夜の魔法

 花火の終わりを告げる雷火が鳴ったが、花火大会の始まりで聞いたときとは違い、四尺玉の爆音を聞いた後ではなんとも軽い音に感じた。


「そろそろ帰らなきゃ」


 佑人は織江の言葉を聞いているのかいないのか、窓の外をまだ見ている。

 織江はおずおずと声をかけた。


「まだここにいるつもり?」


「灯りが消えていくのを見たい」


「何で?」


 織江の白い顔が不可解そうだった。

 佑人が言った。


「授業で平家物語ってやっただろ?」


「うん。よくわかんなかったけど」


「終わりの方で、平氏のサムライが言うんだ……『見るべき程の事は全て見つ』って」


「……意味は?」


「『見るべきものはもうみんな見た』って言う意味だよ」


 織江は佑人が、ひどく嫌なことを言おうとしているような気がした。実際、平家物語でこの言葉の後に続くのは、大変不吉なものだ。

 実際、佑人は、自分はあまり長くは生きないだろうと推測していた。

 彼は、また窓から祭りの終わった会場を眺めながら呟いた。


「人生の最後に、走馬灯みたいに今までの人生のいろんなシーンが甦るって言うだろ? ほんとかな」


「……わかんないよ」


「最後にそうやって見えるものが、幸せで楽しいものばっかりだといいよね」


「ねえ……そういうこと言うのやめてよ」


「だから、僕はこうやって走馬灯の中に仕込む原画を仕入れてるんだ。一生忘れないようにね」


「やめてってば」


 祭りの灯が一つ一つ消えていく。

 人々の帰路を照らす灯りを残しながら、みるみる光点は減って、祭りの賑々しさもすうっと消えていく。

 それは何ともわびしい眺めだった。

 彼女はこの場の雰囲気を明るくしたくなった。


「ねえ、そろそろ帰ろうよ」


「そうだね、行こうか」


 佑人は立ち上がり、織江はまた椅子からひっくり返りそうになった。

 軋む音を立てて椅子を畳んで壁に寄せ蚊取り線香の火を消すと、佑人はLEDランタンを手にした。

 そして織江は佑人に渡されたライトを点ける。

 二人はそれぞれの灯りを頼りに小屋を出た。佑人が三和土を擦りながら朽ちかけた扉を閉め、かちんと南京錠を掛けた。


 夜の山道を用心しいしい、二人は歩いて降りた。

 短い命を歌う虫たちの声。

 夜の林は生命のざわめく匂いに満ちていた。


「村井、今夜は面白かったよ。ありがとう」


「面白かったの?」


「うん」


「瀬名ちゃんとかもいたらもっと面白かったと思うよ」


「誰それ」


「ほんとに覚えてないんだね。うちのクラスの子。髪が長くて三つ編みにしてる」


「うーん……見たような気もする」


「三つ編みほどいて私服着てると、めっちゃくちゃ可愛いんだから。男子に一番人気なんだ。それにね……」


 織江はクラスメイトの愛らしさを躍起になって畳み掛け、それから少し静かになった。


 芋虫からさなぎになって空へ飛び立つ蝶のように、女の子は可愛く美しくなるもの、といつから信じ込んでいたのだろうか。

 そしていつから、自分がもともと蝶ではない、他の虫なのだと思うようになったのだろうか。

 織江にはクラスメイトの女子達が眩しく見えた。

 さなぎから殻を脱ぎ掛けたころの、素朴でみずみずしい美しさがそれぞれにあった。

 それに引き替え自分はどうだろう。

 ちょっと可愛らしい服を母が買ってくれても、それを着て鏡の前に立つと服にあまりの不調和さに思わず目を逸らす。いつかちゃんと可愛い格好をすれば私も可愛くなるのかも、という仄かな希望がすり潰されていく。

 だから、可愛いものは嫌いなのだ。


 佑人は怪訝そうに言った。


「村井も結構いい線いってると思うよ。今着てるのも似合うけど、浴衣とか着てみたら?」


「甚平の方が動きやすいし……それにあんまり可愛いのとか好きじゃないんだ、似合わないし」


「似合うよ」


「似合わないって!」


「なんでそんなにムキになるんだよ」


「だってさ……」


 織江は眉を顰めた。


「私は可愛くないもん。地黒だしニキビあるし」


「そうかなあ」


 おっとりと言う佑人の隣でで、織江は立ち止まった。

 一緒に足を止めた佑人に、小さな声で話し始めた。


「私たち、小っちゃい頃から一緒でさ、みんなで遊んでたんだ。みんなもう親類みたいなもんだし、すごく楽しかった。そりゃあものすごい田舎だけど、私、ここで生まれてよかったって思ってる」


 佑人は黙って聞いている。


「でもね、何だか最近変なんだ……みんなお洒落したり、島の外のことばっかり話して、急にみんな大人みたいになって、可愛くなってさ。でもわたしは磯でタマキビとったりとか、山でツワブキ取ったりとか、そういうのが本気で楽しいの。幼稚でしょ。馬鹿みたいでしょ」


