闇鍋奉行

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 伝統ある我が料理研究会には毎月の恒例行事がある。

 有志で好きな食材を持ち寄り、集まった食材で即興の創作料理を作る会合である。

 元々は独創性ある新作料理にチャレンジするために企画されたと聞くが、いつからかその目的は形骸化した。

 とある料理を毎月作ってはつつきあう行事へと変わってしまったのだ。

 そう、鍋である。

 何を持ち寄ってもとりあえず寄せ鍋にしておけば美味しいし楽だということに、みんな気付いてしまったのだ。

 そうしていつからか、我が研究会の伝統行事は『寄せ鍋会』と呼ばれるようになっていた。

 なっていたのだ。

 今、その行事は違う名前で呼ばれている。


 闇鍋会、と。


 事が起きたのは今年の四月。他の同好会一般がそうであるように、我が研究会でも新入生の勧誘を行った。

 懸命な勧誘活動の結果、ありがたいことに我が研究会は三名の新入会員を得ることができた。

 そしてありがたくないことに、この三名が三名とも大変な問題児だったのである。



────



「何してんスか会長、早くしてくださいよ」


 暗闇に包まれた卓の対面から、草野くさのが言う。

 先程から俺はおたまを手に固まっている。鍋のあたりから音がしないことで、よそっていないことがバレたのだろう。

 覚悟を決めるしかない。

 おたまを鍋に入れ、軽く混ぜる。

 手応えが異様に重い。

 具材が多いのではない。のだ。

 犯人は一人しかいない。根羽谷ねばやだ。

 食べ物はヌルヌルネバネバするものしか食べないと豪語する、食感で物を食うこのバカは、入会早々料理と称して正視に堪えないネトネトした何かばかりを錬成し、大半の会員を食欲不振通院に追い込んだ。

 根羽谷ねばやの錬金術は寄せ鍋会でももちろん行われた。

 オクラ、なめこ、とろろ。

 持ち寄る具材がことごとく糸を引いているのだ。

 料理していたはずなのに完成品がグロ過ぎて地獄のようになる。口に入れると物凄い味が舌に絡み付いて離れなくなりやがてあの世が見える。そんなところを見て、会員たちは根羽谷ねばやを『地獄絵図ヘヴン』と呼び恐れた。

 この汁の粘度、片栗粉を溶いた上で大量のとろろが流し込まれていると見ていい。

 鍋からひとすくい手元の椀に盛る。

 途端、とてつもない臭気が俺の鼻を強襲する。

 嘘をついた。この臭気はずっと俺の鼻を襲い続けていた。鼻がバカになっていて感じなくなっていただけだ。

 何なら各人が具材を入れ終えて煮込んでいる間、つまり別室で待機している時から既に猛烈な臭いを放っていた。

 俺の鼻を殺害した下手人は明らか。草野くさのだ。

 とにかく臭いものが美味いと感じる、五感のバグみたいな感性を持ったこのアホは、入会早々あらゆる料理に異臭を放つ食材ばかり投入して臭気爆弾を作成し、大半の会員を幽霊会員に爆殺した。

 草野くさの節は寄せ鍋会でも当然発揮された。

 納豆、くさや、シュールストレミング。

 持ち寄る具材がことごとく臭いのだ。

 特定の器官だけを毎回確実に鏖殺おうさつする。あまりにも臭すぎて次第に臭いを感じなくなってくる。そんなところを見て、会員たちは草野くさのを『器官虐殺デオドラント』と呼び恐れた。

 このえぐみのある酸っぱさを含んだ生臭さ。10年間洗っていない便所の煮こごりのような異臭。今回の草野くさのの具材はくさやと見て間違いない。

 俺がよそったのを感じ取った参加者たちが、暗闇の中各々の椀を持つのを感じる。

 心の底から嫌だが、実食の時間だ。


「いただきます」


「「「いただきます」」」


 臭いことと粘度が高いことしかわからない椀の中身を箸で探ると、何か大きくて柔らかい物が入っているのを感じる。

 その瞬間に俺は自分がを引いたことを察し絶望したが、よそったものは完食するのが闇鍋のルールであり食に生きる者の誠意。「南無三くそったれ」と呟いて強く目を瞑り、箸先のブツを口に含む。

 味の感想はあえて言うまい。

 強いて言うとすれば、『美味い』に果てがないように、『不味い』にも限りはないのだということを知った。

 新入会員が根羽谷ねばや草野くさのだけだったなら、まだよかったのだろう。寄せ鍋は毎回臭くなるだろうし、ネバネバするだろうし、「より食感だけを楽しみたい」などと根羽谷バカが言い出して完全な暗闇で実食を行う闇鍋形式にもなっただろう。

 それでも、たぶんそこまで不味くはならなかったはずだ。

 最後の新入会員、天海あまみさえ入らなければ。

 いま俺の口の中で繰り広げられている惨劇。これをほぼ一人で生み出したのが天海あまみだ。

 レベルを上げて物理で殴れのようなノリで砂糖を入れて甘味で殴ってくるこのゴミは、入会早々あらゆる料理にバケツ一杯の白砂糖をぶち込んで台無しスイーツにし、大半の会員を摂食障害再起不能にした。

 当たり前だが、天海あまみの呪術は寄せ鍋会にもかけられた。

 こしあん、練乳、オレンジジュース。

 持ち寄る具材がことごとく甘いのだ。

 初回の寄せ鍋に炭酸を抜いたコーラを持ってきたときは卒倒するかと思った。

 持ってくる食材自体は甘くて美味しいものばかりであるはずなのに、よりによってそれを絶対に混ぜてはいけない料理に投入して全てを台無しにしてしまう。そんなところを見て、会員たちは天海あまみを『桃源郷ディストピア』と呼び恐れた。

 酷く舌に絡む白だしベースのくさや臭の陰で、明らかに場違いなあんこの甘みと苺の酸味が見え隠れする。

 間違いない。今回あの天海ゴミが入れたのは苺大福だ。

 嘔気を必死に堪えて飲み込む。

 気配を探ると、信じられないことに三人とも美味そうに食っているのがわかる。

 この新入会員三バカたちの最も厄介なところは、各人の異常な嗜好が互いに問題にならないほど全員五感が狂っているまともじゃないところだ。

 根羽谷ねばやは食感で物を食っているし、草野くさのは臭いしか気にしないし、天海あまみは甘ければ何でもいい。地獄だ。

 こいつらのせいでまともな会員は誰も寄せ鍋会に来なくなった。

 俺だけが、会長の責任としてこいつらに付き合い、食える寄せ鍋が出来るよう日々制約を考えている。

 とにかく天海あまみだ。さすがに甘味禁止は可哀想だと思って、液体禁止、溶ける物禁止と段階を踏んでいたが、まさか苺大福とは。次はどうすれば良い。菓子禁止か? こいつのことだ、果物が来るに決まっている。粘つくパパイヤの浮いた異臭のする寄せ鍋など俺は食べたくはない。

 みんなが戻って来られるよう頭をフル回転させながら無心で咀嚼と嚥下を続ける俺のことを、会員たちが陰で『闇鍋奉行フィクサー』と呼んでいることを知るのは、まだ少し先のことである。

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