二譚 墓守紙風船

「今日は風が強いなあ」

 そっと、誰にも聞こえないように呟く。

 墓石が倒れていないと良いけど。

 鎧戸の外をびゅうびゅう、ごうごうと吹き付けている。

 明日もお仕事ができますように。

 祈って、布団に潜る。


          *


 お昼頃、お仕事が半分終わって、昼休憩の時間になる。

 今日は、久しぶりにどこかでご飯をたべたい。

 

 土や埃で薄汚れた仕事着から、余所よそ行きの服に着替える。

 焦げ茶と黒の肩提げかばんに、財布、お守りを入れて出かける。

 『小鳥遊たかなし霊園』と書かれた看板を過ぎたら、すぐに外套を被る。

 ぼくは墓守だから、顔をあんまり見せちゃいけない。

 ──何でだっけ。

 高台の霊園を下っていった。

 

          *

 

 今日の空は鉛色。外套と同じ色。

 街に行くには、坂を上ったり、下ったりして行く。

 昨日から風が吹いている。外套が時折飛ばされそうになった。

 こんなに風が吹いているのに、空のクジラは悠々と泳いでいる。

 

 この二段坂を下るとバス停があって、そこから出るバスで街に行く。

 いつもこの道が怖い。

 墓守なんかが人の前に出ても良いのかと、ご先祖様が見ている気がして。

 ヒトが怖い。幽霊とか、生きていないヒトは怖くないのに。

 今日はやけに、道も石垣も暗く見える。

 

