十 華澄
「ここは……」
廊下を横切った人影を追って辿り着いた先にあったのは壊れても朽ちてもいない小さな建造物――鏡の巫女を隔離するために使われていたであろう離れだった。
「この屋敷にも離れがあったんだね」
「まぁかなり綺麗な状態で残っているのが逆に気味悪いけどな……」
「雫さんがいた離れもこんな感じだったよ?」
「…………マジですか?」
「う、うーん……どうなのかな……沙輝くんは嘘を吐いてないと思うけど……」
「……雑談はそこまでにしてもらえるか」
他愛も無い話を出来るのは精神的な余裕がある証なのだろうが、時と場合は考えてほしい。
「……開けるぞ」
軽く息を吐いた後、離れの戸を開く。
案の定、と言うべきか中には誰もいない。
「これ……華澄ちゃんの日記……?」
雫さんが見つめる先――文机の上に置かれていたのは表紙に和鏡が描かれた一冊の本。
これは恐らく水科華澄が生前使っていた日記だろう。
「いっそのこと、プライバシーを侵害された怒りで出てきてくれたら楽なんだけどな……」
まぁそんな都合の良い展開は起こらないだろう。
とりあえずこの日記を読んで、水科華澄を説得出来る余地を見つけよう。
今日は雫お姉ちゃんと遊べなかった。
雫お姉ちゃんのお父様が言うにはここのところ降り続いてる雨のせいで体調を崩してしまったらしい。
私も雨のせいで風邪を引いたことは何度かあるけど、雫お姉ちゃんは身体が弱いから私の何倍も苦しい思いをしているのかもしれない。
早く雨が止んで、雫お姉ちゃんの体調が良くなると良いな。
もうすぐ鏡送りの日が来る。
雫お姉ちゃんとお別れする日がすぐ近くまで迫っている。
もっといっぱいお話ししたかった、もっといっぱい一緒に遊びたかった。
寂しいよ、雫お姉ちゃん。
雫お姉ちゃんが亡くなり、私が新しい鏡の巫女に選ばれたという話をお父様から聞かされた。
もし雫お姉ちゃんが鏡送りの日が来る前に亡くなってしまったら代わりを務めるのは私だろうとは思っていた。
でも本当にそうなってしまうことまでは考えつかなかった。
私に巫女の務めが果たせるのだろうか。
ここ最近、嫌な夢を見る。
私が鏡送りに失敗してしまう夢。
失敗してはいけないと散々言われてきたのにどうしてこんな夢を見てしまうのだろう。
もっと気持ちを強く持たなければいけない、私は鏡の巫女なのだから。
今日は潤とたくさん話をした。
潤は鏡の巫女の務めを果たせるか不安で仕方ない私を優しく励ましてくれた。
潤が支えてくれるなら私は鏡送りを成功させられる気がすると言うのは大袈裟かもしれないけれど、そう思えるぐらい潤の存在は私にとって大きなものだった。
きっと私は、潤のことが――
今日から私は禊のために離れへ隔離される。
鏡送りを行う前に鏡の巫女が清らかな状態になるため必要なことだとは聞いていたけど、やっぱり一人は寂しい。
潤も、湊お兄ちゃんも、お父様でさえも会いに来てくれない。
私より前の鏡の巫女たちも、雫姉さんもこんな寂しい思いをしていたのだろうか。
それとも私が寂しがりなだけなのだろうか。
刻々と鏡送りの日が近づいてくる。
――やっぱり怖い。
本当に私は鏡送りを成功させることができるのだろうか。
いや、成功させなければならない。
お父様に散々言われてきたじゃないか。
私は鏡の巫女、務めをしっかり果たさなければ。
私は心が弱いのだろうか。
私なら大丈夫、私ならできると何度言い聞かせても不安を拭い去れない。
こんな状態では務めを果たすことなんてできない。
悪夢が正夢になってしまう。
それだけは避けなければいけないのに。
「華澄ちゃん……とても思い詰めていたのね……」
「鏡送りが失敗したのはそのプレッシャーのせい、かな……」
「それでこの有様ってか?酷い話だな」
「……少なくとも現状を最も憂いているのは水科華澄本人だろうな」
自分がきちんと務めを果たせていればこんなことにはならなかったはずなのに。
そんな後悔と未練を抱きながら水科華澄は――
「…………い……」
「……?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
謝罪の言葉を述べながらすすり泣く声がする方に目を向けると巫女装束の女――水科華澄が蹲って泣いていた。
「華澄ちゃん!」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「華澄ちゃん……?」
「もしかして雫さんの声が聞こえてないのかな……」
「本来は会話が成立する幽霊の方が珍しいんだがな……」
とはいえ水科華澄には会話が成立する状態になってもらわないと困る。
一番手っ取り早い方法は――
「……いや、これは悪手だな」
「は?」
「独り言だ、気にするな」
やはり当初の予定通り動こう。
それが一番無難だ。
「…………っ、それ、は……」
あの幽霊から託されたもの――睡蓮が刺繍されたお守りを差し出すと水科華澄は顔を覆っていた手を外し、お守りをまじまじと見つめる。
「……届けてくれと、頼まれた」
言葉に迷いながら手渡したお守りを水科華澄はただ呆然と見つめる。
「華澄」
「っ!」
反射的に振り返った水科華澄が見たもの、それは――
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