《ドア×還らずの館》第5話 The second day

「今日も来てくれてありがとう、くぅちゃん。とっても嬉しい」


 くぅを家に招き入れると、シャルロットはウキウキとした様子でそう言った。それを見ていると、くぅも何だか嬉しくなる。


「くぅちゃんに食べさせようと思って、お菓子も買ったんだよ。遠慮せずに食べていってね」

「えっ、いいの!?」

「うん! 私、くぅちゃんが来るのとっても楽しみにしてたんだから」


 そう言われて、嬉しくならない者などいない。くぅは喜んで、シャルロットの好意に甘える事にした。


「ありがとう、シャルロットさん!」

「どういたしまして! そうだ、今日は話の前に、ロディの絵を見ていかない?」

「ロディさんの?」


 シャルロットからの突然の申し出に、くぅはつい眉を寄せてしまう。シャルロットの夫であるロディに対するくぅの印象は、正直あまり良いものではなかった。


「ロディの絵って、とっても素敵なの! 是非くぅちゃんにも見て貰いたいな」

「……うーん……」


 またロディと顔を合わす事になるかもしれないと思うと、気が乗らない。しかしシャルロットの誘いを無下に断るのも気が引ける。

 それに、あのロディが一体どんな絵を描いているのかは、確かに興味があった。


「……じゃあ、見せて貰ってもいい?」

「うん! じゃあ持ってくるから、座って待ってて!」


 くぅが頷き返すと、シャルロットは嬉しそうに笑って昨日ロディが現れた部屋へと入っていった。どうやら二人が顔を合わさないよう、気を遣ってくれているらしい。

 そんなシャルロットの様子に、くぅは少し申し訳無い気持ちになった。


(……でも、仲良くしようとしないのは向こうの方だもん)


 昨日のロディの態度を思い出しながら、そうくぅは自分に言い聞かせる。いくらこちらが仲良くしようとしても、向こうに拒まれてはどうしようもない。

 モヤモヤした気持ちと共に椅子に座るくぅの前に、カンバスの山を抱えたシャルロットが現れた。そしてテーブルの上に、一つ一つ丁寧にカンバスを並べていく。


「……わぁ……!」


 一目で、目を奪われた。芸術にあまり詳しくないくぅでも、その絵が優れていると解った。

 それは、油絵であるのに、まるで写真のようだった。恐らくはこの街のものだろう、人々が生きる姿をそのままハサミで切り取ったような錯覚を覚える。


「ロディの絵はね、そこに在るものを忠実に描くの」


 一枚の絵の表面を愛しげに指でなぞりながら、シャルロットが呟く。その表情は、まるで恋する乙女のようだ。


「私は絵の世界の事はよく解らないけど、今は抽象的な絵の方が人気があるんだって。だから正直、この絵もそんなには売れてないの。でも、そんな中でも、ロディの絵を気に入ってくれる人は少なからずいる。それが私には、とても嬉しいの。私、ロディの絵が大好きだから」


 その言葉に、くぅは気付いた。恋をしているようではない。恋をしている・・・・・・のだと。


 シャルロットは今も夫に、ロディに恋をしている。夫婦となり結ばれてもなお。


 その事が、何故か、くぅにはとても羨ましく映った。


 何故そう思うのかは解らない。あるいは欠けた記憶の向こうに、その答えがあったのかもしれない。

 改めて、くぅは今の自分をもどかしく思った。何かを強く求めていた筈なのに、その何かが解らない。

 それは、シャルロットとロディの夫婦の在り方に、もしかしたら近いものだったのだろうか――。


「……?」


 不意に視線を感じ、くぅは振り返る。するといつの間にか、ロディが部屋の入口に立っていた。

 その表情に、思わずくぅは釘付けになった。自分に、いや、恐らく誰に向けるものとも違う、愛情に満ちた優しい笑顔がそこにあった。

 シャルロットはロディが見ている事に、ロディはくぅが見ている事に、それぞれ気付いていないらしい。そこには二人だけの空間が出来上がっているように、くぅには思えた。


(……何だろう)


 今は遠い記憶が疼く。こんな風に、自分は、誰かに笑って欲しかった気がする。

 けれどどうしても思い出せない。それがどんな笑顔だったかも解らない。

 とても、とても大切なものだった筈なのに――。


「? どうしたの、くぅちゃ……ロディ、いたの?」


 その時くぅの様子に気付いたシャルロットが、くぅの視線を追うように振り返った。するとロディは最初に会った時と同じ仏頂面に戻り、小さく咳払いをする。


「いや……すまない。邪魔をする気はなかった」

「ふふ、もしかしてくぅちゃんの反応が気になった?」

「俺は……別に」

「もうっ、素直じゃないなあ。それでくぅちゃん、どうだった?」

「へ?」


 急に話を振られ、くぅは何だか慌ててしまう。それでも何とか、正直な感想を口にした。


「えっと、ゲージュツはあんまり解んないけど。あたしはこの絵、すっごくキレイでスゴいと思うよ」

「! ……そう、か」


 くぅの感想を聞いたロディが、おもむろに顔を逸らす。しかしその頬が微かに朱に染まったのを、くぅは見た。

 この人は、ただ、素直に感情を表すのが苦手なだけなのかもしれない。そう思えば、前よりも好感が沸いた。


「さ、それじゃそろそろお茶にしよっか。くぅちゃん、今日はお話、いっぱい聞かせてね!」

「うん!」


 明るいシャルロットの笑顔に、くぅもまた、心からの笑顔を返したのだった。

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