 細い路地の石垣に、釘で打ち付けられた鉄色の長方形な看板。

『お代は物々交換』そう書いてあった。

 反対側に、一面硝子の壁と硝子戸が埋まっている。硝子戸の上で、金属製の鈍い銅色の看板が風に揺れた。

糸猫庵いとねこあん……?」

 看板に書かれた文字をそのまま読み上げる。

「お入りなさいな」

 その時不意に、どこかから女性の高い声がした。

「こっちよ、こっち。あなたは墓守さんね?」

 墓守。それだけの言葉で締め付けられる。

 声のする方を見ると、硝子の向こう、文鳥が入った鳥籠があった。

「……文鳥さんは、死んでるヒト?」

「失礼ね」

「ごめんなさい……」

 そう謝ると、文鳥さんは毛繕いを始めた。そしてぶっきらぼうに、

「そんな所に突っ立ってないで、入りなさいな」と言う。

 本当に入ってもいいのかな。

 文鳥さん、怒らせちゃったよね。

 入ったら駄目、だよね。

 きびすを返したその時、

「焦れったいわねとっととお入りなさい!」

「ごめんなさい!」

 ほとんど反射的に硝子戸を押した。

 セピア色の古ぼけた店内には、二人のヒト? が居た。

 片方は、長い金髪の女性で、紫の眼と、狐の耳、それに尾を持っている。

 カウンター席に座り、奥の男性と何か話しているようだった。

「糸~もう一杯!」

 そして、昼だと言うのに既に酔っている。

 糸と呼ばれた男性は、三毛色の髪で、杏子色の着物に、紺の前掛けをしている。

 顔は幅広の赤茶けた布で覆われていて、それには眼の模様が描かれている。

 明らかにヒトならざる者が二人居る。でも、ぼくにはそっちの方が比較的話せるから、助かる。

 それと、もう一つおかしい点があった。

「窓がある……」

 ここは石垣の中にある筈だ。それなのに、通りが見渡せる、縦に細長い窓がある。

 不可解なそれらは、採光窓の役も担っている。

 その男性がこちらに気づくと、にっこり微笑んで、涼しい声で言った。

「いらっしゃい。今日は肌寒いですね」

「えっと、……こんにちは」

 顔を隠す様に頭を下げる。

 外套を直すふりをして目深に被った。

 カウンターに近寄って行き、台の上に顔を出す。

「当店は物々交換です。何か、交換できるモノは持っていますか?」

 糸さん──狐耳の女性がそう呼んでいたから、そう呼ぶことにする──にそう言われて、外の看板を思い出した。

 とっさに、かばんの中に入れていたモノを取り出した。

「折り紙ですか」

 いつもこのかばんに入れている、折り紙五十枚入りセットから一枚取った。

「見ててください」

 鮮やかな赤の正方形を折り、どんどん形を変えていく。

 うん、綺麗に出来た。

「出来ました」

 そう言って台の上に完成品を載せた。

「飾り鶴、ですね。いいですよ」

 糸さんは赤い飾り鶴を見ると、快く承諾して調理を開始した。

 ぼくはその間にもう一つ折り始める。

「お昼ご飯ですか?」

「はい」

 じゅうじゅうと音を伴いながら、美味しそうな匂いが漂ってくる。

「え、なにそれ美味しそう。ねえ糸、私にもそれ作って」

 隣で酔っていた、狐の女性がカウンターに乗り出してねだった。

「いいですけど、追加料金は払ってもらいますよ」

「……あ~い」

 そう言うと手慣れた仕草で、横の椅子に置いていた白いかばんから、一枚の写真を取り出した。

 それを受け取った糸さんは、顔、と言うより口をひきつらせた。

鉄穴かんなさん、これは一体、どこで……」

 嫌な写真だったのか、声が震えている。

 鉄穴、と呼ばれた狐の女性は、カラカラと笑って陽気に答えた。

「呑み比べしたときだよ。覚えてない? あの後さあ、爆睡してたんだよ。結局残った酒は私が全部飲んだし、糸の寝顔は撮れるわで、や~お得な取引だった」

 ……かける言葉が見つからない。

 そうこうしている内に、もう一つ折り紙が出来た。

 気まずくなった雰囲気を払拭する様に、手渡す。

「あの、これもお願いします。“耳のついた紙風船”です」

 通常の紙風船の折り方に工夫を加え、その名のとおり、耳をつけたモノだ。兎風船ともいう。

 糸さんは調理の手を止め、珍しそうに、色々な角度から紙風船を眺めていた。

「ねえねえ」

 不意に横から肩を叩かれ、見ると鉄穴さんも珍しいのか、興味津々な目付きでこちらをみていた。

「よかったら私にも作ってくれるかな? あ、私は鉄穴かんなって言うんだ。よろしくね」

 改めて自己紹介を受け、笑って差し出された手を、おずおずと握り返した。

 ヒトじゃなければ、こうして仲良くできるのに。

「はい。喜んで」

 もう一つ紙風船を折っている間にも、料理が出来そうだ。

「あの、すみません」

「? はい、何でしょう」

「その……料理を、包んでもらえませんか?」

 そう申し出ると、糸さんは以外そうにこちらをじっと見て、何か考える様に暫く固まっていた。

「……すみません。食べていきますから、さっきのは忘れて──」

「いえ、良いですよ。すぐにお包みしますので、もう少々お待ちください」

 そう言って微笑むと、素早く手を動かし、あっという間に包みを一つ作ってしまった。

 小さめな風呂敷に包まれたそれがカウンターに置かれると、実に美味しそうな匂いが隙間から漏れた。

 これは多分……卵。

「ありがとうございます」

 来たときと同じ様に頭を下げ、まだ温かい包みを受けとる。

 帰り際、鉄穴かんなさんに紙風船を渡し、硝子戸を強い風に押し返されながら開けた。


          *


「……あの子、影が無かったよね」

 糸の作る料理を待ちながら、さっきの墓守について話題を提示する。

 あの服装──顔を隠せる外套スタイルは墓守に多い──から墓守なんだろうと推測した。

「そうですね。ああいう方に逢ったのは初ですけど、実際いるんですねえ」

 私は何人か見たことがあるが、それでも片手に収まる位だ。

鉄穴かんなさんは原因について、何か心当たりは?」

 そう聞かれて、私は記憶のそこからありったけの情報を掬う。

「うーん……。多分あれは、引き剥がされたんじゃないかと思うよ」

 子供と言うのは、が一番干渉しやすい者だ。

 だからああ言った子供達が絶えない。

 でも影を無くすかとるかなんて、誰にも出来ることじゃない。影は強力に縫い付けられているモノだから、とるのが難しい。

 他人にそのだけ、それは強くなる。

 じゃあ、あの墓守は──?

「ところで鉄穴かんなさん」

「ん、なんだね」

「先程の写真を撮る前、私はどうなっていたんですか?」

「…………さあてねえ」

 わざと含み笑いを見せて答えた。

 すると出来上がった料理の皿が、叩きつける様にカウンターに載せられた。

 

 ちなみにあの写真は、店を出た後写真を撮っていないのに気づいた時に撮ったモノだ。


          *

 

 最後の客(鉄穴)が店を出た後、慣例の掃除をしていた。

 カウンター席を磨きあげていた時、視界の端に何かを捉えた。

 椅子の上にあったそれを取って見ると、お守りの様だった。

 鼻を近づけると、かすかに藤の花の香りがする。

 灰群青かいぐんじょうの布地に、花結びにされたとう色の組紐が縫い付けられている。

「……香袋か」

 誰かの忘れモノだろう。

 しかし今日この席に座っていた客は一人。

 本日初来店の、墓守の客だ。

 

          *


 霊園の裏口に、石造りの塀と、草が絡まり、錆びた鉄製の柵がある。そこから敷地に入ると、小規模な庭と平屋の家が見える。

 この時季は、露草と金木犀が咲いて、小さめな家庭菜園では、人参とさつまいもを植えている。

 くすんだ灰色の瓦屋根、太い柱が家全体を支えていて、淡い色の漆喰で壁が塗られている。

 渡り廊下は季節を無視して年中雪見障子だ。障子を開けると縁に出る。

 今日は鎧戸を閉めた方がいいかな。

 築八十年位の古い家だけど、まだ頑丈だ。

 縁のすぐ横を通り過ぎて、玄関に近づくと、屋根に吊られたランタンがした。

 手探りでかばんから鍵を取りだして開け、引き戸を滑らせる。

 かばんを一度床に置いて、くつを脱ぐ。

 急に、外套を後ろから脱がされた。

 振り向くと、そこには

「ただいま」

 少し笑って、横のかばんから包みを取り出して見せる。

「今日はね、すごくお洒落なカフェを見つけてね、お昼をそこで買ってきたんだよ」

 ぼくが歩くと、影も肩を並べてついてくる。この影はもう、意思を持っているんだ。

 でも、そんな生活も悪くない。

 今は家の掃除を任せたりしているし、なんだかんだしている。


 ぼくは子供の頃からヒトが苦手で、その穴を埋めるように、ヒトじゃないものが視えた。

 友達もいなくて、両親は居たけど、独りっ子だったから、立派な墓守を育てるのに必死だった。

 確か十三歳の誕生日だった様に覚えている。

 ある日、木蔭でうずくまっていた、お化け(そう呼んでいる)を見つけた。

 その日両親は出掛けていて、とにかく暇だったから、興味本位で話しかけてみたのが始まり。

 お化けは色んなことを識っていて、様な存在だった。

 ぼくはいた。

 お化けにその悩みを打ち明けたら、お化けは、小鞠の様な“砂糖菓子”を手渡して、食べるよう言った。

 悩みごとを解決できるなら、とそれを躊躇することなく全て食べた。

 そうしたら、

 

 昔、影を分離させたお化けは未だに見つられていない。

 あれからぼくはちっとも年を取らなくなって、両親はぼくを忘れ去って、ぼくはあの日のままずっとこうだ。

 あの日からぼくはどんどん変わってしまって、肌の色は灰に近い白に、髪は銀灰色になってしまった。

 ただ、眼の色だけは変わなかった。まるで呪いの様に。

 戻りたいと思っても、影は良い“内側の友達”だし、今のところ、影を戻す気はない。

 友達を失くすのが怖いし、自分が死ぬのも怖い。もう長く生きたのに、それでもまだ怖い。

 戻れるのかも、一切判らない。

 

 居間の机に包みを置いて、勝手から食器を取ってくる。

 影は包みの中身が気になるらしい。

 卵の匂いがする包みを開けると──

「オムライスだ……」

 作るのはハードルが高そうで、ここ数年食べてなかった料理の一つだ。

 丸皿に移して、包み紙を捨てようと席を立った。

 そこでようやく、風呂敷の底にもう一つ、紙が添えられた何かがあったのに気づいた。 

 それは、丸い抹茶色のコースターで、添えられていた紙には、文が書かれていた。

『次回からそのコースターを持ってご来店ください。それが目印になります。

 またのご来店を、お待ちしております。

                  糸猫庵』

 目印?

「ねえ、これどういう意味だと思う?」

 影に訊いても、まじまじと見詰めて首を傾げるばかりで、やはり答えは得られなかった。

 当たり前だ。影もぼくなのだから、同じことを考え、行動する。

 折角だからコースターを湯呑みの下に敷いた。

「いただきます」

 ぼくが手を合わせると、影は向かい側の椅子に座って、皿を覗き込む。

 スプーンで分厚い卵を切ると、中のご飯が隙間から覗く。

 五目ご飯だ。

 五目オムライスだったんだ。ケチャップをかけて、味を台無しにしなくてよかった。

 一口運ぶと、卵が甘い。砂糖が入ってるのかな。

 五目ご飯の塩味と卵の甘さが相まって、甘塩っぱくなっている。

 夢中でオムライスをかきこみ、食べ終わって皿がむなしくなると、不意に涙が込み上げてきた。

 もう何年も他人の手料理を食べていなかったから。

 何で食べてしまったんだろう。

 何でどこかで食べたいと思ってしまったんだろう。

 必ず反動が来るのは、判っていたはずなのに。

 影が心配しているのを余所に、ぼくは決意する。

 明日、もう一回あのカフェ──糸猫庵に行こう。

 また同じ料理を食べたら、それで満足して、忘れられる筈だから。


          *

               

 翌日、昼になるのを待って、抹茶色の丸コースターを持って出掛けた。

 周りをよく見ながら、見落とさない様に二段坂を下って、糸猫庵を探し歩く。

 多分、あの空間はヒトならざる者にしか造れないんだろう。

 コースターは、いわば通行証だ。そうでなければ、わざわざ風呂敷で包んだりしない。

 確か、昨日来たときはこの辺りにあった筈だけど……。

 無い。

 どこにも無い。

 何で? コースターもちゃんと持ってきた。

 不安に駆られながら辺りを見回す。しかしあの石垣の隙間の細い路地は、見つからなかった。

 今にも雨が降りだしそうな鈍色の空の下、強風が外套を吹き飛ばして、灰色の髪が踊った。

 暗い色の道に斑点が表れて、あっという間に本降りになる。

 どこでもいいから雨宿りする場所が欲しい。

 それこそ糸猫庵。

 昨日は突然現れたのに、ぼくは捜し物が下手なんだろうか。


「こっちよ、こっち! 墓守さん!」

 

 昨日聞いた文鳥の甲高い声が聞こえる。

 昨日も文鳥の声を聴いて、糸猫庵を見つけたんだっけ。

 もう一度周りを見渡すと──

「在った……」

 鉄色の看板がある細い路地。そこから響く文鳥の声。

 良かった。

 しかし、今は胸を撫で下ろしている場合ではない。折りたたみ傘も持ってきていないから、早く中に入らないと風邪を引く。

 外套を即席の傘代わりにして走った。

 既に髪や顔は濡れてしまっているけれど、せめて軒下に入るまでの間持てば良い。

 細い路地の奥で、ランプをつけた電柱が、ぼんやりと路地を照らしていた。

 硝子の向こうで、文鳥さんが昨日と全く同じことをいう。

「お入りなさいな」

 今日はためらわずに入れた。

 雨の所為せいか、店内が一層薄暗い。

 カウンターの奥で作業していた糸さんが、振り向き様にいつもの台詞を言おうとして、固まる。

「いらっしゃい、今日は……え?」

 まあ、客がずぶ濡れだったら驚かない店員は恐らく居ないだろう。

「ごめんなさい、こんなで来てしまって。すぐ、帰るので──」

 雨で濡れたぼくを見た糸さんは、すぐに奥の扉から出ていった。

 やっぱり、誰だって不快な気分になるよね。

 踵を返して硝子戸を押し開こうとすると、後ろから肩を掴まれた。

 後ろを振り返ると、今日も来ていた鉄穴さんが、手拭いを片手に立っていた。

「糸がタオルとか持ってくるから、君はここで待ってようか」

 そして手を引いて店のソファ席に誘導し、座らせる。

 かばんを肩からおろして、脇に置いた。

「ほらほら、これも脱がないと風邪引くよ。あ、これ、あんまり役に立たないだろうけど、良かったら使って」

 何かと世話を焼かれるのは、悪い気はしないけど顔を隠す為の外套は少し抵抗がある。

 だけど世話を焼かれているときに拒否できる勇気も無く、ただ黙って鉄穴さんのしたいようにさせていた。

 そこに、糸さんがバスタオルを両手に抱えて戻ってきた。

「どうぞ、これ使ってください。ああそうだ、何か温かいものを作りますよ、何がいいですか? お代はいただきませんよ。遠慮なく言ってください」

 口調は心配しながらも、まるで、拒否権は無い、とでも言うような圧で言われたので、“温かいもの”を必死に検索する。

「え? えっと、じゃあ、ほうじ茶、お願いします……」

 バスタオルを半ば押し付けられる様に受け取って答えた。

「その外套も預かりますよ、乾かしておきます」

 そう言って空いた片手を差し出してくる。ここで遠慮するのは申し訳ないので、濡れた外套を渡した。

「……ありがとうございます」

「コースターはお持ちですか?」

「あっ、はい持ってます!」

 ポケットの中を手探り、丸い抹茶色のコースターを手渡す。

 それを受け取った途端、糸さんは台所に走って行った。

 去り際、一言残して。

鉄穴かんなさん、後お願いします」

「よっしゃ任せろ」

 横に座っていた鉄穴かんなさんが、そう言って親指をぐっと立てた。

 受け取ったバスタオルを鉄穴さんが手に取り、ぐしゃぐしゃとぼくの頭を拭く。

「墓守くん、名前は?」

「……小鳥遊たかなしです」

「それだけ? 下の名前は?」

 ふるふると頭を横に振る。

「へえ……」

 鉄穴かんなさんは残念そうに呟くと、更に頭をぐしゃぐしゃにした。

「ん?」

 不意に疑問声を発すると、ぼくの頬を両手で掴み、

「な……なん、ですか?」

 頭を恐怖がよぎったのと反対に、鉄穴さんの表情は好奇心で満ちている。

 墓守として、顔を他人に見せることは避けるべきことなのに、外套を取られ、その上覗き込まれるのは耐え難かった。

「小鳥遊くんの眼の色は面白いよねえ。黒目勝ちだけど、碧色で、光によっちゃ蛍光に見えるんだから不思議だよ。ほら、糸も見る?」

 カウンターの方に向けて大きな声で言うと、打って変わって、落ち着いた声が返って来る。

「取って喰えとでも言うんですか。私が欲しいものは、あくまでも交換で手にはいるモノですよ」

 眼を褒められたのは初めてだ。

 両親はぼくの素質にばかり眼を向けていたし、生まれつきと聞かされていたから、自分でも気にしたことはない。

 むしろ、ぼくは自分の白すぎる肌や、灰の髪がずっと嫌いだったし、眼の色も、気味の悪い変な目、としか思うことは無かった。

 それを褒められると、どちらかといえば不快で、何故か、嬉しいとは思えない。そんな自分だから尚更嫌いになる。

 そんなことを考えている内、髪が大分乾いた代わりに、鉄穴かんなさんの豪快な拭き方によってボサボサになっていた。

 ちょうどそこに、糸さんがお茶の載ったお盆を持ってきて、机に置いた。

「どうぞ、ほうじ茶と大判焼きです。暖まってください」

 ほうじ茶は白い湯気がたつ程熱く、大判焼きも、包み紙の部分を持っていても熱いくらいに暖められている。

 冷えきった体には良いけど、舌が火傷しそうになるのはどうにかならないかな。

 しばらくお茶に息を吹きかけたりして、程よく冷めたところで大判焼きを口に運んだ。

「美味しい……」

 大判焼きの中身は粒餡だった。

「それは良かったです」

 カウンターで様子を見ていたらしい糸さんが、布で覆われた顔を覗かせて言った。

「それにしても糸、いつの間に焼き器を入れたんだい」

「つい昨日ですよ。先週古物市に出掛けたんですが、その時これを見つけましてね。店を閉めている時間に練習をして、漸く入れたんです」

 大判焼きを頬張ってほうじ茶で流し込むと、一気に体が暖まる。

 二つ目はカスタードクリーム、三つ目はこし餡が入っていた。


 全て食べ終わった頃には雨も止んで、外套も乾いていることを期待したけど、そんな都合の良いことは無かった。

 窓の外の雨は一向に止む気配を見せず、外套も、湿気が多くて乾かないと糸さんに聞かされた。

 しばらく滞在することになり、今すぐに帰りたいのをこらえて、暇潰しにと折り紙を折る。

 兎風船、鶴、カメラ、蛙、足の生えた紙飛行機……。

 時間が過ぎる毎に作品は机の上に増えていき、雨は表情を変えず、時計は午後二時三十五分を指していた。

 いつもなら、霊園のお墓を見て回って、掃除したり、植木の手入れをしたりしている時間だ。

 影も心配してるかな。

 影に傘を持ってきて貰いたいけど、どういう訳か敷地に縛られていて、自由に出入り出来るのはぼくだけ。

 するとしたら、ぼくの後ろにつかないと出られない。

 誰にも聞こえないように、喉の奥でため息を吐いた。

 誰かに傘を借りる勇気もなく、かと言ってザアザア降りの中走って帰れる訳もない。

 お墓のこと、霊園の生け垣の手入れ、明日やること、今日は他にもやることがたくさんあるのに……。

 色々なことがぐるぐると頭を回っているうちに、うとうとしてきた。


          *

 

 隣で船をこぐ小鳥遊たかなしくんを見て、

「寝ちゃいましたね」

「うーん……。どうする?」

 頭を捻っている横で、糸がそっと毛布を掛けた。このイケメン。

 そして乾いた外套を持ってきて、カウンター席で作業をし始めた。

「それ何やってんの?」

 椅子から立ち上がり横から覗き込むと、台の上に裁縫道具と幾つか布が置かれている。

「繕っているんですよ。見ての通り、所々破れているでしょう」

 話ながらも手は素早く動いていて、一旦口に加えた縫い糸を針に通し、外套の破れた箇所に、抹茶色の布を宛がって縫い付けていく。

 昔、誰かにパッチワークとか言うモノを見せてもらった。糸がしているのはそれだろう。

 暫く見ていると、あっという間に修復された外套が完成した。

 完成したそれを、静かに小鳥遊たかなしくんの膝に載せる。

 その重みで目を覚まし、跳ね起きた。

「へっ? すみません、ぼく、寝てて……」

 そしてかばんに折り紙作品を詰め込んでいく。

「あの、もう帰らないといけないので。お茶、ありがとうございました」

 寝顔を見られたのが恥ずかしかったのか、或いは別の理由があるのか、作業する手は速くなっていく。

「外はまだ雨が降っていますが? それに傘も持っていないでしょう」

 糸の言う通り、窓の外はザアザア降りのままだ。これでどうやって帰れよう。

「仕事か何か知らないけど、今日は止むまでじっとしてた方がずっと良いけどねえ」

 そう引き留めても小鳥遊たかなしくんは首を横に振る。

「お仕事、ですから。それに、大切なお墓に何かあったら……」

 今にも飛び出して行きそうだ。

 何故そんなにも執着するのか、私にはよく判らない。

 糸は私の横で困った様に首を捻っていた。

「あ、そうだ」

 不意に漏らす様に呟いて、奥に引っ込んでしまった。

 何かと思って暫く小鳥遊たかなしくんを引き留めていると、

「お待たせしました」

 戻ってきた糸は、その片手に青い傘を持っていた。

 ああ成る程、そう言うことか。

「今日はこれでお帰りください。後日、一日中晴れる日に再度来店し、お返しください」

 こうすれば、小鳥遊たかなしくんはまた店に来ない訳にいかなくなる。

 傘が手渡されると、小鳥遊くんの感情変化が少ない鈍色の目が輝いた。


           *


「……良いんですか?」

 鮮やかな青い傘を使うのは、もったいない気がした。

 でも、またお店に来るには傘が必要だろう。

 霊園以外の、うたた寝するほどくつろげる場所にまた来るために。

 硝子戸を押し開くと、文鳥が鳴き、電柱が路地を照らす。

 傘を開くと、鈍色の空が青で隠される。

 傘を打つ雨音は、一つの曲みたいだった。


 翌日、仕事を早く切り上げて傘を返しに行ったのは言うまでもない。

 その日は本当によく晴れていた。

 テレビがないから、棚の奥に眠っていたラジオを引っ張り出し、事前に天気予報を聞いた。

 その日から、周波数を合わせて無機質な天気予報を聞くのが日課になった。

 ただ、古い型のラジオなので時々雑音がざる。

 今思うと、我が家は古いモノばかりだ。

 黒電話や邦文タイプライターに、文机なんかもある。

『──明日未明から夕方にかけて、暴風雨──でしょう。落雷に警戒が必要です』

 雑音が酷くて聞き取り辛かったけど、明日は雨だと判った。

 そう言えば外は風の音が大きくなっている。

 対策に鎧戸を全て閉じ、霊園のお墓が倒れないことを祈った。

 雑音を発し続けているラジオを消して、布団に潜り込む。

 ぼくの寝床は押入れを改造したベッドになっている。どこかで読んだ本によると、アルコープベッドと言う似た物があるらしい。

 この時季貴重な晴れている日に、半日干した布団だ。寝心地が違う。

 同じく半日干した枕に顔を埋める様にして、毛布をすっぽり被る。

 ずっと作っていた猫の抱き枕がやっと完成して、不格好だけど、今日から布団が暖かくなるといい。

 文字通り抱きついて目を閉じる。

 いつもより早く睡魔が訪れた。


          *


 朝早く目が醒めたとき、鎧戸を激しく叩く音がしていた。

 時刻は午前五時。

 明確すぎる程に嫌な予感がする。

 急いで作業着に着替えて、跳ねた寝癖も放置し、朝食も摂らず、外に出る。

 出掛けに、影が何かを言いかけて止めた。

 ぼくはそれに気付かず、雨と風が吹く中、代々続く霊園に向かった。

 

 大粒の雨が横殴りに降り注ぎ、倒れた墓石や細い倒木が、強風の程度を示していた。

「折角手入れをしたのに……」

 思わずそう呟くほど、霊園は荒れていた。

 強風で花壇の花が全て倒れ、金木犀の株は傾き、太い木の折れた枝が墓石に寄りかかっていた。

 一晩で全て奪って行くのが自然だ。

 この程度の損害、どうとでもなる。実際、今までずっとそうしてきた。

 きっとこれからも。

 外套を深く被って、折れた枝を回収していく。

 雨粒が頬を伝い、体温が奪われていく。

 傾いた墓石を正して、盛り上がった土をスコップでならした。

 倒れた墓石は納屋に運び込み、ひび割れがないかチェックする。

 それほど広くないとは言え、自然の地形をそのまま利用しているので高低差があった

 緩やかだけど、それでもスコップと一輪車を引いて移動するのは体力が要る。

 墓石や折れた枝を積んだ一輪車は、雨でぬかるんだ地面に何度もタイヤがはまって、その度に転んだ。

 花壇に防水布を被せ、煉瓦を幾つか重ねて固定する。

 雨足は強まり、風が体を冷やしていく。

 かといって風邪をひいている暇はない。お仕事は明日もあるし、墓石の修理も、石材店に依頼しないといけない。

 お父さんとお母さんが守った霊園を、壊す様なことがあっては。

 

 一通りの作業が終わった時、時刻は午後二時四十五分を回っていた。

 家では影が、バスタオルを三枚も用意して待っていて、ぼくはそれらを全て使った。

 汚れた服を洗濯機に入れ、一番汚れが酷い外套を洗面所で手洗いする。

 お風呂を沸かして、汗と埃、それと顔に付いた泥を洗い落とした。

 お風呂から上がって、洗濯物を干し終わった頃には、時計はちょうど午後三時を指し示していた。

 髪も乾かさないままに、布団に寝転んで一息ついた。

 その時お腹が鳴って、朝食を食べていなかったことを思い出す。

 食事を、と思ったけど力尽きて起き上がれなかった。

 悪天候、いつもより厳しい体力仕事、このコンボで体力の消費が激しかったんだ。

 明日はきっと筋肉痛になる。

「お腹空いた……」

 食べる為に動きたいのに、空腹と疲労で動けない。

 兎に角疲れがとれるまで動かず、体力を消費しない様にしないと。


 空腹が限界に達した頃、やっと動ける位に回復した。

 布団から起き上がって、ふらふらと勝手に向かう。

 とりあえず卵とお米があれば良い。それさえあれば満腹になれる。

 祈る様な気持ちで、これもまた古い冷蔵庫を開ける。

 機械的な光に照らされた庫内に、片手鍋に豆腐が一丁と、卵の十個入り一パックが、未開封で入っている。

 その他には何も無い。

 米櫃こめびつに残っていたお米を一合、炊飯器に入れて炊いた。

 その時、

 ──バツンッ!

「ひやっ!?」

 反射的に目を閉じて飛び上がった。

 恐る恐る目を開けると、家中が暗い。真っ暗で、見えない。

 今のはブレーカーが落ちた音じゃない。

 停電。

 事実、ブレーカーを上げても電気が灯かない。

「どうしよう……」

 ガスは通っているから、お米を水を張った鍋に移し変えて、焜炉こんろの火を灯す。

 押入れから手探りで取り出したカンテラに、火を灯した。

 それを机の上に置き、鎧戸の閉めきった部屋で一人、ひたすら復旧するのを待つ。

 お腹が空いた。電気も使えない。外にも出られない。

 そう言えば前にもこんなことがあった。

 悪天候で外に出られなくて、あの時は傘を借りられた。

 今日はついていない。


 小一時間待って、復旧しないから更に一時間待ち続け、ただ動かず、じっと待った。

 わずかな光を頼りに壁時計に目をやると、午後五時手前を指していた。

 既にお米が炊けて、何のおかずを作るか悩んでいた。

 電気が使えなくて、冷蔵庫で保存出来ないから、出来るだけ早く調理したい。

 責めて野菜が欲しかったけど、贅沢は言えない。

 頭をひねらせている所に、玄関が叩かれた。

「今晩はー」

 直後に、一度聞いた声。

 小走りで玄関に向かうと、曇り硝子の向こうに大きな影が見えた。

 引戸を横に滑らせると、

「糸さん!?」

 そこに立っていたのは糸さんだった。

 衣服の裾や袖はは水分を含んで重そうに濡れ、片腕に提げた大きな買い物籠も、中が心配になる位に濡れている。

「……どうしたんですか?」

 予想しなかった来客にとまどいながら、ここに来た理由を推測する。

 ──もしかして雨宿り……?

「今晩は。すみませんが、雨宿りをさせていただいても宜しいでしょうか」

 予想が当たって少し嬉しかった。

 反面、家に入れるのを躊躇する。

「いいですよ。風邪ひいちゃうので、早く入ってください」

 だけど、口から出た言葉は全く逆だった。

 糸さんは、助かります、と短く言って、着物の袖を絞ってから入った。

「買い物に出掛けていたら急に降りだしてきまして、傘を持っていなかったもので……。恥ずかしいですね」

 ここに来るまでのいきさつを説明しだした糸さんに、どうぞ、とタオルを数枚渡す。

「有り難う御座います」

 濡れた髪を粗雑に拭く糸さんは、濡れるのを気にしてか、玄関から廊下に上がろうとしない。

「床が多少濡れても構わないので、どうぞ上がってください」

 手で上がる様うながすと、首を横に振った。

「心配ありませんよ。……ほら見ていてください」

 そう言うと、濡れている箇所をタオルで軽く拭き始めた。

 すると不思議なことに、タオルをあてた部分からどんどん乾いていった。

 衣服は元の杏色を取り戻し、三毛髪も毛の一本一本まで乾き、ふわふわとはねる。

 乾いた髪や着物と引き替えに、渡したタオルは水分を吸って重くなっている。

 その所業にぼくは目を見張った。

 やっぱり、向こうの世界のヒトなんだ。

 小さい頃からこう言う現象には親しかったから、判る。

「わあ……」

「面白いですか? あ、タオルありがとうございます」

 雨で濡れた分だけの水分を吸ったのか、受け取ったタオルはずっしりと重くなっている。

 そのまま洗濯籠に放り込んだ。

 ふと見ると、ようやく玄関に上がった糸さんが、周囲をきょろきょろと見回している。

「停電……ですか? 随分お部屋が暗い様ですが」

「はい。ブレーカーが上がらないので、雷か何かだと思います」

「今はどうしているんですか?」

「カンテラで、なんとか明かりを確保してます」

 カンテラを持ってくると、糸さんはそれを初めて見た様で、顔をぐっと近づけてしげしげと眺めていた。

 まるでお店で代金を渡した時みたいに。

 強くやわらかい光が、端正な顔を照らし出す。

 決して見せない目を見たい。

 そして顔を上げると、

「このカンテラ、少しだけ借していただけますか」

「いいですけど……何に使うんですか?」

「いえ。何こうして雨宿りをさせていただいている以上、何かお返ししなくては、と思ったのですよ。何かリクエストはありますか?」

 いきなりそう言われても、簡単にパッと思いつかない。

 何かして欲しいこと……。

「あ」

 こぼすと、糸さんが首を傾げた。

「その……夕ごはんがまだなので、作って、欲しいです」

 答えると、微笑んで快諾してくれた。


 勝手から、生活的な音がする。

 鍋で煮込み、ヘラでかき混ぜ、時折蓋を外して火加減を調節したり。

 何を作っているのか、どうしても気になって勝手を覗くと、出来るまでのお楽しみです、と返されてしまう。


「卵とお豆腐しかなくて……」

 机に今ある材料を並べる。

 その横で、糸さんが整った形のあごに手をあてて、「調味料はあるんですよねぇ……」と頭をひねっている。

 お米は今鍋で炊いているけど、少ない材料でどんなおかずができるのかな。

 肩を並べて悩んでいるところに、再び玄関が叩かれた。

「今行きます!」

 勝手に糸さんを残して、小走りで玄関に向かい、戸を開ける。

「や~参った。小鳥遊たかなしくん、ちょっと雨宿りしても良い?」

 そこには、大きな和傘を指した鉄穴かんなさんがいた。

 ……うちは雨宿りの呪いでもかかっているのかな。

 傘を指していたのが幸いして、糸さん程には濡れていない。

 鉄穴さんは傘をくるくる回して畳み、麻で編まれた鞄を無造作に置く。

 声を聞いて、廊下の奥から糸さんが顔を覗かせた。

鉄穴かんなさんじゃないですか」

「お。そっちこそここで何してるのさ。小鳥遊くんに餌付け?」

「雨宿りですよ」

「へ~」

 それだけ聞くと鉄穴かんなさんは興味を失ったらしく、廊下を裸足でぺたぺたと歩いていく。

 その足取りは、室内が暗いにも関わらず真っ直ぐで、夜行性の動物みたいだった。

 居間を通り掛かった所で不意に足を止め、鼻を鳴らす。

「糸、何か作ってる? 米の匂いがする」

「雨宿りのお礼に、今から晩御飯を作るのですが……何しろ材料が無いんですよ」

 うう……。すいません。

「そこで鉄穴かんなさん、何か適当なモノとかありませんか」

 鉄穴さんは頬に手をあて、材料ねえ、と糸さん同様に小首を傾げた。

 しばらく悩んだ後、あ、と声を上げて玄関に走り出した。

 足音が遠ざかって、玄関の鞄をあさる音がし、また足音が近づく。

「あったあった。これはどうかな」

 そう言って持ってきたモノは、小麦粉の袋だった。

「小麦粉じゃないですか」

 糸さんが少し驚いた様に言って受けとる。

 豆腐と卵、それに小麦粉で何が出来るんだろうか。


 調理をするため、カンテラを糸さんに譲った。

 居間で待機するぼくは、代わりに蝋燭ろうそくを使った。

 居間と勝手は障子一枚で隔てられているだけなので、勝手からはじゅうじゅう焼く音と、香ばしい匂いが漂ってくる。

 ガスが使えて良かったとつくづく思う。

 向かい合った席には鉄穴かんなさんが座り、蝋燭の仄灯ほのあかりが整った顔を、ぼうと照らし出す。

 何で鉄穴さんが居るかと言うと、何でも、食材を提供する代わりにご馳走してもらうのだそうだ。

 それにしても、豆腐と卵と小麦粉で、フライパンを使う料理とは一体なんだろう。

 お腹が空く。

 さっきお米も炊けたし、出来上がるのがひたすら待ち遠しい。

 ただお味噌汁も無いのが惜しい。

 外の雨は少し止んできて、夕方より小降りになっている。

 時刻は午後六時過ぎ。

 そわそわしながら待っていると、

「お待たせしました」

 お店の時と全く同じ様に、皿を両手に持った糸さんが居間に入ってきた。

 待ち兼ねた夕ごはんが目の前に置かれる。

 出来立てでほのかに湯気を立てるそれは──

「ハンバーグだ……」

 久々に食べたいと思っていたから、すごく嬉しい。糸さんは察知能力でも持っているのか。

 鉄穴さんは興奮して、即座に箸を取って食らいつきそうな勢いだ。

「どうぞ、召し上がれ」

 糸さんの言葉で、ぼくと鉄穴かんなさん、同時にに箸を運んだ。

 焦げ目がついた楕円形の上に、刻んだ紫蘇しその葉が乗っていて彩りを添えている。

 それにケチャップをかけ、箸で割ると、中からとろけたチーズが出てくる。

 息を吹き掛け、少し冷ましてから口に運ぶと、熱々のチーズとお肉が口の中でとろけた。

 紫蘇がさっぱりしていて、いくらでも食べられる。

 ふと疑問に思った。

 美味しい料理は嬉しいけど、お豆腐がどうやってハンバーグに化けたんだろう。

「あの……糸さん」

「? はい」

「材料って、お豆腐と卵、小麦粉ぐらいですよね」

「そうです。まあ、幾らか鉄穴さんの買い物から頂戴しましたけど」

 それは恐らく、チーズや紫蘇の葉だろう。

「どうやったら、お豆腐がハンバーグに化けるんですか?」

 どうしても気になって訊くと、簡単なことですよ、微笑む。

「豆腐と小麦粉を混ぜて焼くと、肉の様な食感になるんですよ。後は味付けでごまかせます」

 そうなんですか……、と相づちを打ちながら、今度作って見ようと決意した。

 一旦ご飯で口直しをして再びかぶりつくと、中のチーズが糸をひいた。

 これがたまらなく美味しい。

 鉄穴さんにご飯は無いけど、それでも幸せそうに食べている。

 ……これ、お店のメニューにしてくれないかなあ。

 夜はけ、お腹は満たされる。

 降り注いでいた雨は止み、雲間から星が覗いていた。


          *


 勝手では糸さんが皿を洗い、ぼくと鉄穴かんなさんは居間でお茶を飲みつつ寛いでいた。

 夕食後の皿洗いを申し出ても、雨宿りのお礼と言って譲らなかった。

 申し訳なく思いつつも、甘えてしまう自分が情けなく思える。

 雨が止んだ午後七時。

 雨宿りする必要が無くなったから、きっと二人はすぐに帰ってしまうだろう。

 今はそれだけが、少しさみしい。

 そこまで考えて、ふと気づいた。

 やっぱりぼくはヒトが苦手で、その代わりに、ヒトではない者が近くに居る。

 両親が生きていたら何て言うだろうか。

 ちょうどその時、勝手から糸さんが戻ってきた。

「お勝手をお借りしてすみませんね。ところで雨も止んだ様なので、私はもう帰ろうと思います」

 やっぱり。

 もう少し居て欲しい。そんなの叶わないのは判ってる。

「あ……──」

 見苦しい思いが出かけて、消える。

 背中に伸ばした手が諦めて、うつ向く。

 糸さんはぼくが引き留めた様に見えたらしく、苦笑して振り向いた。

「何でしたら、今日の料理をお店で食べられる様にしますよ。如何ですか?」

 少しだけずれた言葉で笑顔になる。

「っ──本当にありがとうございます」

 帰り際、霊園を出るまで糸さんと鉄穴さんを送っていった。

 霊園の看板が見えた時、糸さんが急に何かを思い出して、立ち止まった。

「そうだ、これを忘れる所でした」

「何をですか?」

 おもむろに懐を探り、その大きな手で取り出す。

「手を出して下さい」

 素直に両手を差し出すと、ぼくより一まわり大きい掌が重なる。

「お守り……?」

 手の中にあったそれは、お守りだった。

 頭の奥で何かかが引っ掛かっている。

 それが何か暗闇ではよく判らなくて、しばらく見つめていた。

「? ……あ!? ぼくのお守り……何で」

 手渡されたそれは、どこかで落としたと思っていたお守りだった。

「店を掃除しているときに見つけたので、また逢った時にお返ししようと思っていたんです。忘れないで良かった」

「でも、どうしてぼくのお守りだって判ったんですか?」

「昨日あの席に座っていたのがあなただけだったんです。それにこれ、香袋ですよね」

 お母さんに作ってもらった香袋。

 それを今でも、お守りとして使っているだけ。

「自分ではあまり気づけないかもしれませんが、藤の匂いが微かにしているんですよ。それも決め手です」

 自分では気づけないだけに恥ずかしくなる。

 でもお守りが帰ってきて良かった。

 先を歩いていた鉄穴さんが、手を振りながら呼んでいる。

 糸さんは向こうを見て、それから、おやすみなさい、と頭を垂れた。

「おやすみなさい」

 夜風が冷たく吹き、露草のつぼみを揺らした。


          *


「こんにちは」

 硝子戸を開くと、今日も同じ景色、匂い、そしてヒト達がそこに居る。

 仄暗い店内、黒い頑丈そうな梁から吊るされた枇杷びわ色の提灯。縦長窓から入り込んだ光。セピア色で統一された家具、小さく流れるピアノ曲。

「いらっしゃい」

 くすんだ赤い布を巻いている、三毛色の髪をした店主は糸さん。

 この人が作る料理は本当に美味しい。

 一番端のカウンター席がぼくの定位置。だけど、今日も時間がないから料理を持ち帰るしかないのが残念。

 時々隣の席で、鉄穴かんなさんが昼間からお酒を飲んでいたりする。

 今日は昼食を食べに来ただけらしく、お膳には定食が並んでいる。それがむしろ珍しいから面白い人だと思う。

 時間短縮のため、前もって折っておいた兎風船に空気を入れて、膨らませたら糸さんに手渡す。

「お持ち帰りで宜しいですか?」

「はい」

 この流れが慣例になっているのに気づいて、寂しくなる。

「たあにふぁ、ゆっふり食へていけはら良いのにね」

 そんなぼくの心を読んだ様に、鉄穴さんが口に食べ物を含んだままで言う。

「鉄穴さん汚いですよ」

「ふぁーい」

 そこに糸さんがつっこんで、鉄穴さんはへにゃっと笑う。

 いつの間にか、いつもの日常が知らなかったモノへと変わっている。

 仕事をして、霊園とお墓をを守ることが世界の中心だった。

 おいしいご飯が楽しみになって、外にぼくのことを知るヒトが居て。

 心に余裕ができた気がする。

「どうぞ」

 もう一つ折り紙が出来たところで、包まれた料理が目の前に置かれた。

「いつもありがとうございます」

 それを受け取り、隙間から漏れてくる匂いを楽しむ。

 今日はなんだろう。

 最近、糸さんはお弁当を出すことを考えているらしい。ぼくみたいなお客さまに対応するため、と言っていた。

小鳥遊たかなしくんも変わったよね」

 唐突に鉄穴さんが口を開いた。

「そうなんですか?」

 言葉の意味が判らなくて、思わず間抜けな声を出してしまった。

「そうだよ。最初はさ、物凄くおどおどしてたのに、外套無しでもよくなったじゃん」

 確かに初めてお店に来たときは、正直怖かった。今は鉄穴かんなさんの言う通り、外套を被らなくても外に出られる様になっている。

 初対面の人はまだ怖いけど、それでも良い方だと思う。


 ぼくは料理の包みを持って、今日も霊園を整える。

 明日も、来週も、来月も、来年も、十年も、数十年後もこんな日常が続く様に祈った。

 珍しく晴れた空で鯨が泳いでいる。

 

 本日の料理

 ・五目オムライス

 ・大判焼き

 ・豆腐ハンバーグ

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