他作品とのコラボ小説
《ラクリマの恋人×星空の小夜曲》第1話 深き霧の誘い
その日は、朝から深い霧が出ていた。
「わあ……見渡す限り真っ白ですね!」
トキの少し後ろを歩く、聖職者の格好をした女――セシリアが、どこかはしゃいだような声を上げる。その緊張感のなさに、トキはこの旅が始まってから何度目になるか解らない嘆息を漏らす。
「……アンタな。見通しが悪いって事はそれだけ危険に気付きにくいって事なんだぞ、解ってんのか」
「は、はい、すみません。こんなに深い霧なんて初めてで、珍しくて……」
素直に謝るセシリアの言葉に、トキは軽く眉根を寄せる。――確かにセシリアの言うとおり、これほどの深い霧はトキも目にした事はなかった。
本来であれば、霧が収まるまで動かない事が最善なのだろう。しかし旅の目的を思えば、そうやって無為に過ごす時間すらも惜しかった。
――『災厄の魔女』。強大な力を持ち、人々から恐れられるその魔女から受けた呪いを解く為、トキ達は旅をしている。
放って置けば為す術もなく苦しみ、もがき、死に至る。その呪いは進行を遅らせる事は出来ても、人の身には解く事は叶わない。
そしてその呪いを遅らせる事が出来る存在こそが他ならぬセシリアなのだが、その方法が少々問題で――。
「……こんなに周りが見えなかったら、アデルが近くにいても解らないでしょうか……」
と、不意にセシリアの声のトーンが落ちる。アデルとは、旅の途中ではぐれてしまったセシリアの友人だった。
その様子に、トキはまた嘆息する。他人が何を思い、何を憂おうが自分には関係ないというスタンスを貫いてきた筈のトキだったが――何故だかセシリアが落ち込む姿だけは、胸がざわついて仕方がなかった。
「……こっちが解らなくても、向こうが匂いで気付くだろ。犬っころってのは鼻だけは利くからな」
「犬じゃありません、狼です! ……でも、そうですね。ありがとうございます、トキさん」
そう言って微笑んだセシリアに、トキは言葉を返さなかった。代わりに首に巻いた紺のストールに触れ、らしくない言葉を発した自分に舌打ちしたのだった。
歩を進めるにつれ、霧はその濃度を増していく。そして遂には、すぐ近くにいるセシリアの姿すらも霞むほどの濃密さとなった。
(流石に不味いな。これ以上は進めそうにない)
先を急ぎたい気持ちはあったが、これほどの霧の中を手探りで進むには流石に危険が過ぎる。そう判断したトキは足を止め、流石に不安が顔に出始めたセシリアを振り返る。
「一旦霧が収まるまで待つ。これじゃ安心して進めやしねえ」
「は、はい……そうですね」
セシリアの表情に、安堵が広がっていくのが解る。トキは小さく息を吐き、その場に腰を下ろした。
――それにしても、何故今日はこんなにも霧が濃いのだろう。この辺りが霧の濃い地域だという話は、ついぞ聞いた事がなかったと言うのに。
「あっ、トキさん、あれ……!」
トキの思考は、突然上がったセシリアの声に中断された。何事かとセシリアを振り返ると、彼女は驚いたように霧の一点を見つめていた。
訝しく思いながらも、トキもまたセシリアの視線の先を追う。すると――。
(……小屋?)
そこには霧の中に浮かび上がるようにして、一軒の小屋がぽつんと佇んでいた。あまりにも突然現れたように見えるそれに、トキは疑惑を抱く。
さっきまであんなものはあったか? そもそもこの霧の中で、何故あの小屋だけがハッキリ見える――?
「丁度良かったです! 霧が収まるまであの中で休ませて貰いましょう」
しかしそんなトキを余所に、セシリアは心から安堵した様子で言った。そのあまりの警戒心のなさに、トキはこめかみの辺りが痛くなるのを感じていた。
「……おい、アンタの頭がお花畑なのはいつもの事だが。おかしいとは思わないのか」
「え?」
「この霧の中でもあれだけハッキリ見えるんだぞ。どう見ても怪しいだろうが」
そのトキの指摘に、セシリアはキョトンと目を瞬かせ。そして、ふわりと笑顔を浮かべて言った。
「きっと、神様のお導きです」
――駄目だ。話にならない。今度こそ、トキの頭は本格的に痛くなった。
とは言うものの。このままここに留まるのとあの小屋に行くのと、どっちが安全かなどトキにも判別は付かなかった。
ここは野外だ。こちらの匂いを嗅ぎ付けて、腹を空かせた獣や魔物が迷い出る可能性だってある。
それならば怪しいところがあったとしても、あの小屋に身を置く方が安全という見方も出来る。小屋がまだ見えている間に、トキはどちらかを選ばなければならなかった。
「ほら、行きましょう、トキさん!」
そんなトキの悩みを知ってか知らずか、セシリアがトキの袖を引きそう急かす。――どちらにしても決め手がないならば、これを決め手にするしかないのかもしれない。
覚悟を決め、トキは立ち上がる。それに続いてセシリアも立ち上がるが、途中で「あ」と一言呟いて足を止めてしまった。
「? どうした、あの小屋に行こうって言ったのはアンタだろ」
「そうなんですけど、あのっ、トキさん……」
振り返ったトキに、歯切れが悪そうにセシリアが眉を下げる。するとやがて、セシリアがレザーグローブに包まれたその細い手を差し出した。
「……はぐれてしまわないように、手を、繋いで貰っていいですか……?」
その言葉に、今度はトキが目を瞬かせる番だった。セシリアの白い頬が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「――アンタ、本当に子供っぽいな、聖女様」
トキの口を突いて出たのは、いつもの皮肉。けれどその手は、しっかりとセシリアの手を握り返して。
「くれぐれもはぐれるなよ、聖女様。俺の生死がかかってるんだからな」
「っ、はい!」
嬉しそうに微笑んだセシリアから目を逸らし。トキは、小屋へと歩き出した。
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