十一 鏡送り

「潤……?」

名を呼ばれた幽霊――増池潤は両腕を広げ、水科華澄に笑いかける。

その意図を即座に汲み取ったのか、水科華澄は増池潤の胸に飛び込む。

「ごめんなさい……ごめんなさい……!私、私……!」

「俺の方こそごめん。お前が辛くて怖い思いをしてる時に何もしてやれなかった」

泣きじゃくる水科華澄を強く抱き締める増池潤の表情は険しく、今にも泣き出しそうだった。

「本当にごめんな、華澄……」

「潤……」

出来ることならこのまま二人きりにしてやりたいところだが、そうもいかない。

増池潤との再会を果たしたことで落ち着きを取り戻した今なら水科華澄と会話が成立するはずだ。

──とは言ったものの、どう声をかければ良いのだろうか。

「華澄ちゃん」

「っ……!」

「えっ雫姉ちゃん……!?」

「潤くんも驚かせてごめんね、やっぱりびっくりしちゃうよね」

困惑する二人の頭を撫で、雫さんは優しく微笑みかける。

「雫お姉ちゃん……私……」

「大丈夫、私に任せて」

「えっ?」

「華澄ちゃん、儀式鏡はまだ持ってる?」

「う、うん……」

促されるまま水科華澄が雫さんに渡したのは一枚の鏡。

一見静霊鏡に似ているが、大きさや細かな装飾が異なっているのが遠目でも分かる。

「雫姉ちゃん、何を……」

「潤くんは華澄ちゃんの傍にいてあげて」

儀式鏡を受け取った雫さんは意を決したような面持ちで歩き出す。

「――追いかけるぞ」

「……あの二人は良いのかよ?」

「俺たちがとやかく言うべきことじゃない」

「藪蛇になっちゃいそうだしね」

「……まぁそれもそうか」

あちらにはあちらの、こちらにはこちらの事情がある。

無闇に首を突っ込むのはお節介も良いところだ。


「っ……」

雫さんが向かった先――石鳥居の向こうに広がっていたのは暗い色の水を湛えた湖。

恐らくここが四鏡湖、だろう。

「っか、ぁ……っ」

「鷹也?」

「ど、どうしたの?」

「……少し、息が詰まっただけだ」

煉と沙輝の身には何も異常が起きていないのに俺だけが息苦しさに苛まれているのは霊感の差、なのだろうか。

沙輝の話では静霊鏡を持っていれば常世の闇の影響を軽減できるらしいが、逆を言えば静霊鏡を持っていなければもっと酷く――それこそ呼吸すらままならない状態に陥っていたのかもしれない。

「雫さんは……」

「――待て」

石鳥居を潜ろうとした雫さんに制止の声がかかる。

「……お父さん」

声の主――祭服姿の幽霊たちは雫さんの行く手を阻むように石鳥居の前に佇んでいた。

「行っても無駄だ。鏡送りは失敗に終わり、封印は失われた。今更お前がその身を捧げたところで――」

「それでも、私はいきます」

「……華澄が成せなかったことを、お前が成せるというのか」

「これは本来、私がやらなければいけなかったこと。華澄ちゃんに迷惑や負担をかけてしまった責任を取る義務が私にはあります」

雫さんの意思は頑なで、祭服姿の幽霊たちの説得に応じる気配が無い。

何を言っても無駄だと悟ったのか祭服姿の幽霊たちは石鳥居の前から離れ、雫さんを挟む形の列を作る。

「雫……」

「いってくるね、湊くん」

列の間を歩き石鳥居を潜り抜けたその直後、雫さんの服装は水科華澄が纏っていたものと同じデザインの巫女装束に変化していた。

「――――、」

湖に身を沈める直前、雫さんは何と言ったのだろうか。

そう考える暇もなく湖面が大きく揺れ、波紋と共に眩い光が広がる。

その影響で薄暗かった視界が段々と明るくなっていき、空からは分厚い雲が剥がされていく。

「っ…………」

息苦しさから解放された時、空には初夏の澄んだ青色と強い日射しが戻っていた。

「……成功、したんだよね?雫さん……」

石鳥居の向こうに広がる湖の水面は静かに揺れ、陽光を煌めかせている。

最初からこうだった、怪奇現象など起きていなかったと錯覚してしまいそうなほど美しい光景だった。

「そういえば鷹也の姉ちゃん、結局見つけられなかったな」

「……そう、だな」

「鷹也?」

「……いや、何でもない」

確かに姉さん本人は見つからなかった。

多分、もう――

「帰るぞ。ここにはもう……誰もいない」


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