 声が震えた。

 少し間を置くと、織江は腕にかけているあずま袋から青いストライプのタオルハンカチを出した。


「私がもっと可愛かったら、お洒落とかも楽しかったんだと思う」


 織江は目頭と、それから鼻の下にハンカチを当てた。


「私、もっと可愛かったら、好きな人と手がつなげてたかもしれないって……」


「そっか」


 佑人は短くそう答え、またしばらく黙った。

 しばらく、織江が洟をすする音が響いていた。

 頭に何かが触れたのに織江は気づいた。短く切った髪を、佑人がイヌでも撫でるかのような手つきで撫でていた。


「よしよし」


――佑人、思ってたより優しいんだな


 織江は立ち止まって、ハンカチに顔を埋めて肩を震わせてた。

 佑人はその横でただ立っている。

 しばらく泣いてから、気まずさを隠すように撫でられた髪にちょいちょいと手をやる織江に、佑人は何のてらいもなく言った。


「僕は、織江とならいい友達になれる気がする」


「え?」


 髪をいじる手が止まった。

 織江は面食らってぽかんと口を開けていた。


「僕、やなやつだろ? 口を開けば田舎叩きで」


「うん」


「だってそれしか話せることがなかったんだよ。僕は、病院暮らしが長くて、友達がいなかったんだ。本当は友達がいたら楽しいだろうなって思ってた。でもうまくいかなくてさ……この島なら、うまく友達ができるかもって思ってたけど、僕がクラスの子と話せる話題なんかないし、勉強の話したら露骨にこいつ面白くないやつって顔して離れていくし」


「意外。あんた、一人が好きなんじゃなかったの?」


「一人が好きだけど、それを理解して、つきあってくれる友達が欲しかったんだ」


「……それって虫がよくない?」


「わかってるよ。だけどさ、今話聞いてて織江と磯で貝拾ったり、なんか食べられる草だっけ、そういうのとるの楽しそうだなって思えた」


「そう?」


「島で人の話聞いて楽しそうって思ったの初めてなんだよ」


「私、つらい話してたつもりだったんだけど」


「でも、織江はそういうのに喜んでつきあう友達が今ここで出来たんだ。僕にもできた。よかったじゃないか」


佑人は楽しそうに笑った。


「魔法のおかげだ」


「魔法って?」


「頭おかしいと思うだろうけど、あのみかん小屋は、僕にとっちゃ魔法の空間なんだよ」


 本気で信じている口調だった。

 そして、わけがわからない顔をしている織江に、不意に提案した。


「明日さ、都合のいい時誘いに来てよ、ずっと祖父ちゃんちにいるから」


「え?」


「今度は織江の遊び場に連れて行ってよ」


「ええ?!」


「僕だけ秘密の場所を知られたんじゃ不公平じゃないか。明日いろいろ教えてよ」


「いいけど……友達も連れて来ていい?」


「僕は織江に教えてもらいたいんだけど……ああ、二人だとやっぱり変な噂が立つよね。いいよ、織江におまかせするよ。」


「いや、それはいいんだけど」


 言ってしまった後で織江は自分の頬がぶわっという音を立てるほどに紅潮するのを感じた。その答えを聞いて佑人は少しはしゃいだ声を上げた。


「じゃあ、明日! すっぽかさないでよ」


 いつしかもう舗装された道路に出ていて、佑人は少し手を振ると左への分岐へ歩いて行った。

 織江は手を振り返し、その手を火傷でもしてしまったかのように握りこんでもう片方の手で包んだ。


 明るい道へ出て、少し歩いたところで織江は友人に呼びとめられた。


「織江!」


 クラスメイトの中でもよく一緒にいる美奈が蝶の浴衣を着て早足で近寄ってくる。


「心配してたんだから!」


「うん、ごめんね」


 美奈の言葉に、間髪を入れず素直な謝罪が織江の口を衝いた。


「どこで何してたの?!」


「眺めのいいスポット見つけて、そこから花火見てた」


「えーっ? 私、どっかのおじさんとぶつかって、かき氷こぼされてでベトベトになってたっていうのに!」


 それは自分が一緒にいてもいなくても同じことだったはずだ、と織江は思ったが、一応済まなさそうな顔を作った。


 美奈は、織江を心配しながらもそれでも友人たちと愉快に過ごしたかをまくし立てていたが、黙って聞いている織江にふと疑問をぶつけた。


「……で、誰と花火見てたの?」


 織江は夜空を見上げた。

 そこには月輪が光を取り戻し、皓皓こうこうと冴えわたっていた。


「……一人だったよ」


 そう、一人だった。

 一人と一人が、一緒に花火を見ていた。


 暗がりで、物言いたげに自分に向けられていた眼差し。

 想像したこともなかった思い。

 あの小屋は魔法の空間だ、と言い切り、信じたがっている幼さ。


 そういうものを一度に思い出して、織江は背筋にこそばゆさを感じた。

 それは、どちらかと言えば、自分の居心地を悪くする、危ういもののような気がした。

 美奈は納得のいかない顔で、織江を見ている。


「あのさ、美奈」


 何かを振り払うように、織江は取りつくろった声を出した。


「何?」


「明日、昼過ぎ、時間ある?」


「時間はあるけど」


 織江は少し考えてから頬を赤らめてこう言った。


「あ、いや何でもない」



                        <了>

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祭りの夜の魔法 江山菰 @ladyfrankincense

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