四 潤

「……どうなっているんだ」

主を失って久しい私室の中で呆然と呟く。

煉どころかこちらに襲いかかってくる幽霊すらいないなんて予想外だった。

そうなるとさっきの人物は何処に行ってしまったのだろうか。

「何か手がかりになりそうなものは……」

周囲を軽く見渡すと文机の上に置かれた一冊の本が目に留まった。

表紙に睡蓮が描かれたその本は多少くすんではいるものの殆ど劣化していない。

「これは……」

恐らくこの部屋の持ち主が生前使っていた日記だろう。

人の日記を読むのは気が引けるが、今はそんな悠長なことを言っている場合じゃない。


今日、父さんから死んだしずく姉ちゃんの代わりに華澄が鏡の巫女を務めることになったという話を聞かされた。

みなと兄ちゃんはその決定に猛反対したけど華澄かすみの父さんに説得されて渋々引き下がったらしい。

俺も華澄が鏡の巫女になることは反対だけど湊兄ちゃんがどうにもできなかったことを当主じゃない俺がどうにかできるわけがない。

華澄は巫女に選ばれたことを受け入れているのだろうか。

聞けるなら聞いておきたい。


今日は華澄とたくさん話をした。

華澄は鏡の巫女になること自体は受け入れているけどちゃんと務めを果たせるか不安らしい。

なるべく無責任な言葉を避けて励ましたつもりだけど、華澄の不安を和らげることはできているのだろうか。


今日も華澄を励まそうと思って家に行ったら門前払いを食らった。

何度理由を訊ねても華澄の父さんは何も答えてくれなかった。

それならと湊兄ちゃんのところに行って事情を話したら資料を引っ張り出して華澄に会えない理由を教えてくれた。

鏡の巫女は自身を清らかな状態にするため禊という体で鏡送りの日まで隔離される。

しかも隔離されている間は華澄の父さんですら華澄に会うことが許されていないらしい。

昔からの決まりごととはいえ、ひとりぼっちになることを強制するなんて酷すぎる。

親子の会話ぐらい許してくれても良いじゃないか。


もうすぐ鏡送りの日だ。

華澄は元気だろうか。

ほんの数日しか経ってないはずなのにもう何年も会ってないような気がする。

鏡送りの日が来たら華澄とはもう二度と会えなくなる。

華澄が鏡の巫女に選ばれたという話を聞いた時から分かっていたはずなのに、どうしてもその事実を受け入れられない。


父さんにも華澄の父さんにも湊兄ちゃんにも頼んでみたけど結局鏡送りに参加することを許してもらえなかった。

明日、鏡送りが行われたら華澄は遠いところへ行ってしまう。

その前にお守りを完成させて華澄に渡さなければ。

鏡送りが始まる夕方までに華澄の父さんのところに行って頼めばきっと華澄に渡してくれるはずだ。


「……思ったより収穫があったな」

この村で何が行われていたか、その概要を知るには充分な情報量だった。

まずわかったのは記録にも出てきた鏡送りという単語が何らかの儀式を指す呼称であり、鏡の巫女は鏡送りにおいて重要な役割を務める女性を指す呼称だろうということ。

次にあの巫女装束の女が鏡の巫女――恐らくは日記に出てきた華澄という名の人物であること。

そしてこの村がこうなった原因と鏡送りは何らかの関連性があるということ。

具体的に何があったのかまではわからないが、今のところはここまでわかれば問題ないだろう。

一つ問題点を挙げるとすれば、鏡の巫女を無視してこの村から脱出するのはほぼ不可能だと判明してしまったことだが。

「あんなの一体どうすれば……」

「……て…………に……」

「…………?」

今、後ろから声が聞こえたような――

「――っ!!」

振り返った先に佇んでいたのは煉――と同じ顔で違う服装の幽霊だった。

「煉……じゃない……?」

思わぬ事態の発生に間抜けな声を出してしまう。

もしやさっき書庫で見たのはこの幽霊だったのだろうか。

「渡さなきゃ……お守り……華澄に……」

「お守り?」

「渡さなきゃ……鏡送りが始まる前に……」

煉と同じ顔の幽霊は譫言めいた言葉を繰り返し呟くばかりでこちらの声には何の反応も示さない。

敵意を向けてこないのは幸いだがこれはこれで扱いに困る。

「……一応探してみるか」

ざっと見た感じこの部屋にお守りらしきものは落ちていない。

となればお守りが落ちているのはここ以外の部屋か廊下、若しくは屋敷の外だろう。

なるべく近場にあってほしいところだが。


「…………これ、か?」

目当てのもの――睡蓮の刺繍が施されたお守りを見つけたのは屋敷を出て数分歩いた先に生えている大木の根元だった。

「……見つけたぞ」

また背後に立っていた幽霊にお守りを見せると譫言めいた言葉の内容に変化が生じる。

「そのお守り……それを……華澄に……」

「自分で渡せないのか?」

「……………………」

幽霊は何も言わず、憂いに満ちた表情を浮かべる。

したいけど出来ない、と言いたいのだろうか。

「……分かった、俺が鏡の巫女にこのお守りを渡す。それで良いんだな?」

そう確認すると幽霊は頷き、姿を消す。

「……難儀な奴だな」

あの幽霊がさっき読んだ日記を書いた人物だとしたら、死してなお不自由な立場に苦しめられていることになる。

――もしかすると鏡の巫女もそうなのだろうか。

「……鏡送りについてもう少し調べた方が良さそうだな」

鏡の巫女にお守りを渡して一件落着となるのが最良の展開ではあるが、万が一に備えて他の解決策も考えておきたい。

そのためには鏡送りに関する情報が必要だ。

「あの家に戻るのは面倒だな……他の家を探すか」

お守りをポケットに入れ、その場から歩き出す。

やるべきことは変わらない。

まずは煉や沙輝との合流、次にこの村からの脱出だ。

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