五 大海家

「――ああもう、鷹也も沙輝もどこ行ったんだよ!」

苛立ち混じりに叫んだ声は虚しく響くばかりで、状況を好転はおろか悪化もさせてくれない。

「せめて沙輝とは早めに合流しないといけないのに……」

この手の状況に耐性があって静霊鏡を持ってる鷹也はともかく、怖がりな沙輝をこんなところで一人にするのは拷問同然の仕打ちだ。

鷹也と一緒にいるなら杞憂に終わることだけど――

「……ん?」

爪先に何かが当たったような感触を覚え、視線を落とすと土を被った静霊鏡が地面に転がっていた。

汚れ方を見るに鷹也が拾った静霊鏡とは別物のようだ。

「とりあえずこれで自分の身を守ることはできるな」

土汚れを払った静霊鏡をポケットに突っ込み、辺りを軽く見回す。

「沙輝が隠れていそうなのは……あの家かな」

目についたのは少し寂れた雰囲気のある屋敷。

表札には大海と書かれている。

「ごめんくださーい……」

一応挨拶をしながら玄関に入ってみたものの、何の反応も返ってこない。

「とりあえず近くの部屋から調べてみるか……」

鷹也か沙輝、若しくは鷹也の姉ちゃんと合流できれば最高。

三人の足取りを掴む手がかりが見つかればマシな方、といったところか。


「う、嘘だろ……何も見つからねぇ……」

鷹也や沙輝、鷹也の姉ちゃんどころか幽霊にすら遭遇していない。

手がかりになりそうなものも一切見つけられず、調べてない部屋はここが最後になってしまった。

「し、失礼しまーす……」

恐る恐る引き戸を開け、部屋の中に足を踏み入れる。

相変わらず誰もいないが、収穫と呼べるものはすぐに見つかった。

「えっと……鏡ノ巫女ノ記録……?」

机の上に置かれた二冊の本、その片方にはそんなタイトルが付けられていた。

「そういえばさっきの幽霊、いかにもそれっぽい格好をしてたよな……」

これを読めばあの幽霊について何か分かるかもしれない。


鏡の巫女の務めは鏡送りを成し遂げることである。

鏡の巫女は霊力高き清らかな娘が務めなければならない。

清らか、とは俗世の毒が抜けた無垢な状態のことである。

俗世の毒は清き場にて十五の夜を明かすことによって祓われる。

十五の夜が過ぎるまで、何人たりとも娘に近づくこと許されぬ。


「……だーめだ、よく分かんねぇ」

一通り読んではみたものの、ややこしい言い回しが多すぎるせいで内容が頭に入ってこない。

あきら数久かずひささんなら分かるのかなぁ……」

確か二人とも彼我見市に残る因習の研究していたはずだから――

「いやいや、今どっちもいないし」

この状況で一人漫才とか何バカなことをやってるんだ俺は。

「……とりあえずこっちも見てみるか」

読み終えた本を机に置き、もう一冊――表紙に海が描かれた本を手に取る。

出来ればさっきの本より分かりやすい情報が載っていてほしい。


死んだ親父から当主の座を継いで今日で三年になる。

そろそろ村の人たちから若当主と呼ばれるのが嫌になってきた、とこぼしたらじゅんの親父さんにそんなことを言っている内はまだまだ若造だ、と頭を叩かれた。

俺が親父さんたちに一人前の当主として認められるにはもうしばらく時間がかかりそうだ。


もうすぐ鏡送りが執り行われる。

雫は鏡の巫女としての務めを果たすつもりでいるようだけど、正直なところ不安しかない。

ただでさえ雫は病弱なのに禊なんて身体に負荷をかけることをしたら鏡送りをやる日まで生きていられるかどうかも怪しくなる。

もし雫が禊の間に死んだら代わりに鏡の巫女を務めるのは――

いや、雫なら大丈夫だと信じよう。

あいつもきっとそのつもりで頑張っているはずだ。


雫が亡くなった。

あと一日で禊が終わるはずだったのに。

これが運命なのだとしたら、俺は今それが呪わしくて仕方がない。

あと一日くらい、時間をくれても良いじゃないか。

雫は頑張っていたのに、どうして。


当主同士の話し合いで華澄が雫の代わりに鏡の巫女を務めることに決まった。

俺は猛反対したけど華澄の親父さんに封印を保つためには華澄が犠牲になるしかないと説き伏せられた。

本当に華澄が犠牲になるしかないのだろうか。

潤はこの決定を受け入れられるのだろうか。

そして俺は、何もできずただ流れに身を任せることしか選べないのだろうか。


今朝、潤が慌ただしい様子で家に訪ねてきた。

事情を聞くと華澄の親父さんに門前払いを食らい、その理由を聞いても親父さんは何も教えてもらえなかったから何か知ってそうな俺のところに来た、とのことだった。

もしやと思い資料を漁ってみたらこの事態に合致する記述が見つかった。

鏡の巫女は禊という体で隔離され、今日から数えて十五回夜を明かすことで身を清める。

それが終わるまでは親ですら鏡の巫女に会うことが許されない。

そう説明したら潤は一応納得したが腑に落ちないという表情を見せた。

──華澄の親父さんだって華澄と潤を引き離すのは本意じゃないはずだ。

けれど四家の当主は鏡送りの実行を最優先に考えなければならない。

だから私情を切り捨てられるようにしておけ。

親父が生きていた頃、何度もそう言われたことを今更ながら思い出した。


潤が鏡送りに参加させてほしいと俺に頼んできた。

華澄が入水する前にもう一度だけ会っておきたいという気持ちは痛いほど分かる。

だけど鏡送りに参加出来るのは四家の当主だけだ。

親父さんが健在である以上、潤に参加の資格は無い。

折角頼ってくれたのに何も力になってやれない自分が情けなくて仕方がない。


明日、鏡送りが執り行われる。

それはつまり華澄が明日死ぬということだ。

俺にできるのは鏡送りが滞りなく終わるように任された仕事をこなすこと――先日吾妻匡壱氏から受け取った儀式鏡を華澄に渡すことだけだ。

かわいい妹分にこんなことしかしてやれなくて、弟分には何の力にもなってやれない。

俺は、なんて無力なのだろう。


「何だよこれ、惨すぎるだろ……」

最後まで読み終えて真っ先に浮かんだ感想がそれだった。

事情はどうあれ、この村で行われていたのは理不尽極まりない行為だ。

死ぬことを強いるなんてどう考えても――

「……何感情的になってんだよ、俺」

ふと我に返り、溜め息を吐く。

この村が壊滅した時に鏡送りの因習も失われたはずだ。

もう終わったことに文句を言ったところで――

「……考えてもキリが無いな」

調べものはここまでにして鷹也と沙輝を探そう。

そう思考を切り替えて踵を返し――

「――え、」

ここまで全く遭遇しなかった幽霊と対面する。

「い、今頃になって――」

「…………潤」

幽霊は一言――多分誰かの名前を呟いて姿を消す。

「…………何だったんだ今の」

潤という名前はついさっき読んだ日記に出てきていたけれど、何故あの幽霊はそれを呟いたのだろう。

「……ああくそ、ワケ分かんねぇことばっかりだな」

さっさとここを出て鷹也や沙輝と合流しよう。

あれこれ考えるのはこの村から脱出した後でも良いはずだ。

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