさせるのは誰だ。

 笑顔はどこへ行った。


 その日から鉄穴の態度は、どこかよそよそしくなってしまった。

 ろくに言葉も交わせずに。


       ──  *  ──